第1夜 捧月姫カフカーディア

 ある日、一人の若い男は壊れた孤城こじょうに訪れていた。


「……歌声?」


 黒服を纏い、美丈夫と知られるその男は誰にも知られずにここまでやってきた。

 城、というには誇張こちょうで、廃墟はいきょと呼ぶには過言かごんだ。

 人々が今も住まう貴族の城、ではないから誇張。

 誰もいない城の廃墟、ではないから過言だ。男は父が抱く妻たちの喘ぎ声にも似ている歌に耳をませた。


「……どこからだ?」


 低い声で男は熱が胸にこもる感覚を抱く。

 今まで聞いてきた女の歌で、こんなにも聞き浸る物は聞いたことがない。

 男は声の方へ城へとみ入った。

 冷たい寒風かんぷう、血に塗れた壁。

 床には汚らしい衣服を纏った骨ばかりが転がっている。城の悪辣あくらつな歴史が詰まった部屋を開ければ開ける度、男は不快感を覚えた。


「……ここでもないか」


 男は舌打ちをして、耳から離れない女の歌を探す。


「どこだ!? どこにいる!?」


 声を荒げ、男は瓦礫がれきまっていないある一室にたどり着いた。扉の下から光が差し込んでいる、歌声の主の声が鮮明せんめいに聞こえて来るではないか。


「……ここか」


 男は、古びた扉を静かに開ける。

 部屋の一室、と評するにはあまりにも広く、血痕を帯びた青いカーペットが続いている。壊れた天井には燦々と瞬き、俺たちの国の唯一の明かり。

 太陽の代わりとすら感じる月の月明りを浴びる者が、そこにいた。


「……?」


 そこには、白い少女がいた。

 壊れたガラスの破片のような少女が、そこにいた。

 透き通った淡雪シュネー色の髪。春に咲く紫藤ウィスタリアの瞳。

 死人の肌と連想してしまうほどの青白い肌。月光の輝きをまとわせた美しいドレスのすそが荒れ果てた地面に付き、華奢きゃしゃな少女の体は秋の涼風すずかぜに震えることなく、夜空をながめている。

 手を祈るように指を組む少女は唇から歌をらしていた。

 彼女が歌を……そう気づいた男は少女に近づき、ひざをつく。


「お前が、捧月姫ほうげつひめか」

「……だぁれ? 貴方は、だぁれ?」


 歌声の少女は振り返り、弱弱しく告げる。

 捧月姫ほうげつひめ、彼女たちを形容するための称号だ。

 月に向かって祈りを捧げ続ける姫巫女メディウム、それが捧月姫と人々は語り継いでいる。

 男は胸に手を当て、優しい声で名乗る。


「俺はクラウディウス。クラウディウス・ウィル・メーガン。君の名は?」

「……カフカーディア、カフカーディアよ。さなぎに眠る蝶……それが私」

「……? 君は人間だろう?」


 捧月姫ほうげつひめである姫巫女メディウムたちは達観たっかんした考え方の者が多いと聞く。

 あまり意図が読めない例えに、男、クラウディウスは疑念を抱く。


「……貴方は、どうしてこんな孤城こじょうに?」

「俺はお前が夜を与え続けている、この国の王子だ」

「……この国の王子? ここの王族たちは全員死んだはずだわ、だからわたくしがここにいるのだもの」

「生き残った姫の血縁の者だ、今は他の城で生活している。曾祖母そうそぼたちは、絶対にここに来るなと言われていたが、俺がこの国の王子だからこそここにきた……どうか、祈り歌を、歌を歌うのをやめてくれ。カフカーディア」

「……なぜ?」


 少女は不思議そうに首を傾げる。男は真摯に少女に頼み込む。


「俺たちは昼の元に戻りたいんだ……俺の曽祖父そうそふも、そのまた祖父からも、ずっと俺の代に至るまで、この国で夜が続いている。捧月姫ほうげつひめは、天候を操れると聞いている……君が、この国に夜をもたらしているのだろう?」

「……わたくしは、ただ歌っているだけよ。捧月姫ほうげつひめにそんな力はないわ」

「ならばどうか、聞いてくれないだろうか? 歌を一度やめて、一週間、それがだめなら三日、一日だけでも、皆に昼を見せてくれないか?」


 王子は捧月姫ほうげつひめに頭を下げるが、捧月姫は強く首を横に振った。


「嫌よ、嫌。だって、わたくしはあの月に祈りを捧げているだけ。あの光に願いを込めているだけ……たったそれだけのことを、どうして貴方のために祈りをやめなくてはいけないの?」


 カフカーディアはクラウディウスの願いを拒否する。

 ぐっとクラウディウスは耐え、己自身のために、己の国民のために彼にカフカーディアに訴えかける。


「……俺の祖先の悲願でもある、戦争は終わったんだ。もう、君が泣く必要も、歌を歌い続ける必要はない」

「いいえ、歌い続けなくてはいけないの、それがわたくしの罪だから……私の贖罪しょくざいのために、あの月に向かって祈りを捧げるの」

「……カフカーディア、どうか聞いてくれっ」

「ダメ、ダメよ。わたくしは守らないといけないの。約束だもの、だから私はあの月に祈り続けます……今日はもう、お帰りなさい」


 カフカーディアが折れず、目を閉じた。

 クラウディウスは立ち上がり彼女に向ってはっきりと宣言をした。


「……わかった。俺はまた、ここに来る。その代わり、明日から毎晩毎晩、おいしい馳走とワインと果物を持ってこさせよう。君が折れてくれるまで、な」

「……なら、お話だけ、聞いてあげる。お話だけ、なら」


 クラウディウスは背を向け、扉に手を触れながら告げる。


「今はそれでいい……では、またな」


 クラウディウスはカフカーディアのいる孤城こじょうから去り、彼は必ず彼女を絶対に頷かせると固く誓ったのだった。

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