第5話 侍女の忠誠
馬車の窓から王都の街並みを眺めているお嬢様に、私はお慰めする言葉も見つからなかった。腰まで流れる銀の髪、深い紫色の瞳。こんなに素晴らしい淑女に、あの王子は何が不満だというのか。
最近お嬢様は変わった。
新学年の初日、緑石の髪飾りを使わなかったのだ。それだけではない。お妃教育といって足しげく通われていたお城からも遠のいた。大体にして、お妃教育なんてほぼ終わっているのだ。それでも、お城に行けばなんだかんだと王子とお茶をしたりお話をしたりする機会がある。
本当の目的はそちらで、それは城の教育係もわかっていたけれど。お小さい頃からの教師陣なので、お年頃のお嬢様の気持ちを理解して、復習がてらのお勉強会をしてくれていただけだった。だから、行かなくなってもお妃教育には問題はないのだけれど。
心無い噂や人の目から遠ざかりたいのだろうと思っていた。でも、久々の王子の招きにも喜ぶ様子がない。お茶会当日、やはりいつもの髪飾りを断って、王子の瞳の色のリボンも拒絶した。お城でいつものサロンに通されてからの振舞いは、まるで初対面の王族にするようなものだった。
お城の護衛や女官もいる中でお嬢様に問い質すこともできず。ただ気を揉んで見ていることしかできなかったけれど。まさかあんなことを言い出すなんて。馬車に戻ってその真意を伺って、私は胸が締め付けられた。“幼馴染として恋を応援する”など。
小さい頃から長く、あんなに王子を慕っていらしたのに。
私がヴィクトリアお嬢様の侍女になったのは12年前。お嬢様が5歳の時だった。幼いながらに美しく、そして気高い少女だった。
私は子爵家の次女で、家は兄が継いだ。貴族に嫁ぐにはそれなりの持参金が必要になるけれど、兄に子供が生まれ、姉が嫁いだ後。妹が学院に入学して、ちょうど私の適齢期を迎える頃に天候不良が数年続いた。持参金なしで商家に嫁ぐ話も出たけれど、私は奉公にでることを選んだ。実家の寄り親である公爵家から令嬢付きの侍女にどうかと声がかかったから。
通常、公爵令嬢の侍女となれば子育ての終わった貴婦人に声がかかることが多い。貞節や思慮、対人関係などを一通りこなしている経験者だから。お嬢様の場合は事情が違った。その生まれから、将来、王太子殿下に嫁ぐことが見込まれていた。嫁ぐまでお世話をする者ではなく、実家からの使用人として一緒に城に上がり、王太子妃、いずれは王妃になっても。そのお傍近くで生涯に渡りお嬢様をお守りする、共に生きる人間が求められていた。
それだけにお給料は抜群によい。数年働けば妹の持参金は作れる。住み込みだし、生涯現役のお仕事だし。お嬢様が他国に嫁ぐとなればまた別だけれど、国内ならば里帰りもさせて貰えるし、公爵家でよい出会いがあるかもしれない。いずれ王族の侍女となれば実家にいろいろ融通することもできるだろう。その頃の私は、大した覚悟もなく打算塗れだった。
実際にお嬢様にお仕えするようになって高位貴族の厳しさを知った。いや、今までは“知ったつもり”でしかなかったとわかった。貴族といえど、家の中では家族らしく過ごすものだと思っていたけれど。高位貴族、この公爵家では家の中も貴族だった。朝晩の食事に家族は揃うけれど、会話といえば旦那様から各人に社交や勉強の進捗などを確認するような、まるで業務連絡ばかり。お嬢様は最近食卓につけるようになったばかりで、テーブルマナーが身につくまでは自室で乳母やメイドに囲まれて一人で食べていたそうだ。
お嬢様の部屋に隣接した部屋をいただいたけれど、夜泣きをしても、熱を出しても、奥様が姿を見せることはなく。翌日になって様子を見に来ることが常だった。それも、お嬢様を宥めるでなく、“一人で眠れないなんて”“体調を管理できないなんて”貴族として自覚が足りないとおっしゃる。
私は妹がいたこともあり、まだ10才にも満たない少女に今からそんなことをいっても意味がないと思い、『まだお小さいですから』ととりなしてみたものの聞き入れてもらえるはずもなく。所詮、私は雇われた子爵令嬢で。見つかれば叱られるので、こっそりとお嬢様の部屋で寝付くまで本を読んだりするのがせいぜいだった。
10才になり、お嬢様が王太子殿下の婚約者になった。そうなるだろうといわれてはいたけれど、実際に決定すればまた別だ。お嬢様は将来王族になる方として扱われるようになる。使用人たちも主家の小さい女の子として仕えていたが、将来の王族となればそこに『畏れ』が混じる。余計なことをして自分や実家にお咎めがあってはならない、と。食事や衛生管理などそれぞれの分担は完璧にこなすが、自分がやらなくてはいけないこと以外には手を出さなくなった。いいつけを断ることはできないので、声をかけられないように用事が済めば皆逃げるようにいなくなる。お嬢様の周りから、私以外の人の気配がなくなった。
それでも、お嬢様は王太子殿下の婚約者になったことを喜んでいた。お嬢様に付き添ってお城に上がるようになり、王子様と過ごすお嬢様のお傍近くで控える。王子さまは絵本から出てきたような、金の巻き毛に緑の瞳。今にも白馬に跨りそうな美少年で、お嬢様とも仲良くしてくれた。
ただ、王子様には将来の側近候補というご学友がいた。高位貴族の子息たち。男の子同士で遊ぶときには、お嬢様は呼ばれない。王子様とはいえ子供だから、女の子とお茶をするよりも、当然ご学友と遊ぶほうが好きなのだ。お嬢様が週に一度、二時間程度お城に上がるのに、ご学友は週に三度。半日を遊んで過ごしているらしい。ご学友とこんなことをして遊んだのだと楽し気に話す王子様に、不平不満を漏らすこともなくお嬢様はニコニコと頷いていた。
お嬢様はといえば、王太子の婚約者として貴族家との付き合いが偏ってはならないといいつけられ、仲良しのお友達を作ってあげることもできない。それでも、お嬢様は『将来立派なお妃さまになる』といって、婚約の際に贈られた緑石の髪飾りをつけてお勉強もお稽古も頑張ってきた。
学院に入ったばかりの頃はよかった。王子が公爵家まで迎えに来て、王家の馬車で一緒に登下校をしていた。王子に手をとられ馬車に乗り込むお嬢様の嬉しそうな顔。ご苦労が報われていると、私も嬉しかった。それが、馬車がこなくなり、お昼もお嬢様がお弁当をお持ちになるようになった。食堂で一緒に食べていたのに、それもなくなったようだ。あの王子!
孤児院から選ばれた特待生の少女に心を移したらしいという噂が、社交界に広がるのはあっという間だった。朗らかで誰にでも優しく思いやりのある少女だと専らの評判で。
確かに、なまじお顔立ちが整っているため、お嬢様は冷淡といわれてしまいがちだったけれど。王子はわかってくれていると、大丈夫だと思っていたのに。その特待生がどんなにご優秀でご立派な少女か知らないけれど、私のお嬢様よりも美しく気高く頑張り屋さんはいないというのに。みんな、何もわかっちゃいないくせに。
お嬢様は、距離のできた王子に手紙を書いたりお茶に誘ったり。緑石の髪飾りがいくら一級品といっても、何年も使えばリボンがくたびれてしまう。それでも、学院にはいつもつけていた。帰宅後には手入れをして飾り棚にしまうようになった。
心無い噂から誰がお嬢様をお守りするのか。学院に私がお供できないことが悔しい。せめてご自宅では心安らかに過ごせるようにと思っていたのだけれど、まさかこんなことになっていたなんて。
お嬢様には王子様しかいなかった。それなのに、あの王子!
お嬢様の口からあんなことを、自分のこれまでの全てを否定するようなことをいわせるなんて。でも、それでお嬢様が楽になるのなら。悲しくても、そういう道もいいかもしれないと私は思う。
けれど、お嬢様がどんなに王子の恋を応援しても。この結婚は王家と公爵家の取り決め。婚約から卒業後の結婚、そして王太子妃としての生活まで。予算も設備も人員も計画されて行政として動いている。噂に興じている貴族たちも、いざそれらが変更になるといえば途端に文句を言い出すだろう。お嬢様のためではない、王家や公爵家の権威を削り取り、自分達が少しでも優位に立つために。
同様に、王家も公爵家も破談など絶対に許さないだろう。お嬢様のためではない。自分達の権威を守るために。王家に間違いがあってはならないのだから。私は子爵令嬢に過ぎず、旦那様も含めて大人や権力、しがらみからお嬢様をお守りする力がない。せめて、そのお心が安んじられるように。どこまでもお傍にお仕えするしかない。それが私の覚悟なのだ。
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