住めば都なんかじゃない

 あの時の続き

 19歳~20歳の間、私は7歳の続きを生きている気がした。まるで二つに枝分かれしたもう一つのルートを行っているような感覚だった。心の内側も環境も大きく変化した。変化し過ぎて現実味がなかった。

 そして私は今、15歳の続きを生きているような変な感じがする。15歳で選ばなかったルート、生まれ変わっていないのに人生の2週目な気さえしてくる。だが、体は変わっていなくても魂だけはひょっとしたら2週目かもしれない。なんだったら15歳の続きではなく、8歳の続きと言ってもいい。それくらい懐かしい気持ちだ。私の自然体はこんな感じなんだろう、こんな感じだったのだろう。

 今までの自分にはいつもどこか違和感があった。

「あれ?私こんなだっけ?」

「あれ?いつもこんなこと気にならないのに」

「あれ?私どうしちゃったんだろう?どうすればいいんだろう?」

 そんなことを月に一度は思っていた。

 あれは"優しくて皆に好かれる自分"という役を演じていたことによる影響だった。過剰適応というものは恐ろしいなと改めて思った。環境が良かろうが悪かろうが適応自分の怖さを思い知った。


 嫌いな言葉は"住めば都"


 昔から嫌いだったし、今も嫌いだし、嫌いで正解だ。

「SILENT HILL2」のあるキャラクターが地獄みたいな環境にすぐ順応する姿を見て私はおぞましくて仕方なかった。他人事とはとても思えなかったからだ。ゲーム実況を観ながら色んなキャラクターに自分を投影していた。特に3種や6種体癖のキャラクターともなると自分を照らし合わせて自己理解を深めたくなる。

 私は自分のことを分かってなさすぎる。いいや、本当は認めたくなくて目を逸らしているだけだ。しかし、目を逸らしていたって、目を閉じていたって私の瞼の裏には、脳裏には映し出されるんだ。心の内側を。


 ある動画で「環境が合わないと性格が悪くなる人もいる」と聞いてようやく自分の気持ちを受け入れる準備ができた。

「あぁ、私はずっとずっと合わない環境にいたんだ...」

 私は別に根が良い人ではないが、自分に都合の悪いことはしない主義だ。効率の悪い努力は嫌いだからだ。"真面目"なのは都合が良いからだ。私は確かに「学生の時はから上手くいっていた」と自分で言った。そして再確認してみても間違いではなかった。性格が悪いのは元からだが私は"真面目"な振りをするのでそんなに露呈しない筈だった。それでも性格の悪さは顕著だった。

 そんな自分が嫌だった、後悔していた、辛かった。


 でも、今でこそ思う。

 あの時、性格が悪くて色んな人と仲悪いままで良かった。仲良くなりたかったし、嫌な思いをさせて申し訳なかったと思うけれど、あれ以上距離が近くならない方がお互いの為だとも思う。私は正当化してしまうことを恐れていたが、恐れていては問題は解決できない。綺麗事並べないで現実をちゃんと受け止めよう。

 私の心がずっと夢で訴えていたことを正直に。


 輝いて見えた私の学校生活は本当は"苦しみの温床"だった。


 良い思い出や楽しいことがなかったという訳ではないが"人生のピーク"と思っていたものは自分が作り上げただった。


 全部破壊したくなった。燃やしたくなった。


 自分の写真がほとんどないアルバムを受け取ったとき、行き場のない怒りで胸がいっぱいだった。


 自分の母校は嫌いだ、中学校も高校も。

 本当は見たくないし、思い出したくない。行きたかった学校でもない。仕方なく行った学校で、家庭の事情で選んだ、担任の先生にすすめられた学校だ。


"学びの場所"という意味では最高の場所だったと思う。成長させてくれる経験はたくさんできて、貴重な時間を過ごすことができたことも真実。


 自分に合わなくて多大なる悪影響を受けて過剰に適応して精神を消耗させていたことも、苦しみを誤魔化す為に辛い記憶の上に楽しい思い出を覆い被せていたことも真実。


 時々見る、学生に戻って「卒業した筈なのに!!」と焦る夢は思い出を美化するのはやめろという忠告だったのかもしれない。目が覚めるとがっつり汗をかいていて胸の動悸を感じるくらいには嫌な夢だった。夢の中で感じていた違和感は本物で早く幻想から醒めろという訴えだったんだろう。

 私の心は残酷なことをする。

 美しい思い出のままでいればがっかりしたり悲しんだり憎んだりしなくて済むのに。


 しかし、そんな防衛反応はもう必要ないと思った。もう役目を終えたという感じがした。今までの自分は常に威嚇体勢だったと知った。性格の悪さが目立っていたのも自分の身を守る為だったと改めて思った。20歳の時に自分の心の闇、悪魔みたいな自分がいることを知り、共に生きることを選び、本当に自分を守る時以外は外に出してはいけないと心に決めていた。

 しかし、ずっと外に出て闘うような状況にいて、私は戦闘モードでいることにすっかり慣れてしまった。闘う相手がいなければ自分と闘い始めるくらいに攻撃的になってしまった。


 苦しみぬいて悟るまで。


 心理学を勉強する前から気づいていたことはたくさんあった。子どもの頃から合理的に動いていたことが多々あった。そのせいで周囲とうまくやっていけてなかったかもわからない。荒れた家庭の中で穏やかな自分は異常で孤立していた。同じように荒れた学校や荒れた職場で孤立して私はつい寂しくなって合わせてしまった、自分にとって良くない波長に。行き場のない、独りで生き抜く力のない私は誰かの力を借りるしかない。社会的にも身体的にも精神的にも弱いことは自分でわかっていた。

 しかし、その時の私は自分の能力をわかっていなかった。適応力をうまく使うことができなかった。自分のことをよくわかっていなかった。悪い環境なのか普通の環境なのかすらわかっていなかった。自分にとって良くない環境からの脱出は可能だったのにそれをしなかったのは、自暴自棄だったりいけないことだと思い込んだり、立派な人間にならなければ脱出できないと思っていたから。洗脳や支配で脱出口を塞がれていることに気づけなかった。私はよく上司に自己管理能力が足りないと言われてきたが、実際には自己管理ができないようにされていたのが正しい。

 無理の利く体の上司とは違い、私は無理の利かない体。食事や睡眠管理ができてなくても働ける上司と違って私は管理できないと体調を維持できず働けなくなってしまう。その証拠に今はほとんど体調を崩さず正常に働いている。風邪を引かないことが不思議に思えてくるくらいにすぐに風邪を引いて瞬く間に体がボロボロになっていた。ボロボロになっても働けるようにするくらい頑張って栄養管理、睡眠管理、ストレッチ、整体、ストレス発散させて回復させていた。


 時たま何の修行をさせられていたのだろうかと思う。


 しかし、これも私がなりたい自分になる為の試練だったのかもしれない。私がいた環境も出会った人も私が欲しいものを手にする為には大切な役割を持っていた。そしてその役割を終えたから縁が切れた。本当にお坊さんの教え通りになって一層宗教というものが面白くなった。宗教勧誘や狂信的な父や事件の発端となった団体によって私は宗教嫌いだったが、自分を成長させたくれた家族や幼馴染のお兄ちゃんお姉ちゃんの"教"で再び宗教に関心を持ち、苦しみぬいて悟り、ブッダ様と同じ答えにたどり着き、精神科の先生や心理カウンセラーなどの意見で宗教とは何なのかを知りたくなり、私の原点にかえった。

 私は仏教の考えが面白いと思っているが最初に触れたのはキリスト教で、子供の頃から親しみがあって自分に合っている気がする。とは言ってもどちらのことも全然詳しく知らなくて面白くて参考になる"文学"に過ぎない。ユダヤ教やキリスト教の倫理的根本原理を簡潔に示したモーセの十戒は私の生きる基盤にするのにちょうど良いと思って興味を持った。以前から自分にとって"戒め"を作っていたがモーセの十戒の本質を知るまではただ苦しいだけの手枷足枷に過ぎなかった。私の戒めは同じ轍を踏まない為の道標。


 私を苦しめる為ではなくて、苦しまないようにする為のもの。


 私は自分の嫌いなものに対して疎い。好きなものには関心があって、嫌いなものには無関心で、関心を持ってしまうと徹底的に排他したくなる。嫌いな何かの為に大事な気力を使うなんて勿体無いと思い、考えないようにしてきた。だからといって意識しないでいることは自分を大いに苦しめるのだと学んだ。



 組織にいて自分の悩みを相談しないのは心を開いてくれない奴だ、なんて思われそうだし、思いつく話題もなくて会話を維持させようと思って軽く打ち明けてみた。相談に乗ってくれた方は嫌いなものに敏感だなぁ、損害回避すごいなぁと思いながらアドバイスを聞いているとあっさりと解決策を出されて呆然としてしまった。


 自分を苦しめているのは他でもない自分の適応力だった。


 少々嫌いな人がいたって良いじゃないか、私にだって嫌われるとこあるわけだし...という自身の思考が成長もさせてくれるし、苦しめもする。

 合わない何かに合わせることはできても、合わせるのにエネルギーを使う。努力しなくても合う"何か"は自然体でいられる、エネルギーを使わなくて楽だ。


 "回避"しようとしない自分を私は明確に認識した。問題を気にしないで流すか、何かしら対応しようと勉強するが、"避ける"という手段が頭をよぎらなかった。誰かに頼る選択を取らないどころか考えもしなかった。

 自分にとって良い環境を選ばない、今ある環境に馴染むように働きかけている。それが自分にとって良くなくても工夫すればなんとかなると無意識に努力する。目上の方に相談しても何も変わらなかった過去に囚われているのかもしれない。幾度も助けを求めて助けてもらえず自力でなんとかするしかないと悟った20歳のままの心だと今更気づいた。前の環境と違うと頭でわかっていても、自力で頑張る癖がついている。助けを求めたって自分でなんとかしろと言われるか、自分には無理とか、分かったと言って結局何もしないことがあまりにも多かった。

「どうせ誰も助けてくれない」

 病院の前で母が足を怪我して、誰も手を差し伸べてくれなかったとき私は、生きる術を自分で身につけてなければならないと心に決めたのだ。捻挫した足の応急処置を知っていればあんなに足が腫れずに済んだのに...私がもっと詳しければ...。

 病院の受付で母のことを助けるように呼び掛けていた女性はいたが、敷地外だからと私と同じように断られているのを見てより一層絶望したのかもしれない。心優しい見ず知らずの女性も力になれなくて悔しそうだった。これが現実なんだと私は心の奥深くに刻んだのかもしれない。


 だけど、私が道端で体調を崩したとき助けを求めたわけでもないのに駆けつけてくれた人がいた。誰も助けてくれないは...嘘。

 ちゃんと助けてもらった。

 あの憎き病院も数時間も待たされたが、手当てはしてもらった。日本での出来事でもなかったし、正直あそこにどんなルールがあって、何を基準に動いているかはわからないから責めることはできない。一つだけ確かなのは足を怪我した人に歩いて来いと言うのはどうかしているということだけ。


 助けを求めても解決できなかったことは山程あるから、もう助けを求めることに意味を感じていない。相談するのもめんどくさいと思っている。しかし、相談をすることの重要性を語られて考え直すきっかけになった。組織としても個としても、相談をしたりトラブルを回避するのは大切なこと。私は今までずっと独りの世界にいたのだとようやく知った。自分にとって合わない環境で、ほとんど孤独だった。組織の中にいても、孤独を感じていたのは心を閉じることでしか自分の身を守ることができなかったから。そして、中立の立場を貫き通したかったから組織の中で孤立するのはやむを得ないことだと再認識した。



 家族内では対立は日常茶飯事で、幼いながらも「もう少し相手の気持ちを考えられないものだろうか」と思っていた。両者の言い分を聞くとどちらも間違ってるとは思わなかったことが多い。血の気が多いなとは思ったが。今では不仲で良かったと思える。意見の合わない人とずっと一緒にいるのは辛いから喧嘩が絶えないのは仕方ない。

 私とパトちゃんは...まあ...性格が真逆で毎日対立しては疲弊しているけれど、喧嘩するほど仲が良いというやつだな。お互いに意見をぶつけても関係が崩れても元に戻ってしまうのだ。パトちゃんが嫌で仕方なくなったとき、まず最初に離れたいという気持ちが来て、次になんでこの人はこうなのか?私がおかしいのかという考察とジャッジが始まる。分析して考察して誰かに相談しても余計に自分の気持ちがわからなくなって、最終的には本当に嫌だったら多分違う行動を取っているからそこまでではないということがわかる。嫌でも対話を試みる、理解しようとする自分がいる。

 私は自分が三日坊主で何でもすぐ投げ出すことをよく知っている。だからこそ出来ることはしたいし、投げ出すことを防ぎたい。出来ることをやり尽くした後に諦めたいと思うのだ。諦めるのが早いから成長の機会を逃したことは何度でもある。つい最近も腹が立って匙を投げたくなった。どんなに手を尽くしても嫉妬されている、うまくいっていないと感じると「私がやらなくてもいいんじゃないか!?」と放り出したくなる。

 機動戦士ガンダムSEED DESTINY の心に深く残った言葉を言ってみたいものだ。ONE PIECE にも色々日常で使いたくなる名言があるが、一旦自分の言葉にしてそれを言ってる自分を想像する。

「私の立場になりたいんだったらなれよ。別に好きでやってるわけでも、自ら選んだわけでもないんだ。あなたが求められていることが出来ていないから選ばれていないってわかる?私の立場になったら私がやってる仕事を処理しきれるのか?」

 こんなことを言えば当然揉め事に発展するし、脳内シミュレーションで自分が言った言葉にも異議ありとなった。上が下す判断が必ずしも正しいとも言えない。私は改めて様々な情報を整理して考えてみる。私に嫉妬している人の言動、上司の言動、仕事の基準など考えてみたが変な判断が下されているように思えなかった。このまま私が上手に仕事をこなせなければ梯子を外してもらえて、仕事がしたい奴ができるのでは?と悪い思考がよぎった。

「あぁ私ってば悪いことを考える時だけやる気になっちゃうんだよなあ」

 独りで悶々と考えても仕方ないので首を振って気持ちをリセットさせた。疲れてくるとどうしても自己防衛に走る。楽がしたい、嫌われたくないという気持ちが大きくなっていることに気づいてありのままの自分を受け止めようと努力した。

「まだまだ未熟なんだ、私は。うまくいっていない現状を受け止めなくては。嫌われても仕方ないのだ」

 そう自分に言い聞かせると随分楽になった。私が色々思い悩んでるのは何度も過去に同じような問題を放り投げてきたからだ。難しくてやってられない問題用紙をポイッと投げるみたいに。

「今回はそれをやらずにちゃんと向き合うと決めたんだ。冷静になれ」

 人の4つの欲求のタイプで"司令型"気質があるから自分に向いてる働き方をしてみれば違う世界が見れるかもしれない、うまくいくかもしれないと思ったのだ。思い返してみると、"良いチャンス"とは思わず"メンドクセエ役割"ぐらいにしか思っていなかった。自分の仕事振りが認められたから、もらえた役割という認識もあったといえばあったが、それ以上に面倒くささの方が勝った。ぬか喜びに終わったのはもう過ぎたこと。諦めてしまえばいつまでも経ってもできるようにはならないと思い、とりあえずやれるとこまでやってみようと気持ちを持ち直した。私の人生もそうだ、やれるだけやってみよう、生きられるだけ生きてみよう。


「疑問に思っていることは私の中に留めず思い切って相談してみよう!後で、ミスして怒られたくないし!」

 幸い今の上司は昔の上司のように全部私に丸投げするタイプではないので相談しやすい。上の方々も気を遣って声をかけてくださったのでお言葉に甘えて相談してみた。非常に有意義な話し合いが私もなんだかすごく満足した。思えば過去にもこういう話し合いはたくさんしてきたんだよなぁ。病んだり怒ったりしてすぐ諦めてしまっただけで。


 いや、でも本当は"給料"に満足していなかったのが一番大きな要因なのかもしれない。スキルが増えて、仕事量も増えて、この給料?だったら違うとこでチャレンジしてもいいんじゃね?と私は思ってしまう。


 私は周りが想像してるよりずっと現金な奴だ。


「お金が無いから元気が出ないのかなあ」とパトちゃんに相談したとき「お金はガソリンなんじゃない?」と答えて、とてもわかりやすかった。確かにバイクだってガソリンが足りないとパワーがなくなっちゃうもんな。

 周りの人が私のことを真面目で、頑張り屋で、優しくて謙虚な人だと思いがちだが、褒められると違和感があって、悪く言われると納得してしまうのは自分が善人を装ってるだと思ってるからだ。ゲームでも善人の振りをしてお金を稼ぐのはとても楽しい。私の好きなことはお金の巡りを良くすること。稼いでは浪費していたのは、ただ病んでいたからではなく本当に好きなことだったかもしれないと最近思うようになった。それを肯定的に捉えてくれる方もいて、今の環境を結構気に入っているのかもしれない。

 小学校の時だったかいつだったか定かではないが、お金の循環システムの絵を見た影響かもしれない。はたまた、好きなお店が潰れてショックだったから存続させたい想いがあったからかもしれない。もしくは買いたいものを買い損ねて入手困難になったことで早めに買いたいという思いがあって、お金を使う癖がついただけかもしれない。

 お金を使うタイミングや目的の見直しを行ってから浪費をしないように心がけているが、面白いことに希望も夢も抱けなくて病んだりした。大きな目的の為に小さな消費を減らした筈だったのに先が長いと思うと、目的のも小さな消費もどうでもよくなってしまうくらいには辛くなっていた。それだけ私は短気で、短期間に自分の様々な欲望をお金で叶えていたのかもしれない。私は先のことを考えるが、考えすぎると辛くなってくるから、あまり考えないようにしている。それでも先が長いことを体感してしまう。創作だってそうだ。嫌でも感じてしまう。だからこそ作業厨になってしまえばいいと作業に没頭する術を身につけたが、これが新たな苦しみになった。疲れていたり、体調が悪いときに作業できない異常なストレスに変化する。

 よくよく考えたら没頭する術を身につけるも何も元から作業厨なのに、勝手に自分の努力が足りない怠け者と勘違いしてさらに自分を追い込んでいただけだった。そして怠け者って努力が足りてないのだろうか?例えばコアラの主食はユーカリで、その毒を処理するのに体力消耗して何時間も寝ているからある意味めっちゃ努力している。私の体もそうなのか?何かの毒を処理したり回復させようとして頑張っているのに怠けているなんて思っているのか?本当は気持ちの切り替えができてなくて自分にとって良い方を選択してないだけか?

 前から思っていて、ある研究者の意見で確信したことだがベッドでゴロゴロしたり、休んだりすることが心や体の回復に繋がるとは限らない。私は休み過ぎるとイライラしてくる。気持ちよく体を動かしたり、作業したい。1ミリも体を動かしたくないときはさすがに休むけど、そうでないときは普段通り過ごすのが一番楽で、回復しやすいのではないかと思っている。それがわかってからは随分とメンタルが安定した。

 今の仕事を初めて、ある時から左目が痙攣けいれんし、体調も崩してしまって相談に乗ってもらったときにようやく自分が生産性のあることがしたいのだとわかった。自分で発した言葉に自分自身が一番驚くくらいには一人でいると、自分のことがわからなくなる。外に出たり、コミュニケーションを積極的に取ることを勧められた。昔は何も考えずにそれをしていた。それが自分に良い行動だと思っていた。

 しかし、いつからか殻に閉じこもるようになっていた。無駄かそうでないか意味があるかないかばかり気にして、行動に移せなくなってしまった。こんなことをする時間があるなら、絵の練習や勉強や家の掃除をした方が良いと思いながら最終的には何も出来ずに苦しんだことがなんと長かっただろうか。

 本当は無駄だと思っていた行動にもちゃんとした機能があって、やめない方がうまくいくのだと知った。なんだかんだいって合わない環境で生活してみて良かったと今は思える。学ぶことは多くあったし、変な行動の機能も知ることが出来た。私は最初の内に苦労して後で楽したいタイプだから苦労してきて良かったと半分くらいは思う。もう半分はあの頃しか出来なかったことをやりたかったという思いもある。        

 まあ、でも割と自分の願っている通りになっているなあと最近は感じる。高校生の頃も最初に頑張ったから後はそこそこ楽出来たと思う。

 ついこの前まで高校生の頃に出来なかった、もしくはやらなかったことを悔やんだりしていた。ただ自分が全て悪いと思っていた出来事も、実は案外理不尽なことだったと知り、過去の思い出が壊れて未来が描けなくなってしまっていた。記憶の連続性って本当に大事なんだなぁとぼんやり思っていた。


 しかし、スキルのことを考えればまた繋ぎ直せるとわかった。


 思い出が壊れても、スキルは健在なままで、連続性を持たせることが出来る。私はまだ未来を描ける。思い出も一部は壊れたがまだ残っているものはある。他者との関係が全てじゃない。過去の私と現在の私と未来の私という関係だってある。最近見た星街すいせいさんの"綺麗事"のMVは深く心に残った。本当に不思議なもので、彼女と私は発信者と視聴者という繋がりしかなくて彼女は私を知ってさえいないと思うのに、彼女の歌も映像もまるで自分の心を映しているようだ。


 そうだ、私はいつも遠くを意識し過ぎる。果てしない距離に感じているだけで実は案外そうでもないこともある。脳が錯覚しているから遠く感じているだけだ。

 絵を描く為のシャーペンと紙はいつだって手元にある、スマホだってある。手を伸ばせば届く。なのに果てしなく遠く感じる、体が重くなる。それは私が絵に対する意識が高すぎる、目指す者の存在が遠すぎる。自分で用意したハードルが高すぎて億劫になっている。楽しむことを忘れている。

 エッセイを書くというウォーミングアップばかりして満足してしまっている。たった一歩を踏み出すことを恐れている。創作をしていると嫌でも向き合わなければならないからだ。自分自身と、自分の技量と。やってきた良いことも悪いことも、やってこなかったことも全部。仕事だってそうだ、今まさにやってこなかったことと向き合おうとしている。


 高校生の頃、仕事で悩んでいたときに母に実に冷たい言葉を受けた。

「仕事は誰かと仲良くする為に行くのではない」

 ごもっともだけど、給料を半分家に収めている娘に対して言うことなのかとも思う。私だって仲良くする為に仕事をしているわけじゃない。辛くてもやらなければならないから少しでも楽しくしたい。

 辛すぎる記憶だが、そんな言葉が今となっては骨身に染みる。誰かと仲良くする為に仕事している訳じゃないにしても、無意識に嫌われたくないとは思ってしまう。しかし、それでも嫌われるようなことをするのが与えられた仕事。指摘、指導、誘導、監視、内通、報告、連絡、相談。

 別に今更だ、中立の立場を選んだときから私は"橋"だ。孤立するなんて今更だ、家庭内で孤立して生きてきたんだ。一時期についたけれど今はもう違う。今までだって"誰の味方でもない"を貫き通してきたじゃないか、何を躊躇している。中立の立場でいることは誰の味方にもならない、誰の敵にもならないということ。お互いの情報は流さない、話さない、詰まるところ私は"スパイ"だ。中立は義務じゃない、私が選んだことだ。私こそが"裏切り者"だった。それだって今更だ、人を裏切り続けてきたんだ。

 やっていることが全部裏目に出ている気がする。中立になったとは言え、中立になったわけではない。都合の悪いことを避けようとした結果がもっと都合が悪くなっただけだ。大体そんな感じだ。しかも、中立の立場にいる人とすぐに意気投合してますますどっちつかずの苦しい立ち位置から離れられなくなった。相談なんてするんじゃなかったと後悔しても後の祭り。どの立場の人とも共感できる部分はあったが、結局意見が一番合って、落ち着ける場所は真ん中で、色々知ってしまったからには後には引けない。事情というものは知れば知るほどに今までと同じ考え方が出来なくなる。

 狭間で生きていく覚悟を決めたのだった。そして私にとって狭間で生きることは、任されているものを放り出さないことであり、嫌われ続けることであり、嫌なものと向き合うということである。

 嫉妬と真っすぐ向き合うのは初めてではないし、もっと辛い嫉妬ならいくらでもあった。ただ、問題を起こさないようにするのは骨が折れる。自分との対話ではないから本当にエネルギーを使う。相手と向き合って、相手が理解できるように嚙み砕きながら、相手のペースに合わせて話す。自分に求めているものを相手に求めないように。完璧を求めないように、必要以上のことを求めないように。しかし、残酷な現実は伝えなければならない。相手が変化を拒むのなら、今の私にはどうしようもないが出来る限りのことを尽くした上で諦めたい。私だって変化を拒んできた人間なのだ、変化する理由を見つけることが出来れば変わることは出来る。

 自分のトラウマを乗り越える勇気、もしくは執着の諦め。成長したいと思いながらも自信がなくて拒んでいた。責任を負いたくなくて、つい言い訳がしたくなる、誰かの、何かのせいにしたくなる。しかし、それに気づいて受け入れる空の器さえ用意できれば成長することは出来る。

 私は色んなものをよく失くす。失くさないように気をつけていても失う。失いたくはなかったが、結果的に失って良かった。ある有名なマンガで失くしたものはいつかまた見つかるが、捨てたものは返ってこない、ということを学んでからずっと心に刻んでいる。

 大切なものを自ら切り捨てる覚悟を決めて、お別れをしたからもう戻って来ることはないんじゃないかなと思う。前に離れたことはあったが心残りがあって引き寄せてしまったのかもしれない。

 縁が切れる前に前兆があるとすれば、身につけていたお守りが壊れたことだっただろう。あの日は奇跡が重なってものすごく満たされた一日だった。だからブレスレットのワイヤーと一緒に縁も執着も切れた。消化できずにいた思いが消えた。あの場所に置き去りにしていた過去の私を迎えに行ったから。


 私が私を呼んでいたのかもしれない。

 あそこにいた私はずっと待っていて、見失った自分はずっと彼女を探してさまよっていた。

 私はどちらか選ばなければいけなかった。

 自分自身を受け入れるか

 否定して自分の心を殺し続けて、寂しさを誤魔化す為に仮面を被り続けるか。


 置き去りにした自分を取り戻してから止まっていた時計の針が動き出したみたいだった。というか家にある時計も正常に動くようになった。電池をいくら入れ替えても時間がズレたり、止まったりして困っていた。短い間に何度も電池交換するようなら他に何か問題があるかもしれないと言われたが、どの時計を直すか迷っている間に随分と時が経って結局新しいものを迎えて失くした。

 そんな時はひいばあさんのことを思い出す。話にしか聞いたことはないが、ひいじいさんは戦争トラウマを抱えていて暴れることが度々あったのだとか。突然家のお皿を割り始めてひいばあさんは大変喜んだらしい。

「やったわ!新しいお皿を買ってもらえる」

 凄まじいセリフに私は脳を焼かれた。

 そのおかげでお気に入りのお皿を割って、心も砕けたときに立ち直ることができた。ひいばあさんのつよつよメンタルを見習って強く生きていこうと思った。

 私は強さには自信はないが、強欲さには自信がある。

 そして欲張りな自分が好きだ。

 どうやったらもっとお金がもらえるだろう。

 どうやったらもっと上手になれるだろう。

 具体的には何をすればいいのだろう?

 そんな思いで流れてくる動画を見ていた。大量に流れてくると流石に鬱陶しくて、興味あるないで仕分けていたが、ふとその中の一つを視聴してみた。


 パトちゃんにイライラしていたので、どうしてこの人がこうなのか、私は何をすればいいのか調べていたときに中々的確なものが見つからなくて最終的にその答えを出してくれたのはビジネス関係の動画だった。色んな記事を読み漁ったりもしたけれど、私の持っている知識を越えてこなかった。

 しかし必要だったのはワンフレーズ。実は自分の中にたくさん情報はあって、足りてないのは発想の転換だったりする。割とすぐにパトちゃんとの問題は解決して自分の問題を解く為に見続けた。

 私はどうしたら成功するのか。目から鱗が落ちるような思考や方法もあったが、大半は共感できるし、すでにやっている。それでいて、私が成功していないのは大きなため息が出るほどにシンプル。しかし答えは知っていた。


 自分がそれを拒んだから。


 自分に自信がなくて、責任を負いたくなくて、大変な思いをしたくなかったから。大変な思いをし続けていれば、自分は壊れてやりたいことが出来なくなる未来を思い描いていたから。

 実際にはではなくだった。私は恐れている未来を常に作り続けていて、それがずっと現実として反映されていた。


 しかし、一本の電話が特異点となって全てを変えた。デスストランディング2のトレーラーを見たあの日に。

 "推し"と出会ってから私は再誕した。

 "推し"に「それ、多分気のせいです」と言われてどれだけ救われたことか。


 気に病んでいるだけ。


 そんな気がしなかったわけではない。だけど、認めてもらえることでどれほど気持ちが楽になるのか知らなかった。

 だって私は誰も信じていなかったから。

 医師も自分も周りも。

 "推し"を信じることが出来たのは、同じ症状で対処法がほとんど一緒だったから。それも不確実でほとんどプラシーボ効果みたいな方法で。

 まるで性別の違う双子の片割れに言われたみたいだった。赤の他人で年齢も名前も何も関係ないのに。


 神経質だから肩凝りなのか肩凝りだから神経質なのか。恐らく前者だろうが前向きに捉えている。


 神経質で凝り性だから私はやりたいことが出来る。仕事で評価される、創作を楽しむことが出来る。

 これはただの代償。

 頑張っている何よりの証だ。良い結果を出せても悪い結果を出しても、出したことには変わりない。


 昔、顔も思い出せない人に私はこう言われた。

「君が苦労している理由を教えてあげよう。それは君が何かに挑戦しているからだ。挑戦しなければ苦労などしないからだ」

 私の肩凝りは何かといつも挑んで戦っている証。治したければ戦いをやめるだけ。

 力を抜くのが下手な私でもとさえ思うことがで出来れば簡単に抜ける。

 実は今の仕事をそんなに気に入っていない。嫌いでもないが格別好きでもない。しかし、今の職場は好きで、尊敬出来るがたくさん居て、結構楽しい。だからこそ"あの人"に縁がなかったのだろう。

 私に嫉妬していたと思われる"あの人"はやたら意識高くて、その割に仕事の出来が悪くて文句ばっかり言っていた。仕事が出来る人が好かれる職場もあれば、仕事が出来ない人が好かれる職場もある。全然後者の職場を紹介しても良かったし、仕事が出来るようになる方法を教えても良かった。

 最初から自分に見合ってないハードルを用意していたのだから、低くするだけの話。しかし、"あの人"のハードルを下げたところで跳ばない理由をひたすらに探していた。私に何か言われる前に上の方に見捨てられる方が早いだろうと思っていた。

 それでも諦めるのはまだ早い。自分の成長の為にも真剣に付き合ってみようと思っていたのが、その前に縁が切れてしまった。私の何かが解消されたのか彼女の何かが解消されたのか。

 本気でちゃんと向き合ってみようという思いを持ち始めてから、色んな人から逃げられる、避けられる、何故か縁が切れる。別に噛みつくつもりはないし、優しくする気満々なのに。

 私の背後に居る人が怖いのか、私と向き合うのが怖いのか、自分を見たくないのか。

 私は楽できてラッキーなんだが...なんだかなあという感じ。せっかくやる気になったのに。

 でも、私と向き合うのが嫌な気持ちはわかる。私に言い訳が通じないからだ。"私に"というよりは私の上に居る者達に、だが。私の上にいる者達はあなた達の上にも居るからどこにいても一緒なんだが。

 まあ、仕事が出来ない理由を探す者同士で束になって安心したいことだろう。自分で言うのもなんだが礼儀正しくて、真面目で丁寧な対応をして、そこそこ仕事をやっている人の前で羽目を外すことなんてできないだろう。

 弱気でガチガチに防具で身を構えていた頃とは違う。ラフな格好で来るのを待ち構えている人がいれば私だってビビる。防具がいらねえくらい強え相手かもしれないのだから。

 まあ、私は怖がる程の強い相手じゃないと思うが。


 後に戻らない覚悟を決めてから、私はもっと早くこうしてれば良かったと思った。もちろん訓練したからこそ、試練を乗り越えたからこそ、戻らない理由が出来たからこそ覚悟を決めることが出来たのだが。次のステージに進む条件自体は随分前にクリアしていた。

 一人で進むのが寂しかったのもあるし、誰かの寂しさを紛らわせる為に一緒に居ようとしたのもある。一緒に居て欲しいと求め続けるのも申し訳ないし、一緒に居てくれて感謝していたから何か返したかった。一人で居る辛さを知っていたからこそ、そばに居たいと思っていた。私の寂しさも相手の寂しさも埋まると思って。

 とんだ勘違いだった。何もかも私の勝手な妄想で、私が相手のことを勝手に決めつけていただけだった。

「きっと前に進む方法を知らないだけだわ、私と同じなのよ」なんてずっと思っていた。

 でも、本当は違う。知らないのではなかった。話をしてみると私より色んなことを知っていた。私はそこに情報を追加したのだが、何も変わらなかった。

 私は彼等の心の内をどうやったって知ることは出来ないので、自分なりに考えた。本音の言えないパトちゃんと上手く付き合うには自分で考えるしかない、何も教えてくれないのだから。当の本人もわかってないのだから。なので変わることを拒む理由を考えた。変わる方法を知りながら、変わらない為の理由を探すのは何故なのか。


 愛されなくなるのが怖いからだ。

 可哀想な人でなくなれば優しくしてもらえなくなる。やらない理由を探さなければ努力し続けなければいけなくなる。

 相手を可哀想な人にしなければ自分が脅かされる。可哀想な人にしなければ自分の気持ちをわかってもらえなくなる。


 そんなことをしなくたって、別に理解することは出来る。

 私は決して完璧な人間でも善人でも何でもないただの普通の人で、酷い目にあったことくらいある。

 しかし、自分で被害者視点を持ちたくないし、言い訳をしたくないから自分で決めたのだ。

 自分で自分を不幸にしたくない、誰かを不幸だと決めつけたくない。

 変わりたくない気持ちを、綺麗な世界で生きたい気持ちを受け止めると決めたのだ。

 だから決別した。

 可哀想な人でいるのも、可哀想な人といるのも。


 意外と理由さえあれば、人間は簡単に動けるものだと感じた。

 どうしても欲しいものがあって、他のものを極限まで犠牲にしても手に入れたいと思った時、苦しかった我慢も楽しくなってしまった。我慢している最中も「これを我慢すればあれが手に入るのだ」と喜びさえ感じ始めた。

 私はきっとずっとそんな喜びを感じていたのだろう。


 (多少無視されても一緒に居てくれる人なんだ)

 (ちょっと疲れてなんだよ、それくらい許さないと厳しすぎる。連絡したくない時ってあるよね、わかるよ。)

 そうやって、嫌なことをされても私がなんとかすればいい、私が我慢すればいいと思っていた。

 ある時私は考えた。この人が本当に私のことが好きだったら、私のことを無視なんかするだろうか。私ならば何が何でも、その人の為に動こうと思うだろう。他の人がどうなのか知らないけれど。

 ある人が優先順位が低いから後回しにするのだと言っていた。だとすれば私はこの人と居る必要はあるのだろうか。もしも、ついで感覚で私に付き合っていて、本当は邪魔くさいと思っているならば...私は離れた方が良いのではないか?

 連絡を返さないのが疲れていてしんどいからではなく、一種の攻撃だとすればそれを受け止めるべきなのではないか。

 本当に私のことが大切ならば、本当にこんなことやり続けるのだろうか?

 お客さんとして置き換えてみよう。お客さんには申し訳ないけど、ずっと向こうが嫌がることを続けたらどうだろう?大体は嫌になるのではないか。私も大体の人の側になってもいいのではないのか。

 私は嫌われても仕方ない人だとずっと思ってきたが、私も綺麗事をやめて誰かを嫌いになってもいいのではないか?お互い楽になれるのではないのか。

 私だっていちいち連絡が来たかどうか気にならないで済むし、向こうだってこちらのことを気にしなくて済む。

 パトちゃんや家族との連絡との違いに私は気がつかなかった。彼等は時間や余裕がなくても後から連絡を返してくれていた。いつまで経っても連絡が来ないことに違和感を覚えても、まあそんなもんだろうと思っていた。しかしよく考えてみると約束しているのに何の連絡もないのはおかしな話。


 無理なら無理とキッパリ言えないような仲だったのかと今更思う。


 連絡を返さなくても相手が勝手に動くのだから、返す必要性も当然ないし、全て私が招いていたのかもと一人で反省していた。


 私は結構自分の本当の気持ちに無関心かもしれない。他人の視線の方が気になって、自分の身に何が起こっているのかちゃんと認識できていなかった。過去の出来事を話して初めて自分というものを認識できる。

 そしてそれは割とどうでもいいときの会話で気づかされる。


「あなたはすごく仕事ができるんだねえ。だって私はそんなことやれって言われても出来ないし、私がその人なら仕事出来ない人に任されないよ」

 そう言われたときに自分の中で何かがボロボロと崩れていくのを感じた。随分長いこと仕事が出来ないから追い詰められていると思っていた。


 追い詰めていたのはいつだって自分自身。

 出来ないことばかりを意識していて、出来ることを見ようとしない。私が出来ることは全部当たり前のことで誰でも出来ると思っていた。


 私は知っていた筈だ。出来ることが増えると仕事が増えるということを。だからキャパオーバーになりたくなくて成長を拒んでいた。

 こなせる仕事が増えるとどんどんハードルが上がる。そして、どんどん後輩に仕事が振られなくなる。

 私は疑問に思っていた。何故後輩に同じように仕事が振られないのか。私だって最初から出来ていた訳ではない。丁寧に仕事を教えられたことよりも、雑に教えられてぶっつけ本番でやって失敗しまくってちゃんとした知識が身につかないまま仕事をしてきたことが多かった。

 しかし、後輩はいつも丁寧に教えられるし、本番までが長い。

 後輩が真面目でちゃんと仕事出来る人でも、自分に仕事が振られることがあって、そのせいで休めなかった。仕事が回って来ない後輩も不服だった。色んな事が理解できず、誰かに相談しても納得できなかった。


「そりゃ、あなたに頼んだ方が楽だからよ」と言われても私はその人の励ましで言っているだけと思っていた。自分を信じたら調子に乗ってしまうのではないかと思って、誉め言葉を受け入れなかった。過信して失敗してしまうのが私は今でも怖い。

 しかし、私は自分を信用しないことは、自分を信用している人も疑うことになるとようやく理解した。自分を認めて下さった上司を誰一人信じていなかったことに初めて気づいた。全員に「お前は見る目がない」と言っているようなものだ。

 心の中では、「この人は会社の離職率を気にしている、今人手が足りないと会社に不利益を与えてしまうから私を引き留めようとしている」と疑っていた。

 小さな損害でも嫌だったのか、大きな損害だから嫌だったのかは正直わからないが損害が出ると認識されていたから必死だったのだ。私はそんな事実を受け止めなかった。私なんていなくなっても大したことないだろうと。

 その一方で、「私のやってきたことのありがたみをひしひしと感じやがれ」とも思っていた。自分のやってきたことを知りながら、自分で認めることができなくてビジネスに関する動画や記事を見て無意識に認める為の理由を探していた。


 本当は誰よりも自分を人ではなく会社の駒だと思っていて、駒扱いされていることに不満を抱いていた。自分を人だと、周りも人だとちゃんと認識できるようになってから何もかもが一変した。

 私は今までうまくいっていなかったわけではない、思い通りに行ってなかったのでもない、認識できていなかっただけだ。

 人との付き合い方が下手だっただけだ。自分とも他人とも。


 ストレスのはけ口にされていると肌で感じても言われるまでは認識できなかった。私にとっては嫌だけど普通のこと過ぎて気づけなかった。はけ口にされているのかもわかっていなかった。

 ストレスが限界に達して小動物や小さな女の子の首を絞めたくなったときにようやく理解できた。

(あぁ、そりゃそっか。野生でもわざわざ狩りにくそうなものは選ばないものな。無害なものを楽して狩りたいよな)

 私がそれを理解できなかったのも無理はない、強い相手に勝負を仕掛けたい側だからだ。難しいものに挑戦して出来るようになりたい、強い奴と戦って、こいつ強えええと苦労したい。感覚が若干麻痺しているせいなのか、変身願望が強い普通過ぎる人だからなのか。


 ストレスのはけ口にされていたし、私もまた誰かをストレスのはけ口にしていた。 

 ある日、ストレスを吐き続ける自分に嫌気が差したが、他の対処方法がわからずにいた。どれだけ解消方法を探しても溜まる方が圧倒的に多くて焼石に水で、私はとうとうストレスの根源を探し出して塞ごうとした。

 しかし、塞いでしまうと今度はエネルギー不足に困った。ストレスが程々に溜まっているときが一番活力に満ちるということは知っていたら上手く活用するようにした。その時私はストレスは必要なものだったと知った。多少は自分のストレスでも相手のストレスでも大事にするようになった。最近やり始めたことなので残念なことに加減はよくわかっていない。


 ストレスのはけ口にされていたり、依存されていると感じると、急に相手に嫌悪感を覚えて人として見れなくなる。

 昔、「嫌な人のことをじゃがいもが転がっていると思えばいいのよ」と言われて気持ちが楽になったから、じゃがいもくらいにしか思っていなかったかもしれない。じゃがいもじゃなくて、"他人"として認識して自他の線引きができていたらより良い人間関係を築くことができたのかもしれない。じゃがいもと人ではただ食って食われる関係になってしまうからな。


 人嫌いではなくなったわけではないが、最近人と接するのも悪くないと思っている。人付き合いが少しだけ上手になって楽しくなってきたのかもしれない。人と向き合うのはしんどいけれど"チャンスを掴む為の作業"だと思い始めてから随分楽になった。気持ちが楽になると人とも接しやすくなるし、仕事もやりやすくなる。私は誤解していた。ハードルが上がれば大変な思いをするのではなくて、ハードルを飛び越える能力が足りてないから大変な思いをするのだ。大変な思いをするのではないかというイメージを捨てて、目の前にある小さな課題を一つずつクリアしていけばハードルを飛び越える能力を身につけられる。自分を陸上選手だと思いながら仕事をするのも悪くない。私は今の仕事に就いて初めて次のステージを見てみたい、行ってみたいと思った。


 私が"住めば都"という言葉が嫌いなのは合わない環境に気づかずに、自分を誤魔化す要因になったからだ。言葉自体に問題があるのではないが捉え方を間違えると痛い目にあう。

 しかし、正直今住めば都だなと感じてしまっている。嫌な環境に合わせていた代償は大きいが、そこで得た手札は私にとっては大きい。弱小カードに見えなくもないが、縛りプレイも悪くない。人生山あり谷ありだからこそ楽しいと思えるようになった。


 私がひりつき好きな影響もあるだろう。そう思えない人には"龍が如く7"をおすすめしたい。人生のどん底を知っていると何でもマシに思えてしまう。山あり谷ありの人生の楽しさもわかるようになる。

 住む家も仕事も食べるものもない状況を味わったことはあって、衣食住があるありがたみがわかるから貴重な経験だったのかもしれない。

 他と比べて自分の人生がどうかはわからないけれど、それなりに苦労もして楽もしている。楽ばかりしている人生だなんて思われたくない。自分の辛い思いまでも"ズルい、羨ましい"なんて否定されたくない。


 不幸はマウントはもう、散々だ。

 そして、私よりも不幸でいたければそうすればいい。

 不幸な話を誰かにするのは嫌いだ、大概の人は自分がより不幸だったと勝ちたがる。こちらは別に勝負がしたいわけではない、ただ話したかっただけだ。

 でも、構わない。お前は幸せ者だと気づかせてくれてると思えばありがたいことなのかもしれない。



 住めば都じゃなかったから私はここにいる。今まで不便だけど住んでいる内に愛着が湧いた場所というのはあんまりなかった。嫌な場所に居れば居るほど心が荒んでいく。荒んでいることに慣れてしまうから嫌と感じなくなる。思い切って嫌な場所を離れて外の世界を見てみて良かったと思う。離れてみないとわからないこともたくさんあるのだと知った。今までと違う行動を取り、違うように考え、今までより良い生活をしている。

 好きなものとの縁が増えて、嫌いなものと自然と縁が切れていく。好きなものとも縁は切れてしまったりもするが、それも必要なことかもしれない。嫌いなものとも縁があって良かったと今では思える。

 今の仕事に就いてから知ったのだが、職歴というのはブランドの購入歴みたいだなと思った。ブランドものを着ているだけで勝手に尊敬される。周りの期待度が上がってものすごいプレッシャーなのだが、散々だった仕事もやった甲斐があった。なんなら今の仕事を選んだのも前の仕事に就いていたときに一時期的に敵対していた人から話を聞いたことがあったから。身内と縁があって、そこの評判を知っていたから私は賭けに出た。

 前の仕事に対する憎しみはあるけれど、困っていた時に手を差し伸べてくれた恩もある。

 しかし、飽くまで通過点であり、戻りたいとは思えないし、戻る理由もない。


"腐ってしまえば楽なんだけど、腐りたくない絶対に"


 この信念がなければここまで来ることはなかっただろう。脳内で会社の情報網を見ながら他の人とやり取りしているルートではなく、腐って孤独になって一人で心も体も壊すくらいの仕事を引き受けていたか、もしくは仕事をしない理由を探しては給料だけきっちりもらうルートに行っていたかもしれない。


 自分の反骨精神に悩まされてきたけれど、同時に救われてきたので感謝せざるを得ない。

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こじつけ屋の陰謀論 雨月 零音 @raindrops0

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