第4話:傲慢なる城塞と災いの足音

「それで、本当に行くんですか、アキラさん?」


夕暮れが色濃くなり始めた教会の礼拝堂れいはいどうの片隅で、司祭しさいロフェンが心配そうに問いかけた。

ささやかな燭台しょくだいが古びた壁画へきがをちらちらと照らす。

今日も何人かの病人が礼拝堂のベンチで休んでいるのを横目に、アキラは気分を引き締めるように深呼吸しんこきゅうする。


「うん。俺、明日の朝、バルトのところへ行こうと思うんです。

 魔物まもの被害の件とか、スラムの救済とか、いろんなこと……

 ちゃんと話してみないと始まらない」


正直、怖い。

権力を握るバルトがどれほど強権的きょうけんてきな男か、うわさだけでも耳にしている。

それでも、このまま町の状況を放置しておくのはどうにも胸が苦しくて仕方がない。


ロフェンはため息をつきつつ、申し訳なさそうに口を開いた。

「お気持ちはありがたいのですが、彼は高圧的こうあつてきな性格ですし、

 転生者てんせいしゃだからと言って甘くはないですよ。

 最悪の場合、あなたが目障めざわりと見なされて……」


言葉をにごすロフェン。

実際、バルトの命令に逆らって処刑しょけいされた例があると聞く。

アキラは生唾なまつばを飲み込みながらも、その恐怖きょうふを押し留めるようにこぶしを握った。


(転生前はずっと平凡だった俺が、ここで退しりぞいたら意味がない。

 ここには俺を必要としてくれる人がいるんだ……)


自分にそう言い聞かせる。

同時に、「名声欲めいせいよく」が背中を押しているのを自覚してもいた。


◇ ◇ ◇


外ではかすかな喧騒けんそうが聞こえる。

日が沈むにつれ、町の空気がざらついているようだ。

誰かが罵声ばせいを上げ、商人同士の口論こうろんが遠くで響く。

重苦しい雰囲気が礼拝堂の中にも影を落としていた。


アキラがふと視線を下げると、ロフェンの横に立つ若い僧侶そうりょが、

ややおびえた目つきでこちらを見ている。


「転生者って……本当に強いんですか?

 街ごと守れるような力、やっぱり……」


声がかすれていて、どこか期待しているようでもあり、半信半疑のようでもある。

アキラは苦笑いまじりに答えた。


「そりゃ、俺なりには強いけどね。

 完全無欠かんぜんむけつのチートでもないし、

 回復魔法だって使えない。

 ただ、がむしゃらに剣を振れるだけなんだ……」


歯がゆい回答に僧侶の表情も沈むが、彼は「それでも」と続ける。


「それでも、私たちにはない力があるなら――

 すがりたいんです。

 アキラさんが、何か奇跡きせきを起こしてくれるんじゃないかって」


「奇跡」という言葉があまりに重い。

アキラは思わず目をせた。

前の世界で得られなかった承認や期待が、ここでは向けられている――

それは嬉しくもあり、荷が重くもある。


「ああ、もう!」


つい声をらし、アキラはひたいを押さえる。


「分かった。俺、やるよ。

 バルトとちゃんと話す。

 それから魔物対策もできる範囲で引き受ける。

 ……ただ、奇跡なんて大袈裟おおげさなものは期待しないでくれ――

 って言っても、信用されないか」


苦笑するアキラに、ロフェンと僧侶たちは複雑そうな笑みを返す。

やがてロフェンが小さく頭を下げ、「ありがとうございます。どうか無理はなさらずに……」とつぶやいた。

そのひとみには、期待と不安と、そして居たたまれない祈りのようなものが混ざっている。


◇ ◇ ◇


教会を出ようとしたアキラは、境内けいだいの外れで妙に冷たい風を感じた。

まだ夜には早いが、黒雲こくうんれ込めて、星明ほしあかりも望めない。

雨の匂いが混じっている――しかし、それだけではない。


「……また、あの匂いが」


甘い香り。

昼間、スラムで何度か感じた黒いコートの男の気配かもしれない。

誰もいないのに風がざわりと背をでるような感触がある。


(“私をお呼びでしょうか?”――そんな声が聞こえた気がする)


アキラは身震みぶるいし、辺りを見回す。

だが、誰の姿もない。


「おいおい、今度こそ勘違かんちがいか……?」


強いて言えば、教会のへいの影に紫色むらさきいろの花びらが落ちている程度。

こんな花は町中では見かけない気がするが、拾う余裕もなく、アキラは首を振って通り過ぎた。


◇ ◇ ◇


これ以上ここでねばっても不毛ふもうだ。

アキラは気を取り直し、宿へと向かう。

夜道で魔物に遭遇する可能性もあるため、無駄に体力を消耗しょうもうしている場合ではない。


「明日の朝、バルトの城塞じょうさいに行く。

 そこで何か変われば……町にも少しは希望が出るかも」


そう自分に言い聞かせ、薄暗い通りを歩く。

衛兵えいへいらしき男に声をかけられそうになるが、「転生者てんせいしゃか」と見極められると、「勝手にあばれんなよ」と冷たくあしらわれる程度で済んだ。


(転生者ってだけでこの扱いか。まだ何もしてないのにな)


◇ ◇ ◇


――不意に遠くで空気が揺れた。


「うわっ……!」


金属音と轟音ごうおんが、薄闇の中で響き渡る。

何かが激突げきとつしたような衝撃しょうげき

アキラは思わず剣に手をかけ、周囲を見回した。

場所は城壁に近いあたりか。悲鳴ひめいや馬の鳴き声らしき甲高かんだかい音がかすかに混ざっている。


「何だ!? 魔物がまた出たのか?!」


迷わず駆け出そうとした瞬間、あの甘い香りが脳裏のうりをかすめる。

(黒コートの奴? いや、まずはこの悲鳴を何とかしないと!)

そう判断し、アキラは衝動的に走り出した。


細い路地を抜けて開けた道へ飛び出すと、そこには見るも無残むざんな光景。

路上に倒れ込む衛兵えいへいたち、広がる血の跡。

視界の先では獣型けものがた魔物まものが二体、城壁沿じょうへきぞいを荒々しく走り回っている。

一体は胸に矢が刺さっているが、まるで意にかいさない狂暴きょうぼうさでのどを鳴らす。

衛兵の一人が剣を構えて踏んふんばるも、体がふるえている様子だ。


「っ……!」


アキラは迷わず剣を抜き、魔力まりょくが満ちる感覚を意識しつつ踏み込む。

火の魔法をこめ、一気に魔物の横腹よこばらを斬りつけた。

「ドシュッ!」と血飛沫ちしぶきが舞い、魔物が断末魔だんまつま咆哮ほうこうを上げる。

即座に間合まあいを取り、連撃れんげきを加え、魔物は地面に倒れ込んだ。


「ハァ、ハァ……!」


息が上がる。

だがもう一体が衛兵を狙って動いている。

アキラは指先に火の魔法を集中させて牽制けんせいしようとする。

しかしその瞬間、また甘い香りがよぎり、動作が遅れる。

魔物が低くうなり、跳びかかろうとした――そのとき。


遠方から「火矢ひや」が飛び、魔物の横腹を撃ち抜く。

勢いを削がれたすきに、アキラは一刀いっとうで斬りせた。

魔物はドサリと崩れ落ち、アキラは息を吐く。

周囲を見回しても、援護してくれた者の姿は見当たらない。


(今の火矢、衛兵の魔法? それにしては相当うまい……)


混乱を抱えつつも、アキラは近くの衛兵を急かす。


「大丈夫か? 負傷者を助けてくれ!」


衛兵たちははっとして立ち上がり、倒れた仲間を引きずり出す。

通りには血の臭いが漂い、魔物の体液がそこかしこに散っていた。


◇ ◇ ◇


突如、背後から「すず」の音が聞こえたような気がする。

(また? さっきの甘い風とは違う……?)

振り返っても、誰もいない。

ただ、路地の暗がりに黒いコートがはためいた気がして、アキラは思わず声を上げる。


「なんだ……? 誰だ!」


返事はない。

衛兵は魔物の始末と怪我人の対応で手いっぱいだ。

アキラが数歩追いかけてみても、影はもうどこにもいなかった。


「くそ……逃げ足が早いな。

 どうしてこんなに俺の周りをチラチラ……」


心臓が高鳴り、汗がにじむ。

まるで誰かが自分の行動を観察して楽しんでいるような――そんな不安がこみ上げる。


◇ ◇ ◇


「アキラさん! 本当に助かりました、ありがとうございます!」


背後で衛兵えいへい敬意けいいを示して頭を下げる。

転生者てんせいしゃだと分かっているらしく、先ほどとは打って変わって慇懃いんぎんな態度だ。

アキラは戸惑とまどいつつ剣をき、「いや、俺は別に……」と謙遜けんそんする。

しかし心中では「これだ。こういう評価をもっと……」というひそかな欲望が頭をもたげていた。


同時に耳鳴りのような頭痛がして、アキラは顔をしかめる。

黒いすその男を追いかけられなかった苛立いらだちも胸に残る。


(明日、バルトに会う前に変に体調をくずすわけにはいかないな……)


◇ ◇ ◇


夜が深まれば魔物の脅威きょういも増すと言うが、

ひとまず先ほどの騒ぎで落ち着いたのか、衛兵が「しばらくは大丈夫だろう」と言う。

アキラはその言葉に安心し、宿へ戻ることにした。


町の中ほどにある安宿は、窓が小さく廊下はじめじめとしていて快適とは言いがたい。

しかし会社員時代のアパート暮らしより劇的に悪いわけでもない――そう思いつつ扉を開ける。


「ただいま……って、誰もいないけどな」


独り言をつぶやきながら、粗末そまつなベッドに倒れ込む。

今日は精神的にも肉体的にも限界を感じるほど疲れた。


けれど、まぶたを閉じても頭にこびりつくのは、

血と絶望ぜつぼうの匂い、甘い風の感触、そして魔物をった手応え。


領主代理りょうしゅだいり、魔物、スラムの病……

 どれも一筋縄ひとすじなわじゃいかない。

 だけど放置してたら町がくずれちまう。

 俺が……ヒーローにならなきゃ、しっかりしないと)


“ヒーロー”――口にするとむずかゆいが、

前の世界では平凡へいぼんで何の取り柄もなかった自分が、

ここでこそ輝けるはずだという思いが募る。


布団にもぐり込もうとしたとき、遠くからまた「すず」の音がかすかに聞こえた……気がした。

夜風が窓を揺らし、あわい月光が差し込む。

その光が部屋のすみに黒い影を落としているのを感じながら、アキラはあさい眠りに落ちかける。


(また魔物が出たら? 徴収兵ちょうしゅうへいがスラムを襲ったら?

 俺は寝てる場合なのか?)


そんな疑念ぎねんを抱えつつ、意識は少しずつ遠のいていく。

半ば夢の中で、アキラは黒いコートの男が笑っている光景を見る。

トランクからあふれる甘ったるい香りと、にぶく光るふえのようなもの――。


“あなたの欲望よくぼうに見合った商品ですよ。

 代わりに、少々、あなたの欲望をいただきますね”


脳内でその声が反響はんきょうし、アキラはうめくように「……誰……?」と問いかける。

けれど夢の姿はぼやけ、つかめない。

心臓はどくどく高鳴り、焦りだけが募っていく。

そうして、意識は闇へしずんでいった。


◇ ◇ ◇


夜は静かにけていく。

町の外れの闇は、さらに濃く息をひそめるように広がっている。

どこかの路地で紫色むらさきいろの花びらが舞い、風にさらわれて消えた。


甘い香りをまき散らしながら、黒いコートの男は今も笑っているのだろうか。

眠りについた大半の人々は、その存在を知るよしもない。


浅い寝息のアキラは、小さく寝返りを打ち、苦悶くもんの表情を浮かべる。

遠い意識の彼方かなたで、「明日の朝、バルトの城塞じょうさいへ行こう」という決意だけが繰り返されていた。

それが町にとっての好転への鍵となるのか、さらなるゆがみを呼ぶのか、

もはや神も教会も、誰も分からない――。


(第4話:傲慢なる城塞と災いの足音・了)

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