第8話 対決 王子


今日も今日とて、私は昼休みのサロンでウキウキと刺繍に勤しんでいた。これがお金になる手段が確保できたのだ! これまでとは作業のやり甲斐が全然違う。剣の師匠にもなってくれるというし、本当にシグルドさまさまだ。


私が使えるような剣を準備してくれるというので、そこも助かった。私としてはまずは木の枝からでもいいといったんだけれど。おかしなクセが付かないように、最初からちゃんとした剣で練習したほうがいいと苦笑していた琥珀色の瞳を思い出す。とても優しくて楽しい人だ。あの日、シグルドが剣を振っている場所に迷い込んだ幸運に感謝してしまう。


前世の世界では、竜を倒した神話の英雄がシグルドという名前だった。この世界にも竜がいるし、彼は冒険者だし、将来はとても強くなって大活躍しちゃったりして。攻略対象の皆さんみたいにキラキラしているわけじゃないけど、なかなかかっこいいと思う。地に足がついているというのだろうか。


いろいろ説明できないこと察してくれているのだろう、追及したりせず、私のお願いごとを受け入れてくれる。同い年、いや、なんなら前世の分だけ私のほうが年上のはずなのに。こういうのを包容力とか、頼りがいというのだろうか。やっぱり、学院生といっても冒険者として働いて自分で収入を得ているからなのかな。


家の名前に守られてのんびり学院に通っているだけの人にはない、社会人経験の強さ? 魔物の討伐をするというけれど、私の知っている彼はいつも穏やかで優し気で。剣を振っている姿を見たことがあるのに、戦っている姿はどうにも想像ができなかった。

「ふふっ」

あの燃えるような赤い髪に、刺繍のリボンを結んだ姿が思い浮かんでまた笑ってしまう。


急に一人笑いをした私に、サロンの隅に控えていたメイドが目を丸くしている。いけない、いけない。小さく咳払いをして私はごまかした、つもりになった。刺繍小物を売ったお金でシグルドに御礼をしようと思っていたけれど。黒い糸で小さく竜の刺繍をしたハンカチをあげてもいいかもしれない。だって、剣を振って汗をかいてもいつも手で拭っているから。ハンカチがあれば役に立つんじゃないかな。竜の図案を考えていると、サロンの扉が開く音がした。

「ヴィクトリア、ちょっといいかな」

護衛騎士を連れた殿下さまだった。


ここは学院に在学する最高位の女子生徒しか使えない部屋だから、王族女性が在学していない今は私以外入ることができないけれど。殿下さまは別だ。私よりも高位で、まだ私の婚約者。入室を断ることはできない。


どうぞ、と応えて私はメイドにお茶の準備をするように指示をした。刺繍道具を座っていたソファに置いて、殿下さまをテーブルに案内する。私が何をいわなくても当たり前のように上座に座る殿下さまは、やはり生まれながらの王族なのだ。


「御前、失礼いたします」

小さく膝をかがめて、私は殿下さまの向かいの席についた。メイドがお茶を運んでくる。かわいそうに、とても緊張している様子だ。私たちが婚約者らしい関係だった頃ならまだしも、今になってまさかこのサロンで王太子にお茶をだすことになるとは考えたこともなかったのだろう。それに、私が殿下のサロンに伺うことはあっても、彼が私のサロンに足を運んだことはこれまでなかったし。


私の前に置かれた茶器を取り、少しだけ飲む。形式的な毒見だ。この顔ぶれでは、メイドや護衛にやらせるわけにはいかないし。学院では普段しないけれど、自分が乙女ゲームの当て馬と知ってしまった今となっては、殿下さまと関わるときには何があっても言い訳のできるように念には念をいれて用心しておくほうがいい。


「お口に合えばよろしいですが」

ここでは私がお招きする側になるので、だんまりを決め込むわけにもいかず。ため息を隠してお茶をすすめる。

「いいお茶だ」

殿下さまが茶器を置いて、部屋に沈黙が落ちる。


「本日はどうされました?」

仕方ない、私が口火を切った。昼休みには限りがあるし、私はいつまでもここで殿下さまとにらみ合っていたくない。

「ああ、ちょっとヴィクトリアと話したいというか、気になることがあるというか」

この前のお茶会のこと? まさか別日にアポなし突撃してきて何かをいうなんて想定外だ。細かいことは気にしないで、ルナたんとご学友と仲良し活動をしていればいいのに。殿下さまには真実の愛を育む大事なお仕事があるでしょう。早く帰れ! 私は内職が忙しいんだ。


続く言葉を待っているのに、殿下さまはただ困ったような顔をするだけで。

「王太子殿下におかれましては、何か御不興がございましたでしょうか?」

苛立ちを慇懃さに隠して、私は殿下さまに尋ねた。

「不興ということではないのだけれど。実は、母上からいろいろね」


殿下さまが言葉を濁す。ああ、そういえば王妃さまが殿下さまとお話をつける的なことをいっていたっけ。対応早いな。それで、お母上さまにお叱りを受けた殿下さまは、なんで私のところにきたの? 云いにくそうにしているけれど、謝りにっていう雰囲気でもない。


「僕がね、いろいろ気が利かないことで君が学院で肩身の狭い思いをしているようだといわれてしまったんだ」

気が利かないんじゃなくて、気移りのせいなんですけど。王妃さま、お宅のかわいい王子さまに一体どんな話をつけたんだろう?


「君が執行部に入らなかったことが、学院でよくない噂になっているそうだね?」

執行部に入らなかったんじゃなくて、入れなかったんですけど。『お妃教育の時間確保のために』って理由をいいだしたのは他でもない殿下さまでしたよ、ゲームでは。今口を開くと不敬罪で殿下さまの後ろに控えている護衛騎士に捕まりそうなので、私はしおらしくも俯いた。


「実は、君だけじゃなくて、執行部員の婚約者の令嬢たちからも不満が出ているらしいんだ」

私、殿下さまに一言でも不満を申し上げたことがありましたかしら? 何時何分何秒に、地球が何回まわった時? あ、ここ、地球じゃなかったか。


「君たちを不安にさせてしまったことは、本当にすまないと思っている」

口ではそういいながら、舌の根も乾かぬうちに殴ったり銃を撃ってきたりする、24時間戦っている連邦捜査官をテレビで見たことがある。わかっている。相手にいうことをきかせたい時だけの決めゼリフだ。


「ヴィクトリアも、執行部員の婚約者の令嬢たちも。誤解なんだよ。母上にもきちんと説明したんだ。僕たちは本当に執行部としての活動をしているだけで、やましいことは何もないんだ」

どんな顔をしてそんなことをいっているのか、見てみたくて視線を上げる。目が合うと、殿下さまはとてもバツが悪そうな顔で。私から目をそらすためだろう、茶器を手に取った。お茶を飲んでいる間に、私はまた顔を伏せる。


「ルナは孤児院で育ったけれど、とても優秀なんだ。今執行部にいる男子学生は将来僕の側近となって国の中枢を支える人間になるだろう? ルナが教えてくれる庶民の生活のことはとても勉強になるんだよ」

殿下さまは、私のつむじに向かって言い訳を続けている。彼女を語るその声音はとても優しくて。以前は私にもそんな風に話しかけてくれていたのに、と少し切なくなる。


「ヴィクトリア、どうだろう? 今からでも執行部に入ってみないか? お妃教育はひと段落ついたと母上からきいたよ。ルナは孤児院育ちだから貴族のマナーはまだしっかりはしていないんだけれど、とてもいい子なんだ。君ともきっと仲良くなれると思う。君も将来王族になるのだから、庶民の生活を身近に勉強できるいい機会なんじゃないかな」

「私が、執行部にですか?」

今さら? お妃教育を口実にしてはじき出した張本人が何をいっているのだろう。その答えはすぐにわかった。ようやく声をだした私にホッとしたのか、殿下さまが少し表情をゆるめて続ける。


「ああ、さすがに執行部員の婚約者の令嬢たち全員を入れることはできないけれど、君が入ってくれれば活動の実態をみんなに理解してもらえるだろう?」

ああ、なるほど。私にアリバイ係になれというのですね。殿下さまたちが絆を深めていくさまを、特等席で指を咥えて眺めていろと。そして婚約者令嬢たちの不満を解消するために、私が“やましくない関係”を保証して彼女たちを納得させろ、と。なんてバカバカしい。ゲームとは違うけれど、ゲームより酷い。ゲームにはなかった幼少期を共に過ごした王子さま。こんなに無神経で、厚かましい人だったっけ? 大切にしていた何かが、少し欠けてしまったような気持ちになる。


私は口もとに微笑みを浮かべて殿下さまを見返した。

「よかった、ヴィクトリア。わかってくれたんだね」

「お断りします」

「え?」

「王妃さまからお聞きになっているかもしれませんけれど、私、慈善活動を始めたところなんです」

ソファの上に置かれた刺繍道具やハンカチに視線を流す。


「ああ、そういえば、そうだったね。でも執行部をやりながらでも、慈善活動はできるんじゃないかな。それに、君は特に親しい友達がいたとも聞いたことがない。ルナは本当にいい子なんだ。彼女に出会って、僕は貴族と平民の間にも、それから男女の間でも友情が成り立つとわかったんだよ。だから、君にも理解してほしくて。慈善活動も執行部として二人ですすめたらどうだろう。一緒に頑張れば、きっと仲良くなれる」

殿下さまは自分の素晴らしい思いつきを笑顔でごり押ししてくる。


私に特に親しい友人がいないのはね、王家に制限を受けていたからなんですよー。これから一緒に慈善活動って、私がお膳立てした成果を執行部として二人で分け合えって? さすが王族、ナチュラルボーン傲慢め。


いいたいことはたくさんあるけど、相手は王太子。私はぐっと飲みこんで笑顔を作る。

「申し訳ないのですが、今はこちらに注力したいのです。王妃さまにも許可はいただいております」

「母上に、そうか……」

殿下さまはようやく言葉を切って、お茶を飲んでいる。

しつこい勧誘トークも、お母上さまが許可したといえば引っ込むのか。あれ、私どうしてこの人のこと好きだったんだろう。


輝く金の髪に緑の瞳。目の前で優雅にお茶を飲んでいる王子さま。なんだか知らない人みたい。ずっとずっと大好きだった。この人のお妃さまになるために、ずっとずっと頑張ってきたのに。

今まで胸の奥にあった重たい気持ち。悲しいとか、寂しいとか、悔しいとか。そんなものが今の一瞬で気化してしまったようだ。残ったのは虚しさ。祇園精舎の鐘の音が聞こえてきそう。異世界だけど。


カチャリと殿下が茶器を置いた。

「君が執行部に参加できないことは残念だけど、そういうことならば仕方がないね。慈善活動、しっかり頑張って欲しい」

「恐れ入ります」

「僕たちも執行部のほうを頑張っていくけれど、いろいろ誤解されているんだっていうことを、君から婚約者の令嬢たちに伝えてもらえないかな」

こういうことは女性同士のほうがわかりあえるだろう、と殿下さまがいう。そうかなあ。婚約者同士が話し合えばいいんじゃないですかねえ。巻き込まないで貰いたいんですけど。


「機会がありましたら」

「頼むよ、ヴィクトリア」

私は頷いたりはしない、ただ微笑む。もちろん、機会から全力で逃げますとも!


「殿下、そろそろ午後の授業のほうへ」

今まで存在を消していた護衛騎士がいった。この噛み合わないトークタイムもようやく終了のようだ。

「ああ、もうそんな時間か。今日は急にすまなかったね、ヴィクトリア」

私はまた微笑んだ。気にしないでとか、いいたくない。王族には逆らえない私の、これはささやかな抵抗なのだ。


席を立つ殿下さまに、私も立ちあがって貴族の礼を取る。殿下さまのビカビカに磨かれた靴を見て、シグルドの、修理を繰り返して履きこまれているブーツをなぜか思い出していた。なかなか靴が動き出さないなあと思っていたら。


「ヴィクトリア」

また、殿下さまが私のつむじに語り掛けた。

「僕たちは将来国を導いていく人間だ。学院を卒業すれば城から出ることも滅多にない生活になる。学生のうちくらいは、気安い友達と気楽な付き合いを楽しみたいんだ」

「御意」

私には、それしかいえなかった。


「君にもわかってほしい。特待生だとか孤児院育ちだとかを理由に線を引かないで世界を広げる機会は今しかないんじゃないかな。僕のことばかり気にしていないでもっと学院生活を楽しんだらいい。難しいことじゃないだろう? 貴族の世界しか知らない王妃もどうかと思うよ」


私は高級靴を踏みつけたい衝動を抑えるために、ぎゅっと口を結んで手を握りこんだ。何も返さず、ただ頭を垂れる私の前を、殿下さまと護衛騎士が通り過ぎていった。王妃さま、本当に何を言い聞かせたんだろう。 殿下さまは全然わかっていないし、私があの髪飾りをつけていないことだって気づきもしなかった。『男の子ってだめねえ』。王妃さまの声が脳裏をよぎる。そうかなあ、殿下さまがだめなんじゃない?










  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る