12月30日

本日ご来店のお客様。


午後三時。からからとドアのベルを優しく鳴らしてきましたのは、齢四十とお見受けした男性のお客様。紺色のスーツを纏っていましたが、カウンター席に着くと脱いできれいに折りたたみました。お荷物用のかごをわたそうとしましたが、いやすぐに行きますのでとおっしゃりました。スーツと似た紺色のネクタイを緩めたところで、私はお客様の前に水とおしぼりとメニューをそっと置きました。

メニュー表をじっと見て、何かをみつけたのでしょう、はじかれるように顔をあげまして、人差し指を一本立てました。


「マスター、ラムネをひとつ。」


ぽん、という音がして、じきにしゅわしゅわという音がしました。澄んだ青色の水がゆらゆら揺れる瓶を、お客様の前にそっと置きました。お客様は、少し太い手でそれを持つと、ぐいっと瓶を傾けました。喉が上下に動くのがよく見えました。半分くらいサイダーのなくなったラムネは、ころころとビー玉の走る音がしました。


「ビー玉って、」


お客様が口を開きました。


「どんなあじがするんだろうな。」


私は、なんと答えたか、確か、みずのあじ、と答えた気がします。


「梶井の言っていた、びいどろのあじとはまたちがうのかなあ。あっちより、ビー玉は重いもんな。でもきっと、おいしくて涼しい味をしているんだろうなあ。」


お客様は瓶の中のビー玉を、まるで宝石を見るようなきらきらした瞳で見つめていました。


「ビー玉って、こどものとき、ダイヤモンドみたいに思えて好きだったんだ。光が当たると、きらきらと光るんだ。それにばーちゃんちに夏に顔出すと、かならずラムネがあってな、暑い縁側でいとこと並んで座って飲んだんだ。もう一本飲みたくなっちゃって、近くの駄菓子屋に、とはいっても相当歩く場所だったんだが、そこにこづかい握りしめて、ばーちゃんちの犬の散歩がてら行ったもんだ……」


照明に翳したビー玉は、木製のテーブルに海のような模様を描いていました。眉間にい寄っていた皺も、やせこけた頬も、このときはなくなっていて、無意識だったのでしょうが、口角がほんのすこし、あがっていました。ビー玉、お持ち帰りなさいますかときくと、ぱっとこちらを見たのでした。その時の顔は、まるでほしいものを買ってもらえるとわかった小学生のようでした。


冬ですけど、というと、いや、時期は関係ないのさとお客様は笑っていました。

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Café/Eindruck 熊谷 響 @hibiki1208

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