後編

「親父っ!!!」

 リラはすごい勢いで廊下を駆けていた。後ろには、必死で後を追うリアの姿があった。

 大広間の扉を思いきり開けたところで、リラは息を呑んで立ち止まった。

「……お父様?」

「っ!!?リア!リラ!逃げろ!!」

 リアの声でこちらに気付いた父親は、双子の姿を見て叫んだ。

 しかし、二人には届かなかった。父親の向こう側に立っている男に気をとられていたのだから。

「……魔王?」

 会ったことのない人物。しかし、夢で会った人物。自分たち、天使にとって、最大の敵。

 彼は怪しく笑った。背筋に冷たいものが走るのと同時に、心臓がどくりと。彼から目が離せず、眉を顰めるリラの服の裾を、リアは強く握り締めた。

「リラ……」

 リアの声に気付いて、ゆっくりと振り向いた。同時に、リアは俺の頬に手をそっと乗せた。

「大丈夫?顔色が……」

「うん……大丈夫だ……」

 そのやりとりを見て、魔王は顔を歪め、厭らしい笑みを浮かべた。

「これは一興だな。天使長の娘が、魔王の息子と戯れるとは」

「えっ!?」

 リアは目を大きく見開き、魔王を見た後、リラに視線を送る。リラも固唾を呑み、魔王に目を向けた。

「……どういう、こと?」

「おやおや。天使長殿は何も教えなかったのかな?では、教えてあげよう」

 リアの質問に、楽しそうに笑いながら喋る魔王。

「やめろ!!言うな!!」

 天使長が叫ぶが、魔王の笑みは濃くなるばかり。

「可哀想だろう?自分たちのことを何も知らないなんて」

 そう楽しそうに言った後、魔王は過去の話へと花を咲かせた。

「16年前、宿敵である天使長に子供が生まれた。双子の『女の子』だ」

「女の子……?待って!リラは……」

 リアは思わず声を上げたが、魔王はニヤニヤと笑う一方だった。

「まあまあ。急ぐな。……その女の子に、リラとリアと名付け、大切に育てた。しかし、ある日、姉のリラは病気で亡くなる。同時に、妹のリアも同じ病気で床に伏せた。それから数日後、死んだはずのリラが再び息を吹き返したが……彼女は男の子になっていた。そして、その直後にリアが目を覚ましたが、彼女もまた、記憶障害を負った」

 魔王はさらさらと信じられない事実を突き付けてきた。

「……記憶障害?」

「リラのことを覚えていなかったのさ。いや、実際には覚えていた。兄、としてね。つまり、君の記憶が入れ替えられた、ということだ」

「……なん、で?」

 やっと声の出たリラは、目を見張った状態で問うた。

「おや、わからないか?つまり、一度本物のリラを殺し、そこに自分の息子の魂を入れたんだ」

「っ!?じゃあ……リラは……」

 リアは驚愕のあまり、リラを見たが、すぐにぎゅっと目を瞑ると叫んだ

「なんで……なんでそんなことをしたの!?」

「なんで、だと?簡単なことだ。内側から、天使を潰してやろうとしただけだ。しかし、まさかの誤算だな。その息子が自分の役目を忘れているとは」

 そう言って、リラを見つめる魔王と、その目を見つめ返すリラは、時が止まったように固まってしまった。

「リラっ!!」

 リアの呼び声にハッとし、リラはリアを見つめた。

 リアの瞳は不安一色だけで、思わず手が伸びる。

「……わかってる。絶対に、守るから」

 思わず出た言葉に、リアは驚いたような表情をしたが、すぐに彼女はリラの手をきつく握り締める。

「大丈夫。あなたは、魔王の息子なんかじゃない。私にとって、大事な兄だもの!」

 リアの言葉にリラも頷く中、魔王は怒りに満ちたように叫んだ。

「ふざけるなっ!!貴様は俺の息子だ!!俺の言うことだけを聞いていれば、それでいいんだっ!!」

 とてつもない怒声であったが、怖気づくこともなく、リラはリアを庇うように立った。

「……私が、気付いてないとでも思っていたのか?」

 今まで倒れ伏していた天使長が、突然口を開いた。その場にいた全員が、ハッとして彼に視線を送った。

「なんだと?」

「薄々気付いてはいたさ。リラに入れられた魂が魔王の息子だってことは……。丁度、魔王の息子が行方不明になった時期と重なるからな」

「では、何故殺さなかった!」

「……嬉しかったんだ。例え、リラじゃなくても……魔王の子だったとしても……自分たちの子供が、再び生き返ってくれたことが」

 天使長はそう笑って一度止めると、そのまま続けた。

「……親だとしても、子供を利用するなど、していい訳がない!!」

「黙れ黙れ黙れっ!!!」

 天使長の言葉に、魔王は暴走を始めた。

 魔王の目は一気に冷たいものを帯び、ギロリと天使長を睨み付けた。

「っ!?親父!!避けろ!!!」

 リラは思わず叫んだ。微かに残る、魔王の子供としての直感だった。


 目の前に広がる血だまり。そして、血で汚れてしまった白い羽根の数々。

 殺された。殺されたのだ。魔王の手によって。

 リアはすごい悲鳴をあげながら、その場に崩れた。リラもあまりの突然さに呆然と立ち尽くしていた。

「……最初からこうしておけば良かったんだ」

 魔王はそれを見つめながら、冷たく言い放った。

「……許さない、魔王だけは……」

 リラは搾り出すように呟いた。それに気付き、魔王は視線を向ける。

「例え、俺が魔王の子だろうと関係ない!貴様は俺を捨てた!俺の親父は天使長、ただ一人だ!!」

「ふざけたことをっ!!」

 そこまで言って、魔王は息を呑んだ。リアに視線を向け、目を見開いた。

 リアの体は光り輝いていた。背から生える純白の羽。それが、眩いほどに光る。

「……天使長の座が、継がれたのか……?」

 魔王は絶句した。目の前に現れた、新たな天使長によって。

 同時に、リラの羽も光り始めた。しかし、その光は全てリアの元へと集まり、そのまま一枚一枚と羽根が抜け落ちていく。

 最終的に、元から羽などなかったと思うぐらいに、天使の象徴である羽が消え去っていた。

「私が……新しい、天使長……なの?」

「だろうな。俺が魔王の息子なら、天使長になれるはずがない」

 驚いて自分の姿を見るリアに対し、リラは穏やかに笑った。

「でも、リラだって、体は天使だよね?」

「それも今終わった。俺の……元々のリラの力をリアに渡す形で」

 天使の力を失ったリラを、リアは哀しそうに見つめた。

「でも、リラは天使だよ。私に力を渡してくれたから、無くしてしまっただけ。双子なのには変わりないもの」

 リアはそっとリラの手を握りながら呟いた。リラもつられて微笑む。

 しかし、それすら面白くない魔王は、怒りに満ちた声で叫んだ。

「新しい天使長が現れたのならば、再び消すだけだ!!」

「させるかっ!!」

 リアをも手にかけようとする魔王を、リラは止めた。

 天使の力を失ったリラの両目は、魔王と同じ血の色に変わっていた。

「リアはっ……リアだけは守ってみせる!!」

「リラっ!!!」

 魔王に立ち向かおうとするリラの手を、リアは掴んだ。リラはゆっくりと振り向き、微笑む。

「俺は、お前とは敵対する存在だ。でも……本当に妹だと思ってる。俺にとって、大事な双子の妹。今、兄としてしてあげられることは、魔王を倒すことだから。……もし、これで許されるなら……本当に、兄として……家族の一員として認められるなら……」

「そんなことしなくたって、リラは私の兄以外、何者でもないっ!!」

 リアの叫びも空しく、リラは魔王の元へと飛び込んで行った。


「リア様、お疲れね」

「それはそうよ。就任の挨拶であちこちを飛び回ってるのよ。しかも、それに加えて公務もちゃんと行っているし。ちゃんと休んでないんじゃないかしら?」

「……まあ、前天使長の件がかなり耐えてるだろうし」

「しっ!それは言っちゃダメよ!」

 天使長に仕える侍女たちは、おしゃべりをしていた。

 前天使長が亡くなって一か月。やっと新天使長の就任式が行われた。

 しかし、侍女たちにとって、仕事中は真面目に働く天使長が、一人になると物思いに耽ていることが多く、心配の種でもあった。


 双子は二人で一人。

 そう言ったのはリラだ。そのリラが何であんなことに巻き込まれなければいけなかったのか。

 魔王を止めるために一人で立ち向かい、一緒に消えてしまった。魔王はもちろん、リラの亡骸も見つかっていない。

 自分はただただ、兄に守られただけで、何もしてやれなかった。何も返してあげられなかった。

 そんな自分に天使長が務まるとは思ってない。

 そして、その悩みを聞いてくれる兄も、優しく諭してくれる母も、厳しく叱る父も、誰もいないのだ。

「リア様っ!!」

 そんな物思いに耽っていると、従者が息絶え絶えに執務室へと入って来た。

「そんな急いで、どうかしたの?」

「そっ、それが……っ!」

 慌てる従者の後ろから、人影がこちらへと向かってきた。やがて、それは執務室から漏れる光に姿を映した。その瞬間、リアは驚きのあまり立ち上がり、“彼”を凝視した。

「ただいま、リア」

「リラっ!!!」

 思わず飛びついた。間違えるはずがない。この金髪も、自分と同じ瞳の色も、背格好も、声も。何もかも、リラ本人なのだから。

「そんなに泣かなくてもいいんじゃないか?天使長」

「もうっ!どれだけ心配したと思ってるの!?会いたかった!」

 リアのちょっとした怒気にも、リラは笑顔で答えていた。

「ごめんごめん。これでも急いだ方なんだけど」

「もう……二度と会えないと思ってた……」

 未だにめそめそ泣くリアに、リラは苦笑いを零し、あの時の話を続けた。

「あの時は、あれしか助ける方法がなかったから」


 あの時……リラが魔王と共に消えた日。

 リラはリアを助けるために、自分の身を挺した。

 魔王の息子として、微かに残っていた力を全て使い、魔王へと体当たりした結果、お互いの魔力は膨張し、それによって二人は異世界である“無”の世界へと飛ばされた。

 何も無い世界。前も後ろも、上も下も、立っているのかも寝ているのかも、生きているのかも死んでいるのかも、何もわからない。

 一緒に来たであろう魔王の姿も見えず、そんな世界にたった一人だった。もう、あの世界に帰ることはないだろう。突然の別れになってしまったのは悲しいけれど、後悔はしていない。大事な妹を守れたのだから。

 そこに、一筋の光が舞い降りた。金の髪にエメラルドの瞳、リアと同じ顔立ちの少女。自分がずっと体を借りていたリラ、彼女本人だった。

「例え、血は繋がっていなくても、貴方達はそれ以上の絆で結ばれている。だから、あなたを助けたい。リアのために。これからも、妹を助けてあげてほしいの」

 そう言い終わると同時に、周りが光りだし、あまりの眩しさに目を閉じた。


「で、気付いたらこっちに戻ってきてたんだ」

「つまり、お姉ちゃんが助けてくれたってこと?」

「ああ。ついでに、俺に新しい身体をくれた」

「ふふ、あまり変わらないけどね」

 リアはころころと笑った。

 確かに、リラの変わったところと言えば、オッドアイだった瞳が、両目ともエメラルドに変わっているところだけだろう。

 リラは、リアの手をぎゅっと握った。

「親父やお袋には恩返しは出来なかったけど、お前の助けになれば、恩返しになると思ってる。だから、これからもリアの兄でいさせてほしい」

 その言葉にリアは驚いたが、すぐにふと微笑んだ。

「恩返しとか、そういうこと言わないでほしいの。だって、私にとっては大事な兄なのだから。もちろん、妹として甘えることはたくさんあると思うけど、兄として助けてほしいの」

「ああ、もちろんだ!」

 リラとリアはぎゅっと手を握りながら、お互いに笑顔を向けた。


 数ヵ月後、リラが元々男だったことを公表したことで、国中混乱を招いた。しかし、一つ一つ地道に二人で解決し、リラは側近という立場から、リアを支えることになった。

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黒い光 白い闇 宇奈月希月 @seikaKitsuki

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