西の少年と東の巫女

ありま氷炎

第1話 東の巫女

 その島では水の精霊と火の精霊が信仰されていた。

 北に住む民は水の精霊を、東と西に住む民は火の精霊を信仰していた。

 北の民が暮らす土地が最も大きく、連なる高山が行く手を阻むため、東と西の民は北の土地に踏み入れることはなかった。

 東と西は隣り合わせであり、その境目が曖昧だったため、常に争っており、何十年ごとに大きな戦を起こしていた。


「来るのね。うん。教えてくれてありがとう」


 トヨは真っ赤な炎のような髪をゆらゆらと揺らし、緑色の瞳を外に向ける。

 女というにはまだ早く、少女にしては歳を重ねすぎ、そのような微妙な年ごろの娘は立ち上がると、傍にいた妹に声をかける。


「ああ、嫌になるわ。あいつが来る。ヌイ。少し森に行ってくるわ」

「姉さん!」


 妹ヌイは姉そっくりの緑色の目を瞬きさせる。

 姉トヨがこうして祠から離れるのは日常茶飯事。しかも長老の息子がやってくるのがわかるとすぐに森に逃げ込んだ。

 トヨとヌイは姉妹で、火の精霊の巫女だ。正確にはまだヌイは違うのだが、トヨはいつもヌイを連れて祠へ通っていた。

 二人の両親はすでに亡くなっており、祖父母によって育てられていた。

 最近トヨに婚姻が持ち掛けれた。その相手は長老の息子ボラ。乱暴者でトヨが村で一番嫌いな男であった。

 巫女であるトヨは通常、処女性を大事にされ、婚姻については強制されない。しかし、すでに代わりのヌイがおり、同じく巫女の適正があることがわかると、長老から婚姻の話がもたらされたのだ。

 巫女とは言え、相手は長老。逆らうにも限界があった。

 トヨはいつかは大嫌いなボラと結婚しなければならないことをわかっている。しかしできるだけその時期を延ばしていた。

 火の精霊とトヨは話すことはできない。しかしその存在を感じることをでき、時折教えてくれることがある。

 ボラが祠近くに来るときは、いつも教えてくれるのでトヨはこうして森へ逃げ込んでいた。


「ヌイ。ここにいなさい。火の精霊が守ってくれるわ」


 結界を張るため、祠の周りには石がぐるりと置かれている。その中に入れるのは巫女の資格があるものだけ。ヌイはトヨと同じく火の精霊を感じることができる存在であり、祠の結界に入ることができた。


「姉さん、すぐに戻ってきてね」

「うん」


 トヨは妹に笑いかけるとすぐに森へ駆け出す。

 ヌイはすぐに結界の中に入った。

 姉同様、彼女もボラのことが苦手で、大声を出されると体が自然と竦み、顔を上げることができないくらいだった。


「くそっつ。またいないのか」


 ボラはすぐに姿を見せ、舌打ちした。

 不思議なことに結界内のヌイの姿は見えていないようだった。

 

「逃げても仕方ないのになあ。まあ、追いかけるのも楽しいか。狩りみたいだしな。そのうち、その服をひん剝いてモノにしてやるがなあ」


 下卑た笑い声をあげ、ボラは祠を後にする。

 ヌイは乱暴者の姿が視界から消え、へなへなと座り込む。

 姉があのような者と結婚するのが嫌だった。

 だから、ヌイは火の精霊にお願いする。 

 どうか、姉がいい人と巡り合えるように。その人が姉を連れて行ってくれるようにと。

 巫女は自分が代理でできるし、巫女のうちは誰も彼女に手を出せない。

 なので、ヌイは姉の目を盗んではそう火の精霊に願っていた。


 その夜、トヨの帰りは遅かった。

 戻ってきたトヨは興奮気味に、今日出会った人についてヌイに語った。


「その人ね、とても優しいの。ボラとは大違い。髪色も目も同じ色なのに、ぜーんぜん違うのよ」


 トヨの会った人は、西の民の青年だった。

 薬草を探していて、間違ってこちらの東の森へ踏み込んでしまったらしい。見つけたのがトヨであったのが幸いだった。もしボラや他の男衆が見つけていたら彼の命はなかっただろう。それくらい、東と西の民の中は険悪だった。

 トヨやヌイは巫女であることもあり、同じ火の精霊を信仰する民なのだからと、否定的な気持ちを持ったことはなかった。

 それからも、トヨは森へ出かけ、その青年と逢瀬を続けていた。

 そしてとうとう、二人の交際はボラにばれてしまった。

 

「私の体はすでに巫女にはふさわしくありません。次代の巫女はヌイへ。私は村を出ます」


 トヨはそうボラや他の民の前で話し、村を出ていった。

 すでにトヨはヌイにもしもの時の話しており、覚悟はできていた。


 正式に火の精霊の巫女となったヌイは、それよりもずっと火の精霊の存在を近くに感じることができていた。

 トヨが西と東の中間にある森で、東の民の青年と暮らしていること、幸せであることを火の精霊から教えてもらった。

 本当ならば会いに行きたいところなのだが、ヌイの周り、祠の周りには常に誰かが控えるようになっていて、気軽に外に行くことができなくなっていた。けれども巫女としてヌイは敬われていて、危害を加えようとするものはいなかった。あのボラでさえ遠巻きにヌイを見るだけだった。

 

 一年後、異変が起きた。

 ある夜火の精霊が騒いだ。

 トヨが病気だと教えてもらい、長老に伝えたがすでに東の民ではないと一蹴された。何度も頼み込んだが聞いてもらえず、自身で行こうにも阻まれた。心配で過ごした夜が過ぎ、火の精霊がヌイに激しい怒りを伝えると、一気に祠が燃え上がった。

 東の民は騒然とし、ヌイは姉の身に何かがあったのではないかと長老たちに訴えた。

 そんな騒ぎの中、ボラが姿を現した。

 彼は煤に包まれた姉の首飾りを持っており、西の民に殺されたと言った。ヌイや長老たちが問うと、彼はある小屋に彼女たちを案内した。

 すでに小屋というより残骸であるその場所。

 残骸の中心では、二人の黒い塊。

 一つの塊がもう一つの塊に刃物を刺して、その形で黒焦げになっていた。

 刺されている塊は小さく、女性であったことがわかる形をしていた。


「トヨは殺されたんだ!」


 ボラの声を合図に、東の民が各々に叫び始めた。

 嘆き、怒り、そんな声だ。

 ヌイはそれを他人事のように聞いていた。

 姉であった塊、それを撫でる。ぼろぼろとそれは崩れていく。


「恐れ多くも火を使ったのですね。火の精霊はすべてを知っています。誰が何をしたのか」


 ヌイには真実はまだわからない。だけれども、姉が愛した者に殺されたことは真実ではない。それだけは確信していた。

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