第4話 妻の本心
奈子が家に戻ったのは、その日の夕刻だった。
僕は、何もする気が起こらず、夕飯は舞人と二人で外食でもしようと考えていた。
ガチャっと玄関ドアが開く音が聴こえたのは、ちょうどNHKの子供番組を舞人と一緒に観ていた時。
おかえりと言うより先に、大きなため息が出た。
リビングから玄関に向かって顔を上げた瞬間、絶句した。
奈子の隣にあの男がいたからだ。
「何しに来た?」
颯太は、引きつった笑顔を僕に向けて、リビングの床に正座した。
その隣に奈子も正座する。
「ママー、おかえりー」
まだ空気が読めない舞人は、奈子に抱き着いた。
展開はなんとなく読めるが、この二人から、これからどんな言葉が飛び出して来るのか、想像もつかない。
奈子は申し訳なさそうに舞人を膝に抱く。
「パパさんにお話があって……」
颯太は低い声でそう言った。
「子供の前でできる話か?」
つっけんどんにそう返すと、二人は同じ顔で俯いた。
「舞人。今からママとお話があるから、お部屋で動画観ててくれるか?」
「どうが、みていいの?」
舞人の顔が輝く。
「ああ、いいよ。パパのスマホを貸してあげるから、向こうのお部屋で見てなさい」
そういうと、舞人は喜んで、僕が差し出したスマホをひったくって寝室に消えた。
「で? 二人はいつから?」
僕はわざとそんな風に話を切り出した。
二人を見ていれば、昨日今日の関係ではない事が伺える。
「去年のお盆にね、颯太に連絡もらったの」
奈子はそんな風に切り出した。
「年明けに同窓会を企画するから、来ないかって」
「たまたまSNSで奈子の事見つけて。まさか結婚してるなんて思ってなくて……」
「いいよ、別に。同窓会ぐらい、僕が行くなって一言でも言ったか?」
奈子は首を横に振って強く否定した。
「そういう事じゃなくて、きっかけの話よ」
奈子は不満気に口を尖らせる。
「そう。じゃあ、続けて」
「最初は、懐かしいなって思ったぐらいで興味なかったの。同窓会にも颯太にも」
「そう」
「けれど、その連絡をきっかけに連絡を取り合うようになって、颯太からいろんな同級生の話とか聞いて、私ね、いいなって思っちゃった。明日の事とか、家の事とか、何も考えずに朝までお酒飲んで、クラブで踊って。キラキラして見えたの」
「わかるよ。だから僕は……」
「パパはいつも遊んで来ていいよって、君は自由だよって言ってくれてたけど、私に自由なんてないよ。パパは仕事で遅い。家事はワンオペで、結局舞人置いて遊びになんて行けないし……。私には限られた自由しかない。ダンスだって辞めたくなかった。パパとずっと踊っていたかった」
「いつだって一緒に踊ろうよ。そんなの……」
「けれど、パパはいつも疲れた疲れたって、もう年だからって。そんなパパに、私と一緒に踊ってなんて言えなかったよ」
初めて聞く奈子の本心。
大きな瞳からボロボロと大粒の涙を流しながら切々と語る、彼女の心の声を、僕はどんな顔で聞いたらいいのだろう。
「颯太が流す音楽はね、私を自由に踊らせてくれた。ああ、これだった、って思った。私、こんな風に踊りたかったって」
「そうか……」
僕は理解ある夫だと思っていた。
けれど、結局、大事な事は何もわかっていなかったんだ。今でもよくわからない。
けれどただ一つわかっている事。それは――
今、目の前にいるのは、僕が必死で守り、育ててきたパートナーではなく、一人の女だという事だけだ。
どこまでもまっすぐに、自由に、一人の
「私、颯太が、好きなの」
僕は生まれて初めて、心が壊れる音を聴いた。
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