第2話 間宮健人という男

相も変わらず、今日も俺は、虚しくもクラスメイトの誰とも言葉を交わすことなく終業のチャイムを迎えた。そして、この俺にとっての地獄学校から一刻も早く家に帰りたい俺は、終わりのHRホームルームが終わると同時に校門を後にして最寄駅へと向かう。


残念なことに、今日は担任がHRを始めるのが遅かったこともあってスタートが遅れてしまった。そのおかげで、今も俺の目に映るのは、楽しそうにはしゃぎながら帰路につく有象無象のこの学校の他の生徒たちの姿。


登下校も青春の1ページだと言うが、この学生として当たり前の、まるで学園ドラマのオープニングに使われそうな華やかな青空の下の光景の中に、俺の姿はもちろん入っていないし、今後入ることもおそらくない。


そう。この光景に交じりたくないことを理由に、一目散に駅に足を進めるのが姿


不本意ではあるが、今日みたいな場合は、楽しく下校している奴らの間を俺が早歩きでごぼう抜きしていく。そんな光景がもはやこの通学路では当たり前の光景となってしまっていることだろう。


もう1年は同じことを繰り返しているのだ。本来であれば10分かかる最寄り駅までの距離も、俺のこの無駄のない早歩きにかかれば約3分を切る。


実際、もし競歩の大会に今出てみた場合、俺は結構いいレベルまで行くかもしれない...。


そして、そんなしょうものないことを頭の中でブツブツと言っている間にもう俺の身体は、既に駅に着いており、目には、いつもの様にうちの学生がたまり場にしている、駅入り口にあるミスドも飛び込んでくるが、ぼっちの俺がそこに寄り道をすることはもちろんない。今の俺にとってあそこはRPGの歩くだけでHPが削られる毒ゾーンみたいなもの。


だから、いつもの様に脇目も振らず、俺は早歩きで自宅に帰る方面のホームへ向かう入り口の階段を下って、改札へ向かう。


特別大きいわけではないが、何だかんだで広さのある駅だ。

改札のある広い地下空間に出ると、それなりに大勢のうちの学校の奴らがまばらにごった返しているが常なのだが、何だろう。


「......」


今日は...何故だかいつもと雰囲気が違う気がする。


何が違うのかと言われると一瞬で上手く言語化はできないのだが、強いて言うのであれば人の流れ。ある空間の端にだけぽっかりと穴が空いたかのように人の流れがない。


そして、その理由については俺も今ようやく理解した。



 「金だせよ。オラ。迷惑料だよ」



さっきから耳にはこんな感じで色々とうるさくて物騒な言葉が聞こえてきている。

初めは、ただのチンピラ同士の喧嘩かと勘繰ったりもしたが、どうやら違うようだ。


「俺らが怒らないうちに早く財布だせって。さっき俺らのことゴミを見るような目で見てただろ?」

「マジで名誉棄損じゃん。俺らだってこんな見た目だけど一生懸命生きてんのにさぁ」

「オラ、早く出してしてくれないと殺しちゃうよ?」


とりあえず今の状況を整理すると、俺の目には、うちの学校の制服を着ている一人の男子生徒の姿。そしてそんな彼を覆い囲むようにあからさまな柄の悪い男達の姿も一緒に写り込んでいる。


相手は5人程いるのだろうか。漫画やドラマ以外で実際に見たことはなかったが、俗に言うが行われている様子だ。


本当にこんなことをする奴らがいるんだと、俺は呆気にとられて、無意識についその光景にまじまじと目を向けてしまう。


運悪く、そんな柄の悪い男達に絡まれてしまって怯えている、痩せた身体に眼鏡のうちの生徒であろう男は、見たことはないがおそらく1年生だろうか。


『そんな目をあなた達には向けていません』と否定しながら胸ぐらを掴まれている彼のその瞳からは既に涙がわかりやすくボロボロとこぼれている


「......」


そして、とりあえず、こんな光景に遭遇してしまったこともあって俺も今ちょうど思い出したが、確かに朝のホームルームで担任が言っていた気がする。


この近くの他校の生徒が先日、不良数人に全治2週間の怪我を負わされる事件があったとか言う情報を。

 

犯人達はまだ捕まっていないとのことで、くれぐれも登下校の際には気をつけるようにと促されていたが


まあ、明らかにもう遅い...。





現在進行形で、俺の目には、見えているはずのこの光景を何としてでも視界に映さないように素通りしていくうちの学校の奴らの姿が映し出されている。


実際、こんな状況に巻き込まれたくない気持ちは痛いほどわかる。


わかるが、今ちょうど同じクラスの榊と守谷といった男たちがこの場を通り過ぎていったことについては俺も何とも言えない気持ちになってしまう。  


 『そんなもん。俺の前に現れたらボコボコにしてやんよ』

 『てか、逆に出てこいよな。あぁ喧嘩してぇ』

 

などと、ホームルームでイキリにイキリまくっていたクラスの上位カーストとも呼ばれているあの榊と守谷が、静かに無言で、一切この危なそうな輩どもとは目も合わせずに下を向いて通り過ぎていったのだ。


そして改札を抜けて安全圏に入るやいなや、まさかの俺に向かってニヤニヤとした嘲笑を向けてきたあいつ等。


そんな光景にあらためて俺は、怒りを通りこした何かが胸の中に流れ込んでくる。


「......」



そう。



で気が付いている者もいるかもしれないが、俺は今、いや、俺


何故か、まさかではあるが、隣の眼鏡くんと共に、この柄の悪い男たちに囲まれている状況だ...。


無論、俺自身もこいつらに関わるつもりなんてなかった。

なかったが、いつの間にか、何ガンつけてんだコラなどと絡まれ、強制的に俺もこの騒動の当時者に...。



最悪でしかない。



「お前も金だせよ、コラ」


とりあえず、隣の号泣眼鏡君と共にチンピラどもから至近距離で凄まれている俺。


自分で言っていて情けないが、いかにもカツアゲされそうな2人組がカツアゲされている。これが周りの奴らから見た客観的な光景だろう。


榊たちだけでなく、その光景を嘲笑うかように通りすぎて行く性格の悪い者たちの姿もチラホラと俺の目には見えていた。


同じクラスの榊の小判鮫である高砂もその1人だった。

差し詰め、明日また、カツアゲをされていた俺の陰口をネタに教室で盛り上がれるとでも思っていたのだろう。


「はぁ...」


そんな光景を想像すると、俺の口からは無意識に溜め息が漏れでてしまう。

本当に、何でこんなに不遇な学生生活を送らないといけないのだろうかと。何で何もしていない俺がこんな惨めな思いをしなければならないのだろうと。


幸い、ほとんどの者が改札を抜け、もう俺ら以外にはほとんどここにはいないみたいだが、さっきからのこんな俺の態度が癇に障ってしまったのだろうか


「コラ、なめてんのか? お前」


唐突に、巻き舌で凄んでくるチンピラの一人から、俺の顔面に向かって拳がとんでくる。


そして、すぐさまこの空間に響き渡る、人間が殴られた時の乾いた鈍い音が数回...





「はぁ...」





 

とりあえず今、無残にも色々な体勢で床にチンピラどもが転がっている糞みたいな光景。


そして、もう時既に遅しではあるが、誰かが通報してくれていたのだろうか。外からはパトカーの音も聞こえてくる。


「はぁ...」


この短時間でもう俺は何度目のため息をついたのだろう。


どこからともなく嫌な視線も感じるが、幸いにも俺の視線の先に、知っている顔の奴は今はいない。同じ学校に通っているであろう知らない顔がチラホラと数人いるだけ。ただでさえぼっちで目立たない俺の名前など知るはずもない奴らだ。


だから、まあ大丈夫だろう。ただの正当防衛だし。

一緒に絡まれていた号泣眼鏡くんにもついさっき名前を聞かれたのだが、もちろん答えるわけがない。


そんなこんなで、さっきまでの出来事を自分の中で何もなかったことに消化した俺は、静かに改札を通り抜けていつもの様に自宅方面に向かう電車に駆け込んだ...。


 ◇◇◇◇◇


 それにしても、不本意ではあるが、久々に人を殴った気がする。

 物心ついた頃からもう知っていた、拳に伝わるあの感覚は到底自分にとって気分のいいものではないことを俺はさっきの出来事であらためて再認識した。


 そして、イレギュラーなことがありながらも、ようやく帰ってきた自宅マンションの1階のテナントには『』とプロの書道家が書いたような太くて豪快なフォントの見慣れた看板が掲げられているが、俺にはもう関係ない。


 俺は俺でやりたいことをみつけたのだから。


 そう。俺にはもう関係ない。何が100年に1人の逸材だ...。


 以前の様にボクシングだけに支配される人生なんて想像したくもない。

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