第3話 襲来

私はスキップしそうになる足取りを抑えて、校舎に向かっていた。

体力づくりの散歩のつもりが、思わぬ成果を手に入れてしまった! 冒険者だよ、冒険者! 燃えるような赤い髪の細マッチョ。学院に通いながらだといっていたけれど、なかなか強そうだ。やっぱり、訓練だけしている人に比べれば、魔物相手に実戦している経験がものをいうのだろう。この貴族ばかりが集まる学院で、まさか現役冒険者に出会えるとは思わなかった。


聖魔法を横取りしたとしても、治癒や祝福の力を得るだけで、体力や攻撃力がつくわけじゃない。無事に国外に逃げるために巡礼者に扮しようかと思っていた。二つ向こうの国には、この世界で聖地と呼ばれる宗教の本山がある。巡礼はある程度の人数が集まってツアーのように移動するのだけれど、どうしたって市井の情報が必要だ。箱入り公爵令嬢だもの。前世の記憶を思い出したところで、他人に世話をされるばかりでこちらの世間の常識には疎い。お忍び貴族でございますとばかりな行動をしていたら、見つかって連れ戻されてしまいかねない。


そこで冒険者だ。学園の長期休みの活動だとしても、辺境近くで討伐をしているのであれば、ある程度旅支度や野営には詳しいと思う。それに剣も教えてもらいたい。攻撃力がない私だから、最低限の短剣の使い方くらいは身に付けておきたい。知り合いに女性冒険者パーティーがいたら紹介して貰うことも考えている。依頼料を支払って、冒険者仲間に扮して移動できるかもしれないしね。巡礼者より、こちらのほうが逃げやすそうな気もする。

「初日からなかなか幸先がよいね」

ウキウキと午後の授業に戻った。


それから数日は、昼食後も放課後も図書館へ通った。王都から各地へ延びる街道と地形、中継地、逃亡先候補となる街などを調べる。冒険者の知り合いができたとはいっても、なんでも教えてとお願いするのは気が引ける。自分で調べられる範囲の情報は集めるべきだと思ったから。


お陰様で今のところ殿下さまご一行とは出会うことなく済んでいる。本当なら新学年が始まって挨拶だけはしたほうがいいのだろうけれど。どうせ婚約破棄してくる相手だと思うと、行く気にならなくて。それに、ゲームの進行通りなら、今頃は執行部が始まっていろいろ盛り上がっている時期。ゲームでは執行部に入れなかった私が、殿下さまに不満を漏らして逆に諫められるというシーンがあった。いわゆる『物語の強制力』というのがあるのかはわからないけれど、顔を合わせないにこしたことはないと思う。勝手に真実の愛を育んでくれたまえ! とはいえ、ルナの相手は殿下さま限定というわけではない。御多分に漏れず、このゲームも殿下さまのご学友、将来の側近候補の皆さんも攻略対象となる。


殿下さま(権力)、騎士団長子息(武力)、魔法師団長子息(魔力)、宰相子息(知力)の4人。そこにルナ(治癒と幸運)という、なんともバランスのよいパーティー編成で竜の襲撃などの事件や困難を乗り越えていく。最終的に誰とハッピーエンドを迎えるのかはルナ次第だけれど。ゲームのパッケージに一番大きく描かれていたのは殿下さまだし、コミカライズ版のヒーローも殿下さまだったから、基本は殿下さまだと思われる。実際、私と殿下さまは疎遠になってきているし……。力関係を現実的に考えて、ただの特待生のうちはまだしも、聖女と呼ばれるようになれば、リスク管理として臣下や他国に渡すより王家としては囲い込んでおきたくなるだろう。無料の専属治癒師だもんね。魔法が遺伝するかどうかはわからないけれど、殿下さまと結婚させて上手いこと次代の王族に継承できれば尚よしというところだろうか。いけない、大人の事情を穿ってしまう前世の社会人的価値観がはみ出してきた。猫をかぶせておかなくては。


この世界で、貴族は大体何かしら魔法が使える。殿下さまは王族、しかも王太子なだけあって貴族よりも魔力がかなり大きいらしい、火魔法の使い手だ。私はといえば、魔力はそれなりに大きいはずなんだけど、水魔法が少し使えるくらい。少しというのは、いつでもコップ一杯の飲み水には困らないくらい…。一人旅にはお役立ちだからね。あー、水魔法使えてよかった!


貴族社会というのは不思議なもので。魔力が強い者は評価が高くなるけれど、令嬢だけは対象外というか。魔力の強い子供を産ませる母体としての価値は認められるのだけれど、魔法そのものを使うことははしたないといわれてしまう。高位であればあるほど、魔法ではなく、他人を使役して物事を行うことが貴族の証というか。なので、私も魔法の練習というのはほとんどしたことがない。だから練習すれば伸び代があるかもしれない。


「アーヴィングさま」

改めて魔力についての本を眺めながら考察にふける私を、控えめに呼ぶ声がした。

「ごきげんよう、皆さま」

私の当て馬仲間、攻略対象の婚約者令嬢たちだった。

「今日はお城へ上がられませんの?」

「ええ、お陰様でお妃教育もひと段落つきましたの。これからは頻繁に登城せずともよくなりました」

「そうですか……」


三人で気まずそうに顔を見合わせている。そうだよね、『お妃教育の時間を確保するため』という理由で執行部入りが認められなかったのは周知。それが当の私は放課後、図書館に入り浸り。殿下さまご一行が仲良し活動に勤しんでいれば“お察し”ですよね。でも今の私はそんなことを気にしている暇はないのだ。やらなければいけないことがたくさんあるからね。もの言いたげな三人をスルーして本に視線を戻す。面倒に巻き込まれたくないし。このまま立ち去って欲しい。


「アーヴィング様、少しよろしいかしら?」

「どうされました?」

本当ならば、場所を移しましょうといってあげる場面だけど。私は鈍感力を発揮する。椅子に座ったまま、顔だけを向けた。

「あの、これからお茶をご一緒しませんか? 少しお話したいこともありますし」

「まあ、ごめんなさい。もうすぐ迎えが来てしまうのよ。お話ならこのまま伺ってもよろしいかしら」

また困ったように顔を見合わせる三人娘。もう厄介ごとの匂いしかしないから、私は絶対にこの椅子から立ちあがらない。 絶対だ!


これで『では、また今度』となると思っていたのに。彼女たちは余程困っていたのか、周囲を気にして声を潜めながらも話を切り出してきた。


「最近の、その……。執行部についていろいろと」

「いろいろ、何かあったかしら? ごめんなさい、私役員ではないから」

「アーヴィング様ではなく、その殿下方についてよくない噂を耳にしまして」


発せられる言葉にぞっとする。ゲームにも同じシーンが確かにあった。殿下の側近候補たちの婚約者が、ヴィクトリアに彼らを諫めるように頼んでくる場面だ。


彼女たちはゲームの中のヴィクトリアと同じ、新学年こそは婚約者と上手くやろうと考えていたのに、話し合う機会も得られないまま益々距離が開いて不安になっている。同じ状況の婚約者令嬢同士で話し合い、当て馬チームの中でも学院でも、家格の一番高い女性である私のところにきた。あちらに王子がいるので、その対抗馬が必要なのだ。


「このような状況は執行部の評判も落としてしまいます。王太子殿下の婚約者であるアーヴィング様からお口添えをいただきたいのです」


ほら、きた。ゲームではヴィクトリアを先頭に執行部に物申しに行くが返り討ちにあう。わかっている。だから私はここで担ぎ上げられるわけにはいかない。

「何も心配ございませんわ」

私はニコリと微笑んだ。

「アーヴィングさま、では!」

「噂は噂。将来殿下のお傍近くで王家を支える側近になる方々の奥様におなりになるのだもの。今から雀のさえずりに惑わされるのはいかがかしら?」

「ですが、学友にしてはあまりにも距離が近い場面を見ている者も多いのです」

婚約者令嬢たちが言い募る。


「例えばその石を見て、『丸い石だ』と思うか、『黒い石だ』と思うか。同じものを見ても、それがどう映るかはその人次第ではないかしら」

信じるか信じないかはあなた次第です、と丸投げしておく。

「そんな……」

「殿下はいずれ至尊の冠をいただくお方。臣下の子どもに過ぎぬ私たちごときでは思いも及ばぬお考えがおありでしょう。口を挟むなど烏滸がましいですわ」

長い物に巻かれている宣言で、そちらの仲間に加わる気はないと表明。


「でも、アーヴィングさまは未来の王太子妃でございます。意見する資格は十分かと」

「……結婚すれば、でしょう?」

まずい。ため息と共に零れてしまった本音が、場を凍らせてしまった。婚約者令嬢たちの表情が驚愕に固まっている。

「あら、私そろそろ馬車が着く頃ですので、失礼いたしますわね」

令嬢たちが再起動して言葉を発する前に殊更に明るい声で告げ、私はそそくさとその場を逃げ出した。


「危なかった、これが『物語の強制力』?」

馬車に逃げ込んだ。背もたれに体を預け、一息つくと、石畳の上をガラガラと回る車輪の音が聞こえてくる。

執行部突撃イベントに発展しなくてよかったよ。これまでは、将来王太子妃になる者として学内の女子生徒の困りごとを聞いたりしてきたけれど、今となってはそんな余裕はない。婚約者令嬢たちの気持ちもわかるけど、自分の不安は自分で解消して欲しい。


「それはそれとして」

婚約者令嬢たちが私に突撃してくるということは、殿下さまご一行はどんどんと順調に絆を深めて行っているということだろう。自分では彼らについては『見ない・聞かない・話さない』を展開中だけど、こういうことで進捗を確認できてしまうとは。


今後のため、自分のために、彼らの状況を確認しておかないといけないのはわかっているんだけど。

「私だって、傷つかないわけじゃないんだから……」

記憶を思い出す前の私の恋心。逃げ出してしまったけれど、その跡地には今もぼっかりと穴が開いているから。それを見ないように私は逃げる準備に邁進するのだ。


前世でも同じようなことがあった。仲良しだと思っていた友達が、別の子と私の噂話をしていたのを聞いてしまったり。頼りにしていた職場の先輩に自分の成果を奪われたり。大丈夫、今は辛くても時間が経てばそれは段々と塞がっていって、いずれ気にならなくなるものだってわかっているから。友達や先輩に問い質しても、余計に自分が傷つくだけで良い結果にはならない。痛みを見せずに、これまで通りに振舞って、少しずつ距離を取っていくのが一番被害が少ない。


「ありがたいチートだよね」

自宅とお城と学院。狭い世界しか知らなかったゲームの私も、それを知っていたら、きっと、あんなふうに持て余した気持ちをルナにぶつけたりはしなかっただろう。


馬車の窓から流れる王都の街並みを眺めていると、あっという間に自宅に到着した。玄関扉をくぐると、執事が足早に近寄ってくる。

「お嬢様、至急のご連絡です」

「帰宅の挨拶もせずにどうしたの?」

「王太子殿下から書状でございます。明日、お茶会にお招きすると」

「明日?!」

ため息と共に、私は天井を仰いだ。週末くらい休ませて……。婚約者令嬢の次は、早々に殿下さまとの対決イベントが発生したのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る