第14話 花蓮は渡さないよ

 空の向こうに湧き立つような雲が見える。



 龍のように登るその雲は、前宮の青桃菊棟の廊下からよく見えた。



 秋の澄み渡った空には似つかしくないものだ。

 



 蓬々の家の璃音りおん姫は、夜々の家の邑珠姫や冥々の家の茉莉まあり姫に比べると、幾分か愛嬌のある顔立ちで幼い印象が強い。



 背も低く小柄で華奢だ。だが、3人のうちでは一番したたかさを垣間見せる姫だった。




「これはこれは鷹宮さまぁ!」



 甘ったるい声で猫のように擦り寄った璃音りおん姫は、私の方をチラッと見た。



「花蓮様、おめでとうございます。合体の儀、およろこび申し上げますわ」



 戯れるように飛び跳ねて喜びを表現する璃音りおん姫に、鷹宮は一瞬ふっと笑顔を見せた。



 美しい顔を緩めただけで、ほーっとなるような絵になる姿だ。

  


 あぁ、こういう姫がお好きなんですね。

 

 

 私は若干イラッときていた。


 なんで、私がイラッと来るのかは変な話ですけどね。




「聞いてほしい。璃音りおん姫、私の心には、花蓮しかいない。花蓮に何かあれば、この縁組は残り31人の入内は取り消される。妃候補失格とする。意味がわかりますか。今後、花蓮の身に何かあれば、そなたも疑われる。分かりましたか?」



 先の2人の姫に話したのと全く同じことを鷹宮は穏やかな表情で彼女に言った。



 あざとさが漂う璃音りおん姫は、ぴたりと動きを止めた。



「えぇ?花蓮様に何かあれば、璃音りおんも妃候補失格となるのですかぁ?」



 あぁ、ちょっとどころでなくかなりイライラする言い方……。



 クネクネと体を揺らして彼女は言い始めた。



「ぷっ!」



 鷹宮が噴き出した。 



 え?

 何なの?



 私は鷹宮を見た。



「やめよ。わざとらしいぞ」



 その途端、璃音りおん姫は椅子の上にあぐらをかいてひっくり返った。



 な……なんとっ!?

 あ……あぐら?



「もう、鷹宮兄ったら、花蓮様にはバレていなかったのですよ」

「悪い悪い」



 な……なんなの、この2人?



「幼き頃から宮とは兄妹のように育ったので。母同士が姉妹なのです」



 璃音りおん姫はサバサバとした調子でいった。



「何、この猫娘?とか思ったでしょ、花蓮様?」



 璃音りおん姫は蜜柑を手に取り、皮をむき始めた。




 棟ごとの姫君たちは互いに顔見知りにもなるし、同じ建物の中に部屋を分けて暮らしているので、互いの家々の気配も感じる。


 

 姫同士は自然と仲良くもなる。だが、青桃菊棟は一風変わっていた。


 

 何しろ妃候補の第一位、第二位、第三位の姫君たち専用の棟なのだから。



 前宮の支配棟と言っても過言ではない青桃菊棟の姫君たちは、つるむのを好まない。西一番のお金持ちの夜々の家の邑珠姫が特にそうなだけだが。気位の高さから、全くつるまないのだ。




 蓬々の家は各家の中では一番の大金持ちであり、領地は御咲の国の中央の平地にある。織物の商いで財をなした家だが、材木も扱い、手広く商売をやっていた。



 その蓬々の家の三の姫である璃音りおん姫は、自ら鷹宮の妃になりたいと志願したと聞く。美しさで言えば、他にも美しい姫はいるが、家の財としたたかさ、またにこにこと愛嬌を振りまく才は際立っていた。



 あの今世最高美女のお高く止まった邑珠姫ともうまくやっていける才覚の持ち主だった。



 如才なくさりげなく人を持ち上げて話せるので、一緒にいる人が誰しもが明るい気持ちになれた。苦労知らずのお嬢様のはずなのに、どこかしたたかさが際立つ。



 つるむのが嫌いな邑珠姫をうまく他の姫とつないでいるのが、璃音りおん姫だ。



 その姫が、今は椅子の上にあぐらをかいて座り、蜜柑をもの凄い勢いで食べている。



「鷹兄も食べます?花蓮様もどうぞ?」



 あぐらをかいたまま差し出された蜜柑を私も鷹宮もいただいた。



「私は兄さまの妃になるつもりでしたが、やはり、私じゃぁね……」



 もぐもぐと品よく口を動かしながら、実に豪快に、蜜柑のふさを口に投げ込むようにして食べている。頬張っているといっても過言ではない。



「また行儀の悪い……」



 鷹宮はそう言いながらもどこか楽しそうだ。

 


 いずれの姫も美しいのは間違いないが、璃音りおん姫は美しいというより、愛嬌があり、可愛らしい様子だ。



 だが……。

 あぐら?



 それは目にあまるのではないですか?

  



「食べなさいよ」



 遠慮のない物言いで璃音りおん姫は鷹宮に言った。



 多少のあざとさがあっても、あぐらで勢いよく食べながらそういうところは、自分の立場を分かっていないようだ。



「花蓮様のことは、私が狙っていたのに……」

「ふふっ。すまない合体の儀を済ませた」

「それを言わないでーっ!」

「いや、事実だから。花蓮は俺のものだから」



 なんだこの2人。

 私を取り合ってどうするつもりだ。

 て……。



 璃音りおん姫が私を狙っていたってどういう意味?



 私とそもそも接点は無いけれど……?


 いや?

 どっかで会ったような……?



 この感じ……?




「あぁっ!?」



 私は急に叫んだ。



 そうだ、思い出した!

 私が子供の頃によく済々の家に来ていたあの子に似ている!?



美梨みりの君ですか……?」



 私は頭に浮かんだ記憶を元に聞いた。



「えへへ……」



 蜜柑を頬張った姫は照れたように微笑んだ。



 そうだ!

 美梨の君と鷹だわ……!


 え?

 でも、男装していたよね?



「男装されていらっしゃいましたか?」

「はい、入内するまでは男装しておりましたわ」



「本当は男性なので?」



 私が言った言葉に璃音りおん姫はニヤッとした。


 

「いやいや、まさか。美梨は璃音りおん姫だよ。れっきとした姫だ。それは子供の頃、一緒に風呂に……」



 そういった途端に、……璃音りおん姫が鷹宮の口に蜜柑の大きなふさを放り込んだので、鷹宮はそれ以上喋れなかった。



 昔、済々の家に、よく遊びに来ていた2人の男の子がいた。



 一人は将来美男子になりそうないかにも利発そうだが、どこか愛嬌のある顔だちの美梨の君といった。



 美梨の君はいつも何かと威張っていた。


 一緒にいた鷹という子も、大層綺麗な顔だちをしていたが、どちらかというと、美梨の君の従者のような振る舞いをしていた。美梨の君をお守りするといった様子だった。



 あれが鷹宮さま!?



 私は呆然として鷹宮を見つめた。



 昔から私たちは知り合いだったの?

 全然気づかなかった……。



 私の記憶の中でどことなく、愛嬌のある顔立ちと、当時の利発そうでありながら愛嬌のある顔立ちの男の子の姿が、目の前で豪快に蜜柑を頬張る璃音りおん姫と繋がった。



 鷹宮と私は知り合いだった。

 昔、一緒に遊んだ事が何度もあったのだ。



 済々の家は、南寄りの平地にあった。中央に位置する蓬々の家からは割と近く、大金持ちの蓬々の家の三の姫は大層活発だという噂は確かに聞いたことがあった。



 美梨の君とは、蓬々の家の三の姫が男装していた仮の姿だということになる。



 私が10歳、11歳ぐらいの頃だ。



 そうだ。


 私が誘拐されたのはそれから数年後のことだったが、誘拐されたと聞いて蓬々の家からも捜索を手伝う人々がたくさん出されたと聞いた。



 そういうことだったのか。



 昔遊んだ美梨の君が、実は目の前のしたたかさが垣間見える璃音りおん姫だとは……。



 私と鷹宮とも以前に出会って一緒に遊んでいたのに、全然、気づかなかった。



「でね、私たち、花蓮様がすっかり忘れた様子なのを寂しく思っていたのよ」



 本当に覚えていなかった。いや、覚えていたが、あの当時の2人の男の子が鷹宮と璃音りおん姫だと気づいていなかった。


 ふと、私は蓬々の家の者は誰一人としてこの部屋にいないことに今更ながら気づいた。



「あの……先ほど私を狙っていたとおっしゃいましたが、どういう意味でしょう?」



 私は不思議に思っていた事を聞いた。



「あぁ?ちょっと待って」



 椅子の上であぐらをかいていたのをサラッとやめて、璃音りおん姫が立ち上がった。



 私の目の前まで、まるで男であるかのような歩き方でやってきて、私の目の前に立った。私の唇をすっと親指で撫でて、私の口の前に蜜柑のふさを一つだけ差し出した。



 私は反射的に「あーっん」とされて、パクりと食べた。



 両肩をガシッとつかまれて、その璃音りおん姫の唇が近づいてきた。



 な……なぜ!?


 

「はいっ!」


 

 鷹宮が私と彼女の間に体を滑り込ませた。私の目の前には鷹宮の美しい顔があった。



「あの……」


「花蓮は俺の妻に決まった」



 鷹宮は静かに言った。煌めく瞳が私を見下ろしている。



「どうしても、彼女を未来の皇后にするの?」



 鷹宮の背中の後ろから、璃音姫の声が聞こえた。



 少し怖くて、あざとさのかけらもない声音だった。



「花蓮は渡さないよ、美梨」


 

 鷹宮は私の両頬を包み、そのまま口づけをした。


 

 呆然とする私の手を鷹宮は力強く握ると、そのまま蓬々の家の部屋を出た。



「そうはさせないから」


 

 璃音姫のはっきりとした声が背中から追いかけてきた。



 え……。


 どっちにしろ、私が妃になるのを反対しているとなる?

 


 

 私の入内は予期せぬ展開になったようだ。


 

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