第6話
どれほどの眠りであっただろうか。まるで永く続く悪夢から目醒めたかの如く重い瞼を開くと、灰色に塗り固められた壁に掛かる窓の、その鉄格子の合間を縫って蒼白い光が這入り込んでいるのが見えた。
身体は未だに軋んで動かぬほどに重く、全体的な倦怠感が更なる不快感を募らせる。少し首を動かして、焦点の合わぬ眼で辺りを見回すと、如何やら病室の一角の様な空間で寝ていたらしく、無骨にも鉄骨を丸出しにしてある粗悪なベッドには、良く洗濯されたシーツが奇妙なまでに綺麗に敷かれ、皺の一つも見受けられぬ状態である。それはまるで、今まで私が寝ていたとは考え難いほどのものであった。
部屋を見渡すと、四畳半程度の広さの小部屋であり、壁は抗菌質に混凝土製で、杭が幾つか埋め込んであるのみである。床は薄緑色のリノリウムで、その艶やかな色の濁り方に冷んやりとした印象を受ける。
扉は先に見つけた窓の向かい、頑丈にも鉄製の無骨な扉には窓も取り付けられておらず、床に面する部分にレコードの丁度はいるほどの隙間があるのみだ。
少し硬い粒子の入った枕に、力を抜いて頭を置くと、再び差し込む光が目に入った。その明るさの先から、何やら女の声らしきものが聞こえて来る。首の角度を曲げて、冷えた壁に耳を当ててみるが、その厚みのせいもあって、言葉一つ聞き取ることも出来なかった。
諦めて頭を離すと、私は大きな欠伸と共に関節の凝り切った身体を伸ばしてみる。マットレスはその負荷を感じ取り、ギュウウっと音を軋め、私の脱力と同時に静寂へと返った。
良く良く考えてみよう。私は如何なる状況に立たされているのか。…いや、正確には現時点で直立している体勢ではないが、これは勿論比喩的な表現の一部だ。…かくのごとく下らぬ冗談しか絞り出せぬ程に、私は何も覚えて居なかったのだ。
確か、私はどこかに向けて不気味な回廊をただひたすらに進んでいたわけであって、目を覚ましたならば斯の如く状況下におかれるには些か不自然であるだろう。一体何者かが私をここまで誘ない運んだのか、それとも私の身体が勝手にここまでやってきたのか。
まあ、先ずは自らの身体を観察してみるとしよう。無地の下着の上に病衣の様なものを羽織ったのみの装いで、少し肌寒さも感じる程の薄着である。かつての紳士服の装いに、外套を羽織ったのからは、ほど遠いものであった。
次に少し日焼けた手で顔周りを触ってみるが、肌質は中年特有の嫌な脂も、皺や面皰も無いことから、青年期後期かそこら辺の年齢であると推定された。爪や髪、髭なども手入れがされている様で、つい先日にでも美容院に通ったかの如く、仕上がった格好である。あゝ、これはまさしく触り慣れた私に間違いはなかった。多少の安堵も虚しく、まわりに広がる未知の空間が飄々と存在するために、私に焦燥を忘れさせない。
ようやく上半身を起こすと、マットレス同様、私の身体は節々が軋んだような音を立て、多少の痛みをも伴うほどである。足をぺたりと床へつけると、其の感覚で暫く、ベッドに腰掛け乍ら少し脚のすくんで立てないまま、部屋の埃を神秘的に照らし出す一条の光に意識を吸い込まれていった。
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