第2話 妻の変化
正月休みはあっという間に過ぎ、一月も半ばを迎えた日曜日の朝。
カーテンの隙間から温かな陽光が差し込むリビングには、流行りの軽快な音楽と舞人の笑い声が響いていた。
軽快なビートが床を揺らし、奈子のステップがそれにぴたりと重なる。
舞人はぎこちなくも、馴染みの歌を口ずさみながら奈子の動きについていく。
「おはよー」
「あ、パパおはよう。すぐコーヒー淹れる」
慌ててキッチンに向かおうとする奈子。
「ああ、いいよいいよ。気にしないで続けて」
もうしばらく、二人の楽し気な様子を見ていたい。
時々、舞人が見せる才能の欠片と、奈子の成長を見つけるのが、僕は好きだった。
「パパー、シャッフルできるようになったー、みてみてー」
足を交互に入れ替えながら、なかなかキレのいい動きを見せる。
「すごいなー! じゃ、手も付けて」
「うん、こう? キック、よこ、うしろ」
エネルギッシュなリズムで、僕もついつい体が動く。
「こんなのできるかー? クロスウォーク」
ハウスダンスの足技を披露してみせる。
「すごい! パパー、かっこいい」
「パパはダンスの先生だから当たり前でしょ」
奈子は不満げに腕組をした。
いつもと変わらない朝だ。
しかし、一つだけ違う事がある。
奈子がうっすらと化粧をしている。
「どこか行くの?」
奈子は、思い出したかのように瞬きをして、頷いた。
「美容院に行こうかなって。髪、そろそろ切ろうかな」
「そう。予約してるの?」
「うん、多分」
「多分ってなに?」
「颯太の友達が働いてる美容院が近くにあってね、空き時間を聞いてくれたの」
美容院ぐらい、言ってくれれば僕だっておすすめのサロンの2、3軒は紹介できたのに――。
あの日以来、奈子はよくこの男の名前を出す。一日に数回耳にする名前に僕は不快感をどうにか咀嚼して飲み下す。
「5時だったらって予約取ってくれたのよ」
「5時からなのに、もうメイクしてるの?」
「ん? 早かったかな?」
「まだ、朝だからね」
「あのね、パパ。颯太ってDJやってるんだよ」
唐突にそんな事を言いだした。
「ふぅん、そうか」
僕は無意識に視線を舞人に向けた。柔らかそうな髪。潤った頬。好奇心旺盛な瞳。それらを見つめているだけで、心は随分と安らいだ。
「六本木のクラブでね、週末になると上げてるんだって」
「ふぅん、上げてるんだ? 回してるんじゃなくて」
「そう。上げてるんだって!」
奈子は人差し指を上に向けて、可笑しそうに笑った。
「ねえ、今夜踊りに行ってもいい?」
彼女の目は、舞人と同じように好奇心に満ちていた。
「もちろんいいよ」
舞人を妊娠してからと言う物、奈子はダンスを辞めていた。
自分の全ての時間を犠牲にするかのように、家族のために尽くしてきた。
腰まで伸ばした髪はたまに1000円カットで整えに行く程度。
服はしまむらやユニクロ。
「買えば?」と言っても「今度ね」と、僕や舞人の服ばかりに夢中になった。
奈子にとって、やっと手に入れた温かな家庭は何よりも大切だったのだ。
負けず嫌いな性格も加わり、若いママだからってバカにされないようにと、出来る限り完璧な母親を目指してるのも知っている。
お陰で舞人は、他所の子に比べて随分いろんな事ができるようになっている。
平仮名の読み書きに、簡単な足し算引き算。日常英語に、ダンスの基本的なステップまで。
奈子には感謝してもし切れない。
青春らしい青春を送らせてあげられなかった事が、唯一の僕の後悔と言っていい。
「せっかくだから、服も買ったら?」
「いいの?」
「どうしていいの? なんて聞くの? もちろんいいさ。せっかくだからおしゃれして行っておいで」
若さは刹那だ。
あっという間に過ぎていく。
奈子はまだまだ22才。
舞人も大きくなり、少しずつママじゃなくても大丈夫になって来ている。
僕は、彼女の青春を見たいと思った。
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