年下妻は幼馴染の腕の中で再び踊る

神楽耶 夏輝

第1話 妻が初めて朝帰りした日

 正月ムードも過ぎ去り、世間は通常運転モード。

 繁忙期の疲れが癒えないまま突入した、正月。三が日の暴飲暴食による胃の重さを未だ引きずっている。

 42歳という初老の体と、なかなか上手く付き合えない僕の不満と言えば、息子の舞人がなかなか眠ってくれない事だった。


 世間は大型連休を消化中。

 我が家の妻は、そんな時期に合わせて開催された中学の同窓会に出かけていて、今年5歳になる舞人を寝かしつけるのは僕の役目となっていた。


 ようやく穏やかな寝息が聞こえ始めた頃。

 玄関のドアが開く音がした。ヘッドボードに置いたデジタル時計は、0:25を表示していた。

「少し遅くなるかも」とは言っていたが、こんな時間になるなんて。これはもう朝帰りじゃないか!


 しかし、妻が結婚してから飲みに出かけるなどこれまで一度もなかった。

 もっとも、結婚当初、妻はまだ16才だったので、当然飲酒はできないし僕も酒を飲む習慣がなかったため、彼女は酒に対して不慣れである。


「たらいま~、うっふふふふ」

 随分、ご機嫌な声がする。

「ちょっと、奈子。お前飲み過ぎ、ちょ、おいって!」

 ん? 若い男の声が聴こえる。

 玄関へ向かうと、若い男の肩にぐったりともたれかかる妻のだらしない姿が視界に映った。


 男は僕に気付くと、にっこりと笑顔を見せた。


「こんばんは、パパさん。奈子、飲みすぎちゃって」

「あ、ああ。悪かったね。わざわざ送ってくれたのか」

「いえ、わざわざって事もないんです。たまたま俺んち、このマンションの向かいで。あ、俺は安藤っていいます。安藤颯太。奈子とは幼稚園からの付き合いで」

「ねぇ、そうたー、上がって、ね、パパいいでしょ?」

「ああ、そうしてもらいたいけど、もう遅い。彼も迷惑だろ」

「いえ、僕は一人暮らしだし、全然迷惑なんてないですよ」


 奈子の目は半分閉じていて、夢と現実の狭間にいるようだ。

 トレンチははだけて、丈の短いニットの裾からは引き締まったお腹がチラチラと見える。

 ミニ丈のスカートはせり上がり、僕は一刻も早く彼女を引き受けたかった。


 僕は彼女の足元に屈みこみ、ロングブーツのファスナーを下ろす。

 ブーツを足から引っこ抜きながら

「今夜はもう遅いし、またゆっくりお礼を兼ねてご招待させてもらおう、な、奈子、足上げて」

「ふにゃぁ~」

 寝ぼけた猫みたいな声を出し、奈子は颯太の首に両手を巻き付けた。

 僕はそんな彼女を颯太から引きはがし、上がり框に座らせる。

「申し訳なかったね。後は心配いらないから、もう帰ってもらってけっこうだよ。後日、妻に連絡させよう」


「え? 妻? 妻なんですか?」


「ん?」


「いや、あの、すいません。奈子がずっとパパって呼んでたから、てっきりお父さんだと思ってました」


「いや、子供もいるし、まぁ、親子ほど年は違うが、れっきとした夫婦だよ」


「えー! マジっすか。ちょ、びっくりしちゃって、ちょ、理解が追い付かないっす」


「幼稚園からの付き合いじゃないの?」


「まぁ、そうだけど、こいつんち親はあんまり学校とかにも顔出さなかったし、親の顔なんて知らないっすもん」

「そうか」

 どうでもいいが、失礼な若者だな。

 さっさと帰ってくれないかな。


 そんな事を思いながら、奈子の靴を脱がせて、お姫様のように抱きかかえた。

 玄関の外に、この失礼な若者を押し出してやりたいが、あいにく手が塞がってしまった。


「じゃあ、俺はこれで帰ります」


「ああ、そうしてくれると助かるよ。今日は本当に妻が迷惑をかけて悪かった」


「いえ~、全然迷惑なんてないっすよ、全然気にしないでください」


「そうか、じゃあ、おやすみなさい」


「そうたー、まったねー」


「奈子、パパさんにあんまり迷惑かけるなよー、じゃあ、また飲もうな」


 男はそう言って、ようやく玄関の外に出て行った。



 奈子をベッドに運び、コートを脱がせた。

 寝息を立てている息子の隣に寝かせると、急に母親の顔になって、舞人に頬ずりをした。

 化粧で少女の面影を消してもなお、僕の瞼に焼き付いているのは、少女――そう、15歳の頃の奈子だった。


 あれは7年前のこと。

 僕がダンススタジオを立ち上げて間もない頃、奈子がレッスン生に連れられて体験レッスンに来た。


「ストリートダンス、かっこいいなぁ、楽しそう! 私もやりたい」

 無邪気な笑顔をキラキラと輝かせて、下手くそなステップを踏んだ。


「今なら入会金も無料だし、中学生以上は3ヶ月間、月謝も無料なんだ。入会届を保護者に書いてもらって――」


「いいです。無理なんで」


「無理? どうして?」


「うち、こういうの絶対ダメなんで」


 そう言って、奈子は視線をつま先に落とした。


「そっか。まぁ、3ヶ月間は無料だし、やってみてから決めてもいいんじゃない」


 そんなビジネスライクに始まった僕たちの関係。もちろんすぐに特別な感情を抱いたわけではない。

 結局、彼女が親から入会届に印鑑をついてもらって来る事はなく、3ヶ月の無料期間を過ぎても、彼女はスタジオに通い続けた。

 友達のレッスンを見ているだけという体で、いつも夜遅くなるまでスタジオで過ごす日々。

 

 見ているだけで、随分いろんな事を吸収してしまった彼女は、スタジオの隅でいつも一人で踊っていた。その動きはレッスン生をもはるかに凌ぐほど上手くなっていく。


 僕は、彼女がスタジオにいる事が当たり前になり、講師と生徒という垣根を越えて、ダンス仲間のような関係を築いていった。

 一緒にダンス動画を撮り、SNSにアップしたり、難易度の高いステップをレクチャーしたり。


 いつしか、彼女は中学を卒業したが高校には行かなかった。

 昼間はファミレスでアルバイト。

 夜は遅くまでスタジオにいて、見学している。


 一緒にいる時間が増えるたびに見えて来る彼女の劣悪な家庭環境。

 体中にあざを作って、スタジオに駆けこんで来る事さえあった。


 しかし、僕の前で彼女はいつも明るかった。わき目もふらず、まっすぐこちらに突き進んで来る。

 特別な男女の関係を求めて来たのは彼女の方だった。

 奈子が16才のクリスマス。

 3メートルほどもある手編みのマフラーをプレゼントしてくれた。


「長すぎじゃない? これどうやって使うの?」

「これは……こうやって」


 僕の首に巻き付けた後、奈子は反対側を自分の首に巻き付けた。


「二倍、あったかいでしょ?」

「ああ、あったかい」


「私ね、先生と出会えて、自由になれたんだ」


「自由?」


「ストリートダンスは自由だって。正解はないよって。いろんな感情を表現していいんだって、教えてくれたでしょ」


「うん。人生はフリースタイルだ。ヒップホップでもR&Bでも、好きな音楽に乗せて自分を表現していいんだよ」


「今、私は、自分の全部で先生と一緒にいれて楽しいって、先生大好きって表現してるんだよ」


「そっか。ありがとう」


「私ね、もう家に帰りたくない。自分の人生を生きていきたい。ね、先生。私を自由にして」


「自由になって、何がしたい?」


「ずっと先生の傍にいたい。先生と家族になりたい」


 不適切である事は百も承知で、僕は彼女の想いを受け止める覚悟を決めた。


・・・・・・・・



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