彼女は天才であるがゆえに

りつりん

水になってみない?

「水になってみない?」

 そんな彼女、冴崎璃々さえざきりりの提案に乗せられてになった俺は、今現在、水槽の中を漂っている。

 俺の入る透明な水槽の前には瑠々。

 やや吊り上がった目は、こちらの一挙手一投足を見逃さないような鋭さを放ち、しかして、その中に存在する黒々とした瞳には燃え滾るような好奇心が揺れている。


 ―――彼女は天才だ


 高校生にして、数々の論文を専門誌に載せ、本を出版し、俺のよく知らない学会でいくつもの表彰を受けてきた。

 もちろん、メディアにも数多く取り上げられている。

 そんな彼女は、これまで数多の空想を実験によって現実のものにしてきた。

 今回もその実験の一環。

 俺は彼氏として毎度身を捧げている。

 ちなみに、論文や本の謝辞に、実験協力者勇者として俺の名前を毎回彼女が掲載するため、その界隈では俺は有名人らしい。

 知らんけど。

「どんな感じ?」

 璃々の楽し気な声が液体な俺の体に染み込んでくる。

 その楽しさに共鳴するように、彼女の腰ほどまでに伸びた黒髪が揺れている。

『悪くは、ないかな』 

 なんでか知らないけど喋れる。

 液体なのに。

 なんかこう、全身、いや、全液体が震えて音が出る感じ、かな。

「液体だからと言って、話せないとつまらないじゃない。だから、あなたの意思を音として発信できるような工夫を凝らしたの」

『なるほど』

 こちらが疑問を発する前に、疑問に答えてくれる彼女。

 さすがだ。

 それにしても、と、俺は水になった自身へと意識を向ける。

 俺は人間という存在であるなら不可能な水槽への完全なるフィットにちょっと感動している。

 特に、四隅すごいな。

 四隅に体がフィットするのって、なんかすごい。

 こう、キュッというか、ニュッというか、とにかく四隅に体みっちりなるのすごい。

 癖になりそう。

「それでさ……」

 そんなくだらないことを考えていた俺に、少しばかり真剣さを孕んだ彼女の声が届く。

「飲んでみていい?」

『え?』

「水になった君と一つになってみたいの。君は私の中に入りたくない?」

 璃々は口を開けた。

 開けた先には、健康的な赤々とした舌。

 よく磨かれた白き歯。

 そして、そこから漏れてくる吐息に、俺は思わず興奮を覚える。

 もちろん、恋人同士ということもあり、キスまでなら既に到達している。

 けれど、こうして口内をじっくり見るなんてことはなかった。

 思わず凝視してしまう。

 いや、今の俺に目的なモノがあるのかはわからないけど。

「ねえ、どうかな?」

『いや、どうかなって、俺、そのまま璃々に吸収されるんじゃ……』

「喉を流れて、胃に溜まって、しっとりと大腸と小腸を通って、膀胱へ。ねえ、興奮しない?」

『しない。絶対、吸収されんじゃん。小腸で絶対吸収されんじゃん』

 正直、璃々の中に入るという経験はしてみたい。

 でも、自身が吸収されて璃々の一部になるということを想像すると、あまりにも未知過ぎて怖い。

 ていうか、璃々。

 やっぱり、これが本筋だな。

 だって、目が煌めいてきてるもん。

 さっきまでのどちらと言えば研究者然としていた雰囲気から、一気に純粋無垢な子どものような雰囲気へと変わる璃々。

 璃々はいつもそうだ。

 研究者としての疑問と、まるで子供のような純粋から来る疑問の両方を持ち合わせている。

 そして、その両方を俺を対象とした実験の中に潜ませて来る。

 だからこそ、興奮はすれど、冷静さは保たないといけない。

 璃々が実験をしている時は。

 そうでないと、俺の身に危険が及んでしまう。

「そう、じゃあ早速」

『待て待て待て!』

 俺の意思を無視する璃々。

 いや、あれ?

 動けない!

 声的な音は発せられるのに、動けない!

「ふふっ。だって、抵抗されたら困るからね」

 仕組まれていた!

 最初から仕組まれていたんだ! 

『マジでやめ……おぶっ!』

 するりと、コップ一杯分掬われた俺は抵抗できず瑠々の中へ。

 暗闇と彼女の粘膜が俺を包み込んでいった。

 

 翌日。

 無事、人間に戻ることができた俺だが、戻る前と比較して一つ変化が起きた。

「素敵な金髪だね」

「そうか?」

 そう、璃々の排泄物として出た俺。

 吸収はされなかった。

 後で聞くと、璃々が吸収されないような仕組みにしていたらしい。

 もうよくわからん。

 とにかく、排泄物として出てきた俺でも俺の一部なので捨てるわけにはいかなかったらしく、綺麗な俺と混ぜて元に戻されたのだ。

 結果、髪色が変化してしまった。

 そんな俺の隣で彼女は楽しそうに笑う。

 俺もつられて笑う。

 まあ、これはこれでありか。

「いや、ありじゃねえな!」

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彼女は天才であるがゆえに りつりん @shibarakufutsuka

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