第11話 泉の精
「そろそろ切り上げたほうがいい」
シグルドに声をかけられて、私は剣を降ろした。
「結構長い時間振れるようになってきたわね。どう、私もなかなか様になってきたと思わない」
「そうだなあ、そうしたら今度は打ち合いも始めてみようか」
「本当? やった!」
私は剣と手袋を返す。
「素振りだけじゃ飽きちゃうから、ちょっとずつな」
「楽しみ。剣の稽古のお陰で体力もついてきたのよ。息切れしなくなったでしょ?」
頑張ってるな、と笑うシグルドが手を差し出してくる。剣も手袋も返してしまったけれど? 不思議に思いながら、なんとなく、お手をするように手を預けた。
「違う、こっち」
シグルドが私の手をくるりと返した。掌をじっと見ている。
「革手袋をしていても、やっぱり少し硬くなってしまったな」
「まじめに練習した証拠ね!」
「そうだけど、あなたの場合は豆ができたり血が出たりしたら困るだろう」
内緒なんだろ、とシグルドがいう。
「そうだった。今度は革の手袋の下にもう一枚布の手袋もしてみようかな」
「それもいいかもな」
シグルドが私の掌に顔を寄せていく。
「何? くすぐったいわ」
すっと離れて、真面目な顔で私を見た。と思ったらニヤリと笑う。
「サロンに戻る前にどこかで手を洗っていけよ」
「え?」
私も掌を顔に寄せてみた。う、これ革と汗の匂い? 前世でかいだことがある。体育倉庫とか、運動部の部室の傍で。
「そういうのは嗅ぐ前にいってよ!」
「新品の革に汗が染み込んだってことだ。まじめに練習した証拠だろ」
「そうだけど……」
匂い問題は別だと思う。
「そうだ、明日は私図書館に行こうと思うの。だから次に来るのは明後日ね」
「そうか。じゃあ打ち合い用の刃を潰した剣はそれまでに用意しておくよ」
「いつもありがとう。準備も片付けも任せてしまってごめんなさいね」
「あなたが剣を抱えてそこらを歩いていたら大騒ぎになるだろうな」
気にするなと言ってくれるシグルド。
「最近は私の練習を見てくれるから、シグルドの練習時間が減ってしまっているでしょう? 明日は存分に練習してね」
「どうも」
「じゃあね」
手を上げて応えるシグルドをあとに、私はサロンへと戻った。途中でもちろんお手洗いに寄って手を洗った。
翌日の昼休み。
「今日は天気がいいから外で食べるわ」
メイドに声をかけ、家から届けられているお弁当を持って私はサロンを出た。目指すは学院の裏の林にある泉だ。ゲームでルナが泉の精に出会うのはまだ数か月先だけど、私は少し早めにお邪魔することにしたのだ。不測の事態で聖魔法を取り損なったら大打撃だからね。
放課後だと家の馬車を待たせて御者にあやしまれるのも面倒だし、日の高いお昼のほうが安心感がある。学院の敷地から続く林は、ゲームでは魔物が出たりすることもなく安全なエリアだけど。日頃なぜ人が寄り付かないかといえば、学院の七不思議的なものの一つになっているからだ。
誰もいないのに、その林に入ると呼び声や泣き声が聞こえるというもの。その林に迷い込んでしまったルナは、偶然小さな泉にたどり着く。そして傍らにある古びた祠に気づき、教会の孤児院で育ったルナは放置しておくことができず、掃除をして祈りをささげる。その純真な祈りが届き、力を取り戻した泉の精が現れて御礼に聖魔法を授けてくれるのだ。
祠は遠い昔に泉の精霊を祀るために作られたものだったのだけれど、時代と共に人の記憶から薄れるにつれ泉の精霊も力を失い、そして泉そのものも小さくなってしまった。このままでは消えてしまうかも、という危機的なタイミングで現れたのがルナで。林の中で聞こえる声は、泉の精霊が嘆く声だったというお話。
今回、ルナのイベントをいただいてしまうに際し、私には一つ計画があった。それがお弁当だ。何も、ピクニックのように泉で食べるために持ってきたのではない。祠にお供えしてみようと思うのだ。
この乙女ゲーム自体は中世ヨーロッパ的な世界が舞台になっているけれど、それが制作されていたのは日本で、作っていたのは日本人。ゲームのルナは祠を掃除して祈りを捧げるだけだったけれど、日本的に考えれば祠にはお供えが欠かせないはず。基本はお米、水、お塩、お酒、お花といったところか。
ゲームの泉の精が女性だったことと、今の私が準備できるものとして。今回はお弁当として入れて貰った果物と焼き菓子、こっそり家からくすねてきたワイン。庭師に作って貰った小さなブーケを持参した。もちろん祈りも捧げるけど、ゲームでは「教会育ちのルナの純真な祈り」が届いたということなので。特に信仰に熱心だったとはいえない公爵家育ちの私の祈りを、なんとかお供えで底上げしていきたい。もうこの時点から純真さが足りない気がしなくもないけど、やらないよりはやったほうがいいはずだ。
ゲームのように迷うことなく、ずんずんと歩いて行く。ぽっかりと木々が開けて小さな泉の前にでた。
「わあ、なんて綺麗な泉」
念のために、ゲームのルナと同じセリフをいっておく。若干棒読みだったのは許してほしい。
泉に近づき、水面を覗き込む。
「吸い込まれてしまいそう」
両手で泉の水を掬い口にする。
「冷たくておいしい」
七不思議の林の中の泉に初めてきて、なんでいきなり飲むかなあ。生水飲んで大丈夫かなあ。ゲームでルナが腹痛をおこしたシーンはなかったから信じるしかない。そして振り向く。
「まあ、あんなところに祠があるわ。随分と古びているみたい」
そして掃除。ゲームでは、祠に積もった落ち葉や土を落とすとあったけれど。日本人の魂を持つ私としては、土はともかく落ち葉を祠から払っても、そのままではごみを残していく感覚になってしまう。持参した大きな布で落ち葉を包む。ごみはお持ち帰りだ。それからやはり持参した布で祠を拭きあげる。うん、なかなか綺麗になった。別の濡れ布巾で自分の手を綺麗にしてから、バスケットから小さな台とお供え物を取り出して祠の前に並べる。地面に置くのは気が引けるからね。うん、なかなかいい感じ。
私は祠の前に跪き、手を組んだ。自分としては合わせるほうがしっくりくるんだけど、ゲームではルナがそうしていたからね。前世、修学旅行で行った神社で、ガイドさんが祈りは感謝だといっていた。私は泉に感謝を捧げる。冷たくておいしい水をありがとうございます。長い間、お礼もお掃除もなくてすみませんでした。美しく清らかな泉の精さま! ひたすら祈り続けていると、目をつぶっていても尚眩しいほどに、泉が光を放った。
私は組んでいた手をほどき、光を遮るように手をかざした。やがて光が収まると、泉の水面には美しい女性が姿を現していた。
「私はこの泉を守る精霊。人の祈りが途絶えて久しく、私は消えかけていたの。泉もこんなに小さくなってしまったけれど。あなたの祈りが届いて力を取り戻すことができたわ。ありがとう」
音楽的な響きで、精霊が告げた。やっぱり“純真”さは足りなかったようだ。お供えしておいてよかった。
「その祈りに応え、人を癒し、穢れを祓う力をあなたに授けます」
泉の精が手を振ると、キラキラとした光が私に降り注いでくる。体がふわりと温かくなった。なんとかゲーム通り、聖魔法をもらうことができた! よかった。
「泉の精さま、感謝いたします」
ゲーム通りのお礼をいう。次はこのままキラキラと輝きながら泉の精が消えていく場面になるのだけれど。まだはっきりくっきりと水面で輝いている。
どうしたものか。とにかく、私は祈りポーズを続ける。
「祠の掃除もありがとう。とても綺麗になったわ。それで……」
少し言い淀む泉の精を見上げて、私は次の言葉をまった。
「祠の前に置かれているものは、私に捧げてくれているのかしら?」
「もちろんです! お気にめさないものがありましたでしょうか?」
お酒はまずかっただろうか。
「いいえ、とっても嬉しいわ。大好きなものばかりよ。100年振りにようやく人が現われたと思ったら、祈りだけでなく捧げものまでしてくれるなんて」
泉の精はとっても嬉しそうだ。よかった!
「ねえ、気が利くあなたにお願いがあるのだけれど」
「私でできることでしたら」
生贄とかは勘弁してください。
「そのお花、とても美しいわ。でも、切り花は持たないでしょう? この泉の周りに植えてもらえないかしら」
この林では見ない花でとても気に入ったの、とおっしゃる。それくらいならお安い御用だ。
「承知いたしました。」
「ありがとう。お礼にこれを授けるわ」
泉の精が宙を小さく突くようなしぐさをすると。私の掌に現れたのは、虹色に輝く小さな球体。ビー玉みたいだ。
「水が必要な時にはその宝珠に祈りを捧げなさい」
「ありがとう存じます」
珠ごと手を組んで、私は感謝の祈りを捧げた。そこからはゲームの通り、キラキラと輝きながら泉の精は姿を消した。
よかった! 聖魔法だけでなく、宝珠というのも貰ってしまった。私は水魔法でコップ一杯の水には困らないのだけれど。これがあれば逃亡の旅で洗濯もできそうだ。
「泉の精さま、ありがとうございます!」
もう一度お礼をいって、手早く荷物をまとめると。私は急いでサロンへと戻った。今度はお花を植えにこないとね
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます