第4話

 私は、恐る恐るその鍵穴に合った形をした鉄鋳品を差し込む。そして右手を捻ると、妙に重みのあるように感じたが、見事にカチリと封の解けた感覚が伝いきこえた。その時点で、若干の寒気で頭をやられた私の脳には、靄のように正常な思考を遮るような不快さがあって、身体全体の関節もギチ々と重くなったようになっていた。


 然しその扉の先には、尤もそんな症状など一蹴してしまうほどの狂気で満ちた光景が待ち望んでいるのであった。


 まず部屋というものは、一般的に玄関の先に靴を脱ぐところが設けられており、その先より廊下があって各部屋へと分岐しているはずであるが、私の前に広がるものは深淵であった。もっと詳しく語るならば、黒っぽくゴツ々とした皮膚のような奇妙な素材が、筒状に拡がって、扉から先に緩やかな下り坂をつくりながら、より深層は目視できない状態である。私は近づき、その壁面を触ってみると、やや湿り気のあって冷たく、まるで爬虫類や両生類のような心地である。さらに触覚により静かに拍動しているのが分かり、私は驚愕した。生きている感じが、まるで無機質なはずの部屋という観念をひっくり返されたために、私はその時を境に不安から好奇心の混ざった微妙な昂揚感へとかわって、自身のうちで沸きたつ変哲を感じずにはいられなかった。


 その洞窟は緩やかな渦をまいて、わたしの意識も自然の内に、その中心点の方へと吸い込まれるように、視覚的な何もかもを支配されてしまったようになる。


 私はその奇妙な床に足をつける。靴底をつうじて、その生物的な何かが私の重みに微弱に反応するのを感じて、鳥肌がたち、何とも申し訳なさとかの罪悪を感じる。だから、あまり強い刺激のないようにゆっくりと浮き立つように、深い闇の方へと歩みを進めてみる。


 幸いなことに、手持ちランタンを携帯していたので暗がりでも辛うじて探索を続行できた。


 奇妙に渦の巻く方へと追いやられて、微かに磯臭いぬるま風の通り抜ける方向へ歩を進めているうちに、私の思考はまともを保っていられないようになった。いつまで経っても特別な変化もなく、常に周囲をとり囲む硬質な肉壁からは周期的な収縮運動がみれて、湿度もずっと上がっているように感じる。歩き始めてから幾星霜経ったであろうか。確かめる手段は、手首に巻かれた時計のみであったが…何と驚くことに時計に刻み込まれた数字が、全く未知のものとなっているではないか!私が読めるのはアラビア数字とローマ数字、漢数字も三までならば見分けがつくが、これは一体何語であろうか。蛞蝓の絡まったようなものや、海藻の揺らいで並んだような模様など私の知るところではない不可解な文字で、時計盤は最早本来の機能を失ってしまったようだ。


 書き手でもある私は、この体験が将来的に地上へと帰った際に自身の著作として、名が知れるものとなるやも知れぬなどと、淡い期待を旨として益々の好奇心をかき立てられ、先には慎重になっていた足取りすら早く流暢なものとなっていた。不思議と口角の上がるのを感じて、私自身もそれを抑え込もうと眉間も力んで、汗がこめかみを伝い始める。そうすると全身の筋肉までも緊張してきて、私の言うことすら効かず命令すら勝手に下されるようになる。


 脚は自然と歩みを緩めることもなく淡々と進み、ランタンを持つ腕も定位置から外れることなくただ先の方を微かに照らすだけである。目はその暗い方に釘付けになって、ただひたすらに単調な奇妙な通路のその先を眺め続けていた。

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