第2話 注目度も、比喩抜きで「アジア規模」だ。
「急にごめんなんだけど、今からアジア大会出てくれない?!」
「はい?」
そう、彼女は駆け出しのVtuberで今日重要な大会が――。え、ごめん、今なんて言った??
みどりは息を整えつつ、勢いそのままに話を続ける。
「実はね、私の同じチームのmeruくんが体調不良で、体壊しちゃったの!」
その説明を聞きながら、俺は頭の中で状況を整理する。なるほど、つまり彼女のチームメイトが倒れてしまったと。それで急遽、代役が必要ってことか。
「それで代役がいないと?」
このVtuber全盛の時代にか?
「うんうん、代役の候補とかは一応いるんだけど、その人たちとは練習なんて勿論してないし……」
なるほど、練習不足ってわけね。即席チームなんて機能するわけがない。それなら俺を引っ張り出してきた方が得策か。
「私ここでちゃんと活躍してもっと人気者になりたいの!」
みどりの瞳が少年少女のようにキラッキラと輝いている。その情熱があまりにも眩しすぎて、俺は思わず視線をそらした。こいつ、ほんとに毎回全力だな。なんか見てるだけで胸焼けしそうだ。
それでも、俺の気だるい態度なんて気にするそぶりもなく、みどりは勢いよく立ち上がった。
「雪やんとなら毎日練習してたし、なんとなくだけどできる気がするの!」
「そういうことね」
彼女の真剣な瞳が俺に向けられる。その真剣な目を見て、小さく息をつく。
第8回LOCKアジア大会予選──俺は今、色々な事情があって大会に出るのを辞めていた。あの一件で自分の存在意義すら見失っている俺に活躍なんてできるのか。例えるなら今の俺は口説き方を忘れたホストって感じだ。
だけど、冷静に考えれば、このアジア大会は絶好のチャンスだ。人気ストリーマーも山ほど集まるこの舞台で爪痕を残せば、登録者は加速度的に増えていくだろう。注目度も、比喩抜きで「アジア規模」だ。
このイベントで成功すれば、また昔みたいに戻れるのだろうか。
そんなことを考えながら、ふと目の前のみどりに視線を移す。彼女はというと、やたらと自信満々の表情で、腕を組んでドヤ顔していた。どういう顔してんねん。でも、こいつの顔を見てると不思議と勇気が内から湧き出てくる。
俺は真剣な表情でみどりを見つめる。
「……わかった、やるよ」
「やったー!信じてたよ雪やん」
返事を聞いた瞬間、みどりは突然俺にがばっと抱きつき、俺の首に両腕をクロスしてロックしてきた。胸が顔面に押し付けられる。
ええい、やめい!ちょっ!俺は抵抗の意を叫びたいところだが、口元が抑えられてどうすることもできない。
大きな胸が当た……当たってるめう……くそっ、柔らかい……まるで絹糸を指先でたぐるような、繊細で優美なものを感じる。柔らかな曲線が奏でるシンフォニーは、まるで星降る夜空に響き、そこには無限の優しさと温もりが広がり、心を包み込むようであった。一言でまとめると……俺の死に場所はここだって感じ。
――――俺はここで死のうと確信した。
俺が急に
「あぶな、死ぬとこだった」
死にかけだった俺に、ご褒美かのように柔軟剤の香りがふわっと漂ってきた。柔軟剤アミングの香りがするな……うむ、良い匂いやけん、ばりすいとーよ。良い匂い過ぎて思わず福岡弁出てきた。九州魂最高ばい!
ピンク色のおさげが跳ねるように揺れ、彼女の目は輝き、希望と期待で頭の中で満ちている対して、俺は冷静に現実的な問題を口にする。
「で、ぽっと出の男をどう紹介するつもりだ」
それを聞くと、みどりは目を丸くして「あっ」と小さく声を漏らした。嫌な予感がする。
「どうってそんなの……全然考えてなかった!?」
いや、考えてなかったんかーい!喉から大阪のおばちゃんばりの突っ込みが飛び出しそうになるのを、ぐっと堪えた。
「はあ、おまえなあ……。まあ、新人Vtuberの見習いってとこでいいだろ。事務所の人に推薦されたってことにしとけよ。そっちにも話通しといて。アカウントは作っとくから」
俺が淡々と助言を述べると、みどりの顔は一瞬でパァッと明るくなった。
「うん、ありがとう!ほんと持つべきものは雪えもんだよー」
「誰が雪えもんだ」
ドラえもんの雪だるまバージョンか。想像するとちょっとかわいいな。何だか欲しくなってきたじゃねえか。
◆◇◆◇
意外なことに、思ったより緊張はしていない。配信画面のセッティングなんて、プロの大会で何度もやっているから慣れたものだと思っていたが、マイク関係とか思った以上に手間取った。なんならそっちの方が緊張したまである。あと、事務所に話が通るかどうかとかの方が緊張したな。
ただ、こうして大勢の視聴者が注目する表舞台に立つのは久しぶりだ。……まあ、俺の配信画面には誰も流れていないけどね☆
「強力助っ人呼んできました!」
みどりの元気いっぱいの声がマイクを通じて響く。その明るさはいつも通りで、場を和ませる天才的な力がある。
「よろしくお願いします。新人ストリーマーのアキトです」
俺の声はというと、普通も普通。なんの特徴もない平凡な挨拶だった。我ながら地味だな、と内心苦笑する。
横に設置したデュアルディスプレイで、春乃みどりんch──みどりのチャンネルのコメント欄をちらりと覗くと、画面はすでにざわめきで埋め尽くされていた。
─新人?
─新人ストリーマーがこういう形でいきなり出るの初めてジャイカ
─夏目ミミちゃん出してよお、ぶひぃ!
─こいつうまいんか
ざっと批判的なものが4割、不安が6割ってところか。まぁ、こんなものだろう。この事務所、ストリーマー部門とVtuber部門を抱える大手だけあって、視聴者の期待値もかなり高い。
ぽっと出なのに、そこまでとやかく言われないのは、この箱の積み上げてきた信頼と、みどりの圧倒的な好感度のおかげだろう。彼女がいなければ、今頃コメント欄がもっと荒れていたに違いない。
「アキトくんよろしくねえーじゅるり」
この瞬間、別の声がマイク越しに割り込んできた。低く響く声が、まるで悪役の登場シーンを思わせるようだ。男性vtuberのミヒャエル・エンデだ。登録者は30万人ぐらいでみどりの約3倍の登録者を誇る。
「よろしくっす、ていうかなんでい舌なめずりしたんですか。怖いんですけど」
低く響く、粘り気のある声がマイク越しに割り込んできた。その声には独特の存在感があり、まるで悪役が登場する映画のワンシーンを思わせる。
振り返るまでもなく、その声の主が誰なのかはわかる。男性Vtuber、ミヒャエル・エンデ。彼は登録者数が30万人を超えており、みどりの約3倍ものファンを抱えている。
彼の登場により、コメント欄はさらに盛り上がりを見せた。
─エンデさんキター!
─アキト、びびるなよおー
─でも「じゅるり」って何?食べる気かよ(笑)
「いや、いい声してる人好きなんだよねえ、じゅるり」
ミヒャエルは低音ボイスをわざと響かせながら、どこか楽しげに言った。その『じゅるり』という謎の擬音が微妙にリアルで、俺の背筋がほんのり寒くなる。
「ははは、どうも」
「得意なキャラはなに?」
「オクタメンです!果敢に突っ込みます!」
「いやいや、これ生き残るゲームだから。突っ込んでどうすんの?」
ミヒャエルの鋭いツッコミに、コメント欄も再び賑わう。まあ、今回はサポートキャラを使う予定だけどね。
─草
─果敢に死ぬ気か(笑)
─なんかこの二人、掛け合いが漫才っぽい
「二人とも早速仲いいねえー」
「試合前に水分補給しといてねえ。俺はモンエナを飲むからあ」
「モンエナいいっすね。確かそこのスポンサーだったすよね」
俺がそう返すと、ミヒャエルは満足げにうなずいた。あそこスポンサーは確かに嬉しくもなるわ。一体いくら貰ってんだが。
「やばい、私コーヒーしかない!」
みどりんが慌てている声が聞こえる。その焦っている姿がはっきりと想像でき、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。
「俺のファンタグレープいるか?」
ぼろんっ(笑)なんつって。
「いらないよ!そんなおこちゃまな飲み物!」
俺はファンタグレープをずずずざざざがががとブルドーザーみたいな音を立てながら答えた。
「はっ、コーヒーが大人の飲み物って思い込んでいる方が子供だね」
そう言いつつも、ある視点から見たらコーヒーが大人の飲み物っていうのは一理ある。コーヒーはまずコーヒーチェリーから外の皮を剥いて、収納されている種子という名の子種を
で、そのコーヒー豆から黒くて苦い液体……つまりコーヒーができる。俺からするとコーヒーを飲んでいる者は黒い精子を飲んでいるようなものである。
違うか?違うな。
そんな黒い精子を飲んでいるみどりんはこれ以上の議論はエネルギーの無駄とばかりに、大げさなため息をつきながら立ち上がった。
「まあ、水でも飲めば?」
俺が適当に声をかけると、みどりんはぴたりと動きを止めた。彼女は眉を少しだけひそめて、小首をかしげる。
「スポドリがよかったけど……うん、そうする!」
切り替えの早さは相変わらずだ。みどりは明るく答えると、そのままミュートになった。
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