開店1周年前日 12
美津子は料理が上手い。ありあわせの材料でもおいしいものを作る。しかも早い。夫婦で同じ仕事をしていると互いに事情を理解しているので、食事の時間も色々と工夫することになる。
職住接近を意識しているため、自宅と店舗は歩いていける距離にある。そのため、昼食はいつも手早く美津子が作り、予約の様子を見ながら交代で摂ることにしている。以前飲食業をやっていた経験がこういうところで活かされていた。
この日は開業1周年の前日で、休業日にしていたので急いで作る必要はないのだが、これまでの習慣で手早く作ることになった。メニューはチャーハンだ。
2人分のご飯はジャーの中に入っている。美津子はそれを少しでも冷ますため、皿に盛った。
冷蔵庫を確認すると卵、ハム、ネギを確認した。チャーハンを作ろうとする時、最低限必要な材料だ。本当はチャーシューが良かったが、あいにく切らしていたので、今回はハムを代用した。
熱したフライパンの上に油を引き、溶いた卵をそこに入れる。音を立てる卵を素早くかき混ぜ、まだ少し生の状態が残っている時、冷ましていたご飯を入れ、素早くフライパンを振る。
米粒がフライパンの上を踊るように飛び跳ねていて、他の具材をそこに投入する。もちろん、事前に材料は適正な大きさに切ってある。そういう下準備がきちんと行なわれていてこそ、おいしい料理が出来上がる。塩、こしょう、他に粉末のスープの素を適量入れ、仕上げていく。
私はその横でサラダを作っていた。とはいってもレタスをちぎり、キュウリを切っただけの簡単なものだ。作る時間はチャーハンに比べたら短時間で終わる。それにドレッシングをかければ終わりだが、2人ともこういうコンビネーションは今までの経験から速やかにできる。
準備から15分もかからない内に昼食ができた。
それをダイニングテーブルに並べ、食事した。いつもと違い、今日はゆっくり食べられる。その分、会話も弾むことになり、先ほどの村上との話も併せ、自分たちのこれからについての話がどちらからともなく出てきた。
「さっきの村上さんの話、私たちにもプラスになったね」
美津子が言った。直接会ったわけではないが、電話での話しぶりから何となく人柄を理解したようで、あたかも昔から知っている人のような感じで話していた。
「そうだね。村上さんや川合さんと違って俺たちは2人でやっている。さっきは聞きそびれたけれど、そのメリットを活かそうとすれば、2号店も考えることができる。そうなると、今みたいに昼食を一緒になんてできなくなるけど、仕事を大きくしようとすればそういうことも考えなくてはならない。もちろん、まだ今の店自体まだ1年目だし、もう少し様子を見ることも大切だ。でも、何か次のステップを意識して仕事するのと、これまでの繰り返しで続けるというのでは質的に違ってくると思う。お前はどうだ?」
私は1周年という節目に次のことを考えているということを明かしたが、美津子は特段驚く様子はなかった。
「そうね、基本的には賛成だわ。そうなると今のお店が1号店、あるいは本店ということになるけど、胸を張ってそう言えるような状態にしなければならないし、そのための条件を考えるのがこれからの1年になりそうね」
美津子も支店について賛成しているようだし、私はますます気合が入ってきた。
「それで、具体的にはどう考えているの?」
美津子が聞いてきた。だが、私に具体的なプランがあるわけではない。開業して1年、それなりに順調だったと思うけれど、安定しているわけではない。天気が悪い時やGWなどの長期の休みの時などは普段とは来院者の数が異なる。それは飲食店の時も同様だったが、だから2号店を出す時はちょっと慎重に考えた。癒しの仕事の場合も同様で、もう少し様子を見たいという気持ちが心の中でそれなりの比重を持っていた。
1周年という節目が次のステップということを考えさせるのだろうが、以前の経験を活かせるところとそうでないところがあることはこの1年で経験している。そういうところが私が強く決心できない理由の一つになる。
「またソファのところに移ろうか。ここは食事をするところだから、こういう話をするのはちょっと・・・」
この話になったのは昼食が終わってすぐだったのだ。だから私たちはまだダイニングテーブルのところにいた。
「そうね、またお茶で良いかしら?」
「いや、今度はコーヒーにしてくれ」
特別な意味はなかったが、気分を変えるためには午前中とは違った飲み物にした。
美津子はコーヒーメーカーで豆を挽き、入れたてのコーヒーを持ってきた。
私はアメリカンが好みだ。美津子はそれほどのこだわりがないようで、いつも私と同じものにする。この日もそうだった。私はブラックを好むが、美津子は砂糖もミルクも入れる。いずれも少量だが、こういうところは違っている。
私はカップを口元に持って行き、一口飲んだ。
「おっ! 今日はおいしいね」
私は美津子の顔を見て、ちょっとおどけたような感じで言った。
「そう? 豆も入れ方も変わらないわよ」
「そうか? おいしく感じるのは無事に1周年を迎えたってところにプラスに働いているのかもな」
「心の働きが大切ってことは学校も教わったし、私たちもお店でよく言っているじゃない。きっといろいろな思いが関係しているのよ」
私の心の中をきちんと整理してくれたような美津子の言葉だった。
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