第2夜 ガラスの靴

ドン


鈍い音がして、白い壁に鮮血が飛び散った。


「ドリ姉さまッ!」


ナスタージアが手放した血まみれのなたが床に落ちて、ごとりと音を立てる。

わたくし眩暈めまいがして、ナスタージアの胸に身体を預けた。

私の左腕から血がしたたり落ちている。鉈はナスタージアのかかとではなく、止めようとした私に当たったのだ。



幸い思ったより傷は深くなかった。

ナスタージアが、怪我した私の二の腕に包帯を巻いてくれている。


「お姉さま、なぜこんなことを。治療道具を用意していなかったら大変なことになっていたわ」

「それはこちらの台詞セリフですわよ」

「だって、だってどうすればカルロ様が振り向いてくださるのか。もうこうするしかなかったんですもの」


ナスタージアはすっかり赤くなった目に涙を浮かべ、私をひたと見つめて訴えた。


「やっぱり、あなたも気づいたのね。あの女の正体に」


童話ではシンデレラの義姉たちが、それぞれ足を削ってにサイズを合わせることになっている。

でもそれはこのタイミングではない。

ナスタージアは誰の靴に合わせるべきかをすでに知っているのだ。


貴女あなたはもう一度、踵を切ることになるでしょう」

「ええ、それは……私の意志は固いのよ。そうよ、お姉さまよりもずっと」


ああ、可愛いおナスちゃん。そんなにも王太子様を愛しているのね。


「そういうことではないの。ダメよ、そんなことをしては。いい? これから、お母さまがあなたに同じことをするようにお命じになります」

「なぜ、どうしてお分かりになるの?」

「……だってそれは……それがお母さまだからですわ」


母は目的のためには手段を選ばない恐ろしい人だ。

ナスタージアは納得して頷いた。


「でもそんなことをしてもどうにもなりませんわ。だってあなたはカルロ様がお求めになられている、あの女じゃないのですもの」


私が言い切ると、ナスタージアは泣き崩れた。


「私に考えがあります。二人だけの秘密ですわよ」


私はナスタージアにこっそり耳打ちした。

屋根裏に引きこもっているあの女狐の化けの皮を剥がすための計画を。

それから私は急いで屋敷の厨房へと向かった。



* * * * *



次の朝、果たして一足だけのガラスの靴を携えた王太子カルロがやってきた。


お話通り、まず私が靴を試すことになった。

靴のサイズなど最初から分かっている。

私とあの女の足の大きさはほぼ同じ。けれども私の足型は母に似て親指の長いエジプト型。靴の形は中央の尖ったギリシャ型だった。親指が突き出ている分、ちょっとだけ合わないのだ。


母、カルモジーナは靴が合いそうもないことを確認すると、私を奥の部屋へ連れ出した。


「その邪魔なつま先、さっさとやっておしまい。きさきになってしまえば歩く必要もないのですから」


そうささやき、そっと小刀を渡してきた。


ほら来た。

カルモジーナの命令は絶対だ。

逆らったら何をされるか分からない。狂気なのだ。サディスティックなのだ。

だからここは、童話と同じようにふるまわなければならない。


私は右手で小刀を足の親指に当てると、左手で小刀を包み込むようにして抑えて押し切った。

落ちた肉塊が床にころんと転がった。


カルモジーナは満足そうに笑みを浮かべ、床に広がっていく赤い染みを眺めている。

私は慌てて布で足の血をふき取り、すぐに足を抑える様に包帯を巻いた。


カルロが待つ応接間へと戻り、改めてガラスの靴を試す。

けれども靴を履こうと足を押し込んだ途端に血が噴き出した。

慌てたのはカルロだ。


「これはいけない。ドリンシア嬢! 大事ないか」

「え、ええ。なんともありませんわ、この程度。先ほど、足を切ってしまったものですから。でも、このままでは大事な靴を汚してしまうだけです。よろしければまた後日、試すということではいけませんかしら」

「もちろんだとも。君の美しい足をこれ以上傷つけるわけいはいかない」


そう言いながら、カルロはガラスの靴を脱がせるついでに私の足首をなでまわした。


あいからずの変態ですわね。

カルロは脚フェチなのだ。

当該者でないと分かりきっている私たちにまで試着させるのは、一重に彼が若い女の脚を堪能したいからだ。


「なんということなのドリンシア! 貴女あなたには失望しました」


カルモジーナが甲高い声を張り上げた。

本当は私の頬を打って張り倒したいんでしょうね。

でも王太子の前だから我慢した、母の気持ちは手に取るように分かった。


次は妹の番だ。

言うまでもなくナスタージアも私と同じようなことになった。


そんな一部始終を、屋根裏部屋から降りてきたあの女がこっそり覗き見ていることに私は気づいていた。陰でほくそ笑むその表情がちらりと目の端に映った。

思った通りの性悪だわ。


「あの女性はどなたかな」


遅まきながらカルロも気づいてカルモジーナに訊いた。


「あれはその……エラと申します。うちの娘ではありますけれど。いつも引きこもってばかりで身なりを整えることもせず、灰を被ったように汚れております。とても殿下のお目にかけるわけにはまいりません」

「構わない。確かめさせてくれ」


カルモジーナが止めるのも聞かずにカルロは靴を片手に近づいた。カルロの視線はすでに彼女の足元に釘付けだ。


綺麗なビロードのドレスの裾を広げて会釈した後、おもてを上げたあの女の顔はきっちりメイクまで整っていた。


「エラでございます」


薔薇色の唇が自らの名を紡いだとき、カルロの瞳が輝いた。

もちろんガラスの靴はぴったりと彼女の足に合った。


「やはり間違いない。エラが私の后だ!」


カルロは高らかに宣言した。



満足したカルロが帰るとすぐに、入れ替わりで第二王子のクラウスが姿を見せた。

クラウスは私に耳打ちする。


「エラの実母の墓を見てきたよ。君からの手紙にあった通りだった」

「準備の方はいかがですの」

「ああ。手はず通り進めておくよ」


クラウスが私の足に巻かれた包帯に目を止めた。


「ところで君の足、どうしたんだい」


そういう気が回るところは嫌いではないわ。


「親指が取れてしまいましたの」


私はそう言って、親指の形をした血まみれの肉塊をクラウスに見せた。


「わッ!」


と声を上げて驚くクラウスの表情があまりにも滑稽こっけいで、思わず吹き出してしまう。


「これはお母さまを欺くためのフェイク。腸詰と豚の血と爪で作った偽物ですわ」


声を潜めて真相を告げた。

工作もドッキリも昔から大得意なのだ。



* * * * *



一週間が過ぎ、ついに王太子カルロの結婚式の日がやってきた。

この日はまた、かねてより私たちが計画していた断罪の日でもある。

私とナスタージアにとっての運命を決める日になるだろう。





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