第6話 対決 王妃
お茶会ミッションをこなしてから、侍女が妙に優しい。何才頃からか、随分と長く私についてくれている彼女。きちんと立場をわきまえていて、子供の私相手にも礼儀を尽くしてくれる人だった。母は社交に忙しく、姉妹のいない私は『お姉さま』という存在に憧れていて。幼い頃には侍女から決してはみ出さない彼女が少し寂しくもあったのだけど、今思えば、主家の子ども、しかも王太子の婚約者に馴れ馴れしくしていたら、今頃彼女はここにいないだろう。誰にも見つからないようにこっそりと、ちょっとだけ甘やかしてくれる。そんな人だった。
最近は露骨に私を褒めてくれるようになった。お妃教育に行くのをやめて、家で勉強をすることもなくなったのに何も言わない。ゆっくりすることも大切だといって、私の好きなおやつを出してくれたりする。雇い主である親にも報告をしていないようで、私のほうが彼女の今後の雇用状況が心配になってしまうのだ。
とはいえ、新しいことを始めた私に協力的でとても助かっている。
「お嬢様、追加注文の服が届きました」
「そちらに置いて貰える?」
侍女に指示をされ、抱えてきた服を置いてメイドが退室していく。
「また頑張らなくてはいけないわね」
私はニコリと微笑んだ。
最近、修道院や孤児院へ衣類の寄付を始めた。王太子の婚約者として慈善活動は大切だからね! というのは建前で。これは逃亡準備の一つなのだ。
庶民向けの紺や黒のワンピース、肌着や靴下などを購入し、そのまま寄付するのではなく。私に納品してもらい、小花や鳥などささやかな刺繍やリボンで縁どりを施してから寄付をしている。
「ワンピースは汚れが目立たない色味だけれど、女性としては物足りないでしょう」
「お嬢様手ずから……。私もお手伝いさせてください」
「ダメよ、私がやりたいの。お妃教育もいかなくなったし、こうしていると気がまぎれるのよ」
「お嬢様……」
「アンナはお茶の用意をしていてちょうだい」
「ご無理されませんよう」
そういいおいて、アンナが退室していった。
扉が閉まって少ししてから、私はそそくさと立ちあがる。刺繍糸を一束、数本のリボンを小さくまとめる。昼休みにサロンで作った、白地のハンカチを縫い合わせて作った袋に入れて、こっそりと学院の通学カバンにしまい込んだ。
特定の店に限らず公平性を保つためにと、何件もの店に少量ずつ注文して五月雨式に届く品々。学院の昼休みに作業するといってそれらをサロンに持ち込んでいる。時間をかけてあちこちに物を動かしていくと数字があいまいになっていくものだ。そこに付け込んで、逃亡時の服として既にサロンに一式、着替え分もあわせて確保している。見つかったら作業中といえばいいし。そもそもサロンのメイドは食事やお茶の給仕はしても、私の行動について直接何かをいってくることはない。こういうところは身分社会さまさまだ。購入数と寄付数が最終的に合わなくても、公的な予算ではく公爵家の会計で私が慈善としてやっていることなので問題にはならない。アンナや親が疑問を持たず、逃亡までごまかせればいいのだ。
刺繍糸やリボンは物によって使う分量が違うので更にごまかしやすい。アンナが学院持ち出し用に準備してくれる分とは別に、先程のようにこっそり自分で確保した分は、刺繍の後、寄付ではなくて売ろうと思っている。逃亡資金にはやはり現金が必要だけど。なんといっても公爵令嬢、現金を持つ機会がない。でも宝飾品を売ると目立つので、なるべく違う方法で密かに現金を増やしていきたいのだ。
売る手段は冒険者の彼に頼もうと思っている。いい人そうだったし、出会えてよかった。あれ、そういえば名前知らないな。ゲームの登場人物ではないから安心。最近は昼休みは内職に明け暮れていたけれど、そろそろ彼に会いに行こうかな。今さら王子の関心を買おうとして慈善活動しても無駄だと口さがない人もいるけれど。なんとでもいうがいい。これは私の資金調達なのだ!
これがお金になると思うと、心が弾む。ウキウキと刺繍に勤しんでいると、アンナが戻ってきた。
「今日のおやつは何かしら」
振り返ると、この世の終わりかというような顔をしたアンナがいた。
「お嬢様」
「どうしたの?」
嫌な予感。
「王妃殿下から書状でございます。明日、お茶会にお招きすると」
「明日?!」
ため息と共に、私は天井を仰いだ。王家! 息子が息子なら母親も母親ということか。お願いだから、週末くらい休ませて……
翌日。
「その髪飾りはいいわ」
鏡越し、緑石の髪飾りを手にしたアンナにいう。
「ですが、本日は王妃殿下とのお茶会ですし」
「いいの。また白いレースにしてもらえる?」
「承知いたしました」
おそらく、先日の殿下さまとのお茶会のことを訊かれるのだろう。壁に耳あり障子に目あり。この世界に障子はないけれど、お城の職員はみんな国王夫妻の手足であり耳目といっても過言ではない。殿下さまと二人で話すことはできないのだから、侍従さんたちの前でいえば全て国王夫妻に筒抜けなのは覚悟していた。でも、思ったよりも動きが速い。
学院での殿下さまとルナの親密ぶりが社交界で大きな話題になったのは随分と前。ゲームでは、ルナが王家や貴族たちに受け入れられるのは終盤。今はまだ、王子や高位貴族の子息に馴れ馴れしくしている孤児院の特待生でしかない。王家は私の味方のはずなのに、ここ半年以上。殿下さまが我が家にお迎えにこなくなっても、私が居心地の悪い学院生活を送っていてもほったらかしだった。
お茶会でちょっと物申したところで、てっきりまだまだ放置かと思っていたのに。今さらか、という気持ちはある。何をいわれるのかという不安も。ゲームでは、王妃に呼ばれるヴィクトリアというシーンはなかったから。
もしかして、ルナを追い落とせとか、害せとかいわれちゃうんだろうか。 王妃黒幕説? この世界には録音機がないし、お城の職員は王家の味方だろうし。
はあ、行きたくない。けれどここは身分社会。王族に呼ばれたからには行かねばならぬ……。怖いけど、緑石の髪飾りはつけない。もう二度と! ヴィクトリア、若干17才。でも、前世も合わせれば王妃さまより年上のはず。気合十分に、私はお城に向かう馬車に乗り込んだ。
案内されたのは王族の居住区にある王妃さまのサロン。何回かお招きを受けたことがあった。案内係の女官が開く扉をくぐると、王妃さまはもうお茶を飲んでいるところだった。ついてきてくれているアンナは壁際に控え、私は王妃さまの向かいにすすみ、貴族の礼を取る。
「アーヴィング公爵家一女ヴィクトリア、お呼びに従いまかりこしました」
「ヴィクトリア、元気そうでなによりだわ。そんな堅苦しい挨拶は抜きにして、さあ、座ってちょうだい」
「恐れ入ります」
私はもう一度小さく膝をかがめてから席についた。待機していたメイドがお茶を差し出してくる。
「あなたとこうしてお茶を飲むのは久しぶりね。学院のほうはどうかしら」
「お陰様で恙なく」
王妃さまの胸元を飾る立派なネックレスに向かって、私は貴族令嬢らしく微笑んだ。
「最近はあまり城に姿を見せないから心配していたのよ?」
「お陰様で、ご進講はほぼ完了と先生方に及第をいただきました」
「ええ、聞いているわ。でも、復習や講師たちとの交流がてら城に顔をみせてくれていたでしょう?」
「最近は慈善活動を始めましたので」
そう、と王妃さまがお茶を飲んだ。私もお茶を飲む。これで第一ラウンド終了といったところか。やっててよかった、慈善活動! 物資調達だけじゃなくて城に来ない言い訳にも使えたとは一石二鳥だった。王妃さまがカチャリとカップを戻す。第二ラウンドの始まりだ。
「素敵な髪飾りね」
「恐縮です。白いレースが今、王都で流行しているようです」
「とてもかわいらしいわ。私ももう少し若ければね」
「王妃殿下にはやはり煌びやかな宝石がお似合いかと存じます」
王妃さまがふふっと笑った。
「あなた、あの緑石の髪飾りはどうしたの、お気に入りでしょう?」
「大変美しい細工ですが、今の私には似合わないかと……」
「あなたももう年頃ですものね。新しい髪飾りを贈らせるわ。学院の制服にも似合うような大きな緑石のものを」
そうきたかー。王妃さまが相手では、いらないとは云えない。しょうがない。
「では、次の誕生日を楽しみにしております。今年はもう、万年筆をいただいておりますから」
「男の子はだめねえ。子供の時分に身に付けていても、大人になると使いにくくなるものもあるなんて思いもしないの。こういうことには気が回らないのよ」
殊更に明るい声でいう王妃さまに、私も笑顔を返す。そしてお互いにお茶を飲んだ。第二ラウンド終了か? カチャリとカップを戻して、王妃さまが小さくため息をついた。
「ねえ、あの子のことを許してあげて欲しいの」
おっと、いきなりとどめを刺しにきた。応とも否ともいわず貴族令嬢らしく微笑んで、私は少し俯いた。
「学院での噂は耳にしているわ。あなたが辛い思いをしていたであろうことも」
そりゃあ、知らないということはないでしょう。でも、知ってても知らん顔していたんじゃないですか。“気にしていません”なんて、いうものか。
「学院には常であればあの子とは縁のない子どもたちもいるから物珍しさもあると思うのよ。でもね、たとえ一時目移りしたとしても、婚約者はヴィクトリア、あなたなの。幼い頃から王族に嫁ぐための勉強を積み重ねてきた公爵令嬢のあなた以外の、誰が王太子妃になれるというの」
口もとに小さな微笑を貼り付けたまま、何も答えない私に王妃さまが言葉を続ける。異世界でも、中世くらいの文明度でも、やりがい搾取系上司は生息しているようだ。でも、以前の私ならともかく。前世の記憶を取り戻した今の私にはまったく響かない。王太子妃、殿下さまと結婚さえすれば誰でも自動的になれるんじゃないですかねえとしか思えない。
こういう時、何かをいえばそれを打ち返される。早く終わらせるには何も言わずにいるのが最適解。なるべく肩を閉じて自分を小さく見せる。ほら、私、気丈さとか矜持とか持ち合わせていないんです。言い返すこともできなくて、“未来の王太子妃”にふさわしくないでしょう? とアピール。同情ポイントが入ればなおよし。
「ねえ、幼い頃からあの子と支えあってきた絆を信じてあげてくれないかしら。あなたにとっておもしろくないことはあるかもしれない。私も公爵家の出身ですもの、あなたの気持ちもわかるのよ。だからあえていうけれど、これは王家と公爵家の契約なの。あなたやあの子の気持ちとは違う次元で定められていて、お互いに逃れることはできないもの」
私が顔を上げると、王妃さまが少し悲しそうに頷いて見せる。
「それならば少しでも幸せに生きて欲しいのよ。今は手のひらで転がすような気持ちで見守ってあげて。学院を卒業したら結婚するのだから、城に入ったら学院時代のことを逆手にとって尻に敷けばいいの。王子様だ王様だなんていったってね、男なんて所詮妻には頭が上がらないものなのよ」
王妃さまは茶目っ気らしくいうけれど。
「そうはおっしゃられましても……」
いつまでも無言でいると不敬といわれかねないので、語尾を濁してふわっと答えた。王妃さまは当て馬令嬢じゃないからいえるんです。王様が学院時代に浮気したって話も聞いたことがない。それに私の場合、そもそも結婚に至りませんから。大目に見ていたら婚約破棄されますから!
王妃さまが小さく息をついた。
「あの子には、私から少し話す機会を持つようにするわ」
私の返事を待つ素振りもなく、王妃さまがまたお茶を口にした。たくさん話しているから喉も乾くというものだ。
「あなたもずっと頑張ってきて、疲れも溜まっているのかもしれないわね。あの子とは長い人生を共にするのだから、今、少しくらい距離を置いてお互いを見つめ直すのもいい機会かもしれないわ」
いくら打てども響かない私に、王妃さまから休戦宣言いただきました。
「いずれ王族に連なる者として、慈善活動は大切なことよ。あなたにとって良い経験になるわ。しばらく自分のことに集中してみるのも気分転換になるでしょう。決して無理はしないで、また城に顔を見せにきてちょうだい」
「ありがとう存じます」
「ではね」
そんな風に、王妃さまとの一戦を終えた私は無事に帰宅を果たしたのだった。
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