第5話:城塞の扉、閉ざされた権力

翌朝、アキラは落ち着かない面持ちで宿を出た。

まるで夕べの悪夢が現実に侵食してくるような感触を覚えながらも、この町ヴェニラの問題を変える一歩として、どうしても領主代理りょうしゅだいりバルトと話を付けなければいけないと確信している。

そもそも転生者てんせいしゃである自分なら、リスク覚悟でも結果を出せるかもしれない――そんな期待と、自分に向けられる人々のひとみが作るプレッシャーが、足を重くも軽くもしていた。


「……教会に行こう。ロフェンたちと合流してバルトんとこへ」


つぶやきつつ、アキラは少し欠伸あくびをこらえる。

昨夜は眠りが浅く、夢の中で“黒いコートの男”が禍々しい笛を差し出すシーンが何度も浮かんだ。妙に生々しくて、朝になっても背筋がぞわつく。


(何だろう。あの男が実際に姿を現す前に、どこかで俺をわらってるみたいだ……)


首を振って意識を振り払う。これ以上、訳の分からない幻覚にまどわされるわけにはいかない。

今日の目標は、領主代理バルトとの会見だ。


◇ ◇ ◇


教会へと向かう道すがら、すでに日差しは強く、町の通りには人々の姿がちらほら。

露店も開き、今日のかてを稼ぐために声を張り上げている。

「そっちのパンは一個三銅貨だよ!」「高いよ、もう少し負けてくれ……」といった会話が交わされ、アキラは少しだけ気が楽になる。

昨日の魔物騒ぎや徴収兵ちょうしゅうへいとの衝突で殺伐さつばつとしていた町も、こうして小さな日常がまだ残っているのは救いだ。


「アキラさん、こちらへ。準備はできています」


司祭しさいロフェンが教会の門前で待っていた。

隣には若い僧侶そうりょ二人、それと体格のいい中年男が一人。どうやら教会の守衛しゅえいらしく、身なりは簡素ながら剣の扱いに慣れていそうな雰囲気を漂わせている。


「領主代理バルト様に面会の願い出をするのに、私たちなりにお願い文を書いておきました。

 通してもらえるかは分かりませんが、少しでも門が開くように……」


ロフェンは自信なさげに言いながら、書き付けをアキラに見せる。

そこには礼儀正しく「魔物対策とスラム問題の改善をご相談したく……」などと書かれていた。


(ちょっと堅苦しいけど、礼儀に欠くよりはいいか。……でも、こんなの読んでくれる相手なのか?)


◇ ◇ ◇


一行は町の中央部へ進み、城塞じょうさいの門を目指す。

石造りの城壁が高くそびえ、その奥に領主代理バルトの居城が控えていた。

周囲には衛兵えいへい巡回じゅんかいし、排他的な空気を漂わせている。

城壁の入口では門番が二人、長槍ちょうそうを構えたまま訪問者をにらみつける。


「用件は何だ? 面会? バルト様がお前らごときに会う義理があるか?」


門番はしょっぱなから無愛想。

ロフェンが下手に出て手紙を差し出すが、「ふん、教会か。まぁ一応渡してやるが、通せと命令が来るまでは待て。ここでじっとしていろ」と吐き捨てられる。


(やっぱりこうなるのか……)


アキラは内心苦い思いを抱えつつ、せめてバルトが興味を持ってくれるよう願うしかない。

駆け引きには慣れていないが、ここで引き下がるわけにはいかない。


◇ ◇ ◇


時間だけが過ぎ、正午を越えても門が開く気配はない。

門番が交代しても「まだ返事がない」と一点張り。

アキラはもどかしく拳を握るが、無理に侵入すれば終わりだ。

ロフェンや僧侶たちは汗を拭き、守衛は何度もため息をつく。

城壁の上から衛兵たちがあざけるような視線を投げ下ろしているのを感じる。


「……こういうの、ほんと苦手……」


誰にともなくアキラがぼやく。

転生する前の会社でも、上司への根回しは大嫌いだった。


(でも、バルトに会わなきゃ町は動かない。

 スラムの救済だって進まない。

 こんなくだらないパワーゲーム、早く終わらせたいよ)


◇ ◇ ◇


そして午後もだいぶ過ぎ、日が傾きかけた頃、ようやく門がガチャリと開いた。


「そこの教会の者と……転生者か? ま、いい。中に入れ。

 お前らだけだぞ」


門番が首を振り、残る僧侶たちは入れないらしい。

ロフェンは守衛とともに「分かりました」とうなずき、最小限の人数で城内へ通される。


中へ入ると、石畳の広い庭があり、要所に鎧姿の騎士らしき者が立っている。

彼らの視線はよそ者を警戒するかのごとく鋭い。


「領主代理様がいるのは奥の間だ。

 妙な動きしたらその場で斬るから覚えとけ」


案内役の男が冷たく告げ、アキラは背筋に冷や汗を覚えながら廊下を進む。

権力の匂いがきつく、会社上層部に苦手意識を持った頃を思い出す。


◇ ◇ ◇


奥の間――立派な扉を開けると、高い天井とった装飾の施された空間があった。

広い執務机には、中年太りの男が腰掛けている。

領主代理バルト――油っぽい笑みを浮かべ、無精ヒゲを伸ばしているが、高価そうな衣装をまとい、部屋全体に威圧感が漂っていた。


「ほう、教会の司祭と……転生者か。何の用だ?

 まさか俺に意見でもしに来たのか?」


挑発的な声音こわね

ロフェンが一礼し、アキラも渋々しぶしぶ頭を下げる。


「バルト様、我々は魔物対策と町の貧困……スラムの現状改善についてご相談を……」


声を絞り出すロフェンの背後で、アキラはバルトをじっと見据える。


「ふん。魔物対策ね。そいつは衛兵や騎士団の仕事だ。

 教会には関係ないだろうが。何がしたい?」


バルトは机に肘を乗せ、見下すような視線で不快な笑みを浮かべている。


◇ ◇ ◇


アキラは意を決して一歩進んだ。


「魔物の被害は増えてますし、衛兵だけじゃ厳しい部分があります。

 俺は転生者として戦力になりたいんです。

 町の人が苦しまないよう、もっとしっかり対応すべきだと思います」


「ほう。偉そうに言うな、青年……。

 転生者だと名乗っているが、その力を誰が証明する?」


あざけるように鼻を鳴らすバルト。

アキラは(やっぱりか)と身構える。


「今までも魔物を倒してきた実績が……」


言いかけたところで、バルトが机をドンと叩いた。


「足りない! 俺が認めるほどの大仕事をしたのか?

 なんで俺がおまえらの頼みを聞かなきゃならん?」


空気が重くなる。

ロフェンは困惑し、守衛が身構える。

アキラは歯を噛みしめながら、なるべく平静をよそおう。


(このままじゃ話が進まない……強烈な材料が必要か。スラムの病の件は?)


◇ ◇ ◇


「そ、その……スラムの人々が病に苦しんでいて、死者も増えてるんです。

 このままじゃ町全体に疫病が広がるかもしれませんし……」


言い終わる前に、バルトは笑いを含んだ目でアキラを見た。


「ああ? スラムの連中?

 あんな連中、どうでもいい。死にたいなら死なせとけばいいんだよ」


(こいつ……)


アキラの感情が爆発しそうになる。

思わず声を荒げる。


「いいわけないだろう! 人が死んでるんだ。

 放置すれば町に悪影響が――」


「黙れ。身の程を知れ。

 俺がここを治める間は俺の方針に口を出すな。

 魔物が増えるのは外部要因だし、おまえら教会が口を挟むな。

 転生者がどうこう言っても、この町を好き勝手変えられると思うなよ」


バルトの声は怒気を含み、護衛らしき騎士が一歩こちらへにじり寄る。

部屋の空気がピリピリと張り詰める。


◇ ◇ ◇


らちがあかない……もっと強制力のある成果を示さないと)


アキラは唇をかみ、強気に食い下がる。


「だったら、どうすればいい?

 町を守るために俺がどんな結果を出せば、あなたは動く気になる?

 魔物の討伐数か? 巨大モンスターを仕留めればいいのか?」


するとバルトは一瞬だけ興味を示したような表情を見せ、

すぐに薄笑いに変えた。


「ほう……そこまで言うなら、近頃噂になっている“獣たちの群れ”を一掃してこい。

 俺の衛兵じゃ手が回らんらしい。

 それを片付けられたら、少しは考えてやってもいいぞ」


理不尽極まりないが、ここで踏み台を得られるなら悪くないかもしれない。

アキラは渋々「いいですよ」と返事をする。

“群れ”がどれほど危険かは分からないが、魔物退治で実績を示すしかない。


◇ ◇ ◇


部屋を出るころ、ロフェンは真っ青な顔をしている。

守衛も苦々しい表情だ。


「なんて男だ……」


そうつぶやくしかない。

アキラもうなだれそうな気持ちをこらえつつ、言葉を絞り出す。


「まぁ……一歩前進ってことで。あの群れを仕留めれば、話を聞いてくれるって言ったし……」


自分でも頼りない語尾が情けない。

どれほど強力な魔物か分からず、下手すれば死の危険もある。


ドヨリとした空気を背負いながら城塞を出ようとすると、廊下の先で薔薇のような甘い香りがふっと漂った――気がした。


(こんな城内に花……まさか!?)


振り返るが、何もない。

それでもアキラは“黒いコートの男”が陰で見ている気がしてならない。

何を狙っているのか――胸のざわつきを拭えない。


◇ ◇ ◇


城門を出ると、外の風がやけに冷たく感じる。

日中なのに薄暗く、遠くの雲行きがさらに怪しい。

ロフェンが「これからどうします?」と問うので、アキラは剣の柄に手をかけてみせた。


「言われた通り、その魔物の群れとやらを探して倒すしかないだろ。

 もし本当に危険なら作戦を練らないと……衛兵に訊けば情報くらいは教えてくれるはずだ」


守衛も「俺も力になります。多少は剣が使えますんで」と意気込む。

スラムだけでなく町全体を救うには、大きな成果が必要だ――

アキラは胃のあたりに突き上げる緊張を覚えつつ、決意を固める。


◇ ◇ ◇


――その夜、宿に戻ったアキラは眠れなかった。

もし明日、魔物討伐に向かうとして、自分一人でどうにかなるのか。

大勢を巻き込んで取り返しのつかない事態を招く可能性もある。


スラムの人々や司祭ロフェンらがアキラに寄せる期待は痛いほど分かる。

そこに甘んじたい自分と、冷や汗が止まらない自分――両方が混在していた。


そして夜のとばりに再びあの甘い香り……。

いつ姿を現すとも知れない黒いコートの男の気配が、アキラの思考をかき乱す。


(あのコート野郎、もし何か狙ってるなら……

 俺の“欲望”をわらってるのか?)


頭を振ってもイメージは消えない。

呼び笛を差し出す幻覚がちらつき、アキラは布団の上で動悸を必死に鎮めるしかなかった。


◇ ◇ ◇


遠く、町の外れ――スラムとは反対側の森の奥で、

低くうなる魔物の声がかすかに風に乗って届く。

夜勤の衛兵が警戒を示すが、今のところ具体的な脅威にはなっていないらしい。


ただ、その森に“獣の群れ”が潜んでいるという噂はすでに町中に広がっている。

それを一掃できれば、バルトとの取引が成り立ち、

町の人々を救う道が開けるかもしれない――アキラはそう信じたい。


(俺が……やるしかない。ヒーローになるチャンスだ)


半ば自己暗示。

だが同時に、何かがアキラを誘導しているのではという疑念も拭えない。

脳裏に「ホッホッホ」という笑い声がちらつくが、振りほどいて目を閉じる。


明日を無事に迎え、魔物退治を成功させればきっと道はひらける。

そう、思い込むしかない夜だった。


(第5話:城塞の扉、閉ざされた権力・了)

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