第12話 私の最愛の妻、花蓮だ

「鷹宮様が!」

「えぇっ!?」



 大きな声で誰かが叫ぶ声がここまで聞こえてきた。



 鷹宮は意に介さない様子で、真っ直ぐに前を見つめたまま、悠然と歩いていく。


 ただ、鷹宮は私の手を繋いでいた。しっかりと私の手を握る手が温かく、私はそれだけで少し安心できた。



 なんなのこの雅な笑みは……。



 彼が私を振り返って見つめると、金木犀の香りと共に舞い降りたような心地にすら思えた。



 私たち2人は迎えに出てきた夜々の家の者たちに微笑んだ。



「これはこれは鷹宮様」



 鈴が鳴るような声がして、邑珠姫ゆじゅひめが姿を現した。



 艶やかな髪。

 透き通るような肌。

 黒目がちの美しい瞳。

 ぽってりとした唇。



 今世最高の美女と呼ばれるに相応しい美貌だ。私は初めて間近で目にしたので、そのオーラに圧倒されて立ち止まってしまった。



 胸がドキドキする。

 私とは格が違い過ぎる美しさ……。

 この人と並ぶ自信はない。



「邑珠姫。急にすまない。私の妻の花蓮を改めて紹介しにやってきたのだ。知っていると思うが、こちらが私の最愛の妻、花蓮だ」



 私は急にそんな紹介をされて、鷹宮を見上げた。



 鷹宮は高貴で妖艶な笑みを浮かべて、私を見つめている。


 私はハッとして邑珠姫を見た。彼女は真っ青な顔をしていた。



「夫婦の契りは終わったとおっしゃりたいのですね?」



 邑珠姫は泣きそうな表情になり、鷹宮に聞いた。私はその様子をじっと見つめていた。彼女は健気だ。



「わたくし、本気で鷹宮様に恋をしておりますのよ。その気持ちに変わりはございませんわ」



 邑珠姫は震える声で、言葉を絞り出すように言った。彼女は思わず無意識に手を胸に当てたが、その手は細かく震えていた。



 演技ではないわ。

 邑珠姫は、どうやら本気で鷹宮に惚れているのね……。



「花蓮様、おめでとうございます。心からお祝い申し上げますわ」



 邑珠姫は目尻に涙を滲ませて、そう囁くように言った。



 本気に見える。


 彼女は健気に傷心をこらえようとして、私に祝いの言葉を告げているように見える。



「私の心の中には花蓮しかいない。花蓮に何かあれば、残り31人の入内は取り消される。妃候補失格とする。意味がわかりますか」



 鷹宮は静かに邑珠姫に告げた。周りで固唾の飲んで成り行きを見守っていた夜々の家の者たちが声にならない悲鳴をあげたように感じた。



 ひぃっ……!



 妃候補失格の汚名は拭いようのない汚点となり、お家にとっても一大事となる。



「はい、しかと承知いたしました」



 邑珠姫は美しさを損なわず、しかし動揺を露わにして、震える声で鷹宮にささやいた。



 何もそこまで言わなくても……。



 私は西一番の大金持ちの夜々の家が誇る今世最高美女が、震えながら鷹宮を悩ましげに見つめる様子にハッとした。



 ちょっと待って……?

 これって残りの31人全員が鷹宮に心底惚れているってパターンじゃ?



 鷹宮は私を引き寄せて、私の顔を至近距離まで近づけた。私の手をしっかりと握って離さない彼は、私の唇に自分の唇を近づけた。



 ひぃっと声にならない悲鳴がまたもや漏れたのを感じる。



 夜々の家の方々は、固唾を飲んで鷹宮の振る舞いを凝視している。



 鷹宮は夫婦の契りを交わした中であることを匂わせる妖艶な笑みを私に向けて、耳元にグッと唇を近づけてきた。



 く……くすぐったいのですがっ!


 

「じゃあ、そろそろいくか」



 わざわざそんな耳元で、もったいぶって意味ありげに囁くことですか?



 わざとらしく色っぽい仕草を私だけに振り撒くというのを徹底されたいご様子だが、少し迷惑……。



 私の方を痛みを伴う視線で必死に見つめる邑珠姫の目の前で、なぜそのような分かりやすく偏愛をアピールされるのでしょう?




「今後、花蓮の身に何かあれば、そなたも疑われる。良いな?」



 鷹宮がそうキッパリというと、邑珠姫ゆじゅひめが一瞬、恨みがましいような、切ないような、泣きそうな表情を見せた。



 彼女の吐息は震えていた。



 私の心臓はドキドキが止まらなかった。



 傷物と呼ばれて久しい私をそれほどまでに持ち上げるお方は今までいなかった。



 いや、鷹宮に身を捧げるには傷物過ぎると嘲笑われていた私にとって、これほどまでもキッパリと毅然とした表情で今世最高美女に言い放つ鷹宮に、ドギマギしてしまった。



 なんなの……。

 鎮まれ!

 私の胸の鼓動よっ!



「……ていらっしゃるのですかっ?」



 鷹宮は邑珠姫ゆじゅひめを見た。

 彼女はもう一度言った。



「……花蓮様を愛していらっしゃるのですかっ?」



 今世最高美女はぞくぞくするような気迫のこもった声音で迫るように鷹宮に聞いた。



「花蓮を他の何者よりも愛しているんだ。この恋心に、そなたが付け入る隙なぞない。諦めてくれ」



 うわーっ!

 花蓮って私のことですよ……ね?



「恋……」



 それだけ邑珠ゆじゅ姫はつぶやくと、眉を悲しげに歪めて、顔をくしゃくしゃに崩して涙を溢れさせた。



「すまぬ」



 それだけ鷹宮は優しく声をかけると、私の手を引いて元来た道を戻り始めた。



 鷹宮は真っ直ぐ、ただただ美しい顔を無表情にして歩き、私の手を握る手は温かかった。



 さっきの、私が未来の皇后になるのが我慢ならないと叫んでいた声が夜々の家の今世最高美女の声がどうかは、分からなかった。



 青桃菊棟の庭先に咲く美しい菊は、赤く紅葉した葉がはらはらと落ち続ける中で、その異名の通りすくっと立ち、『高潔な節操』を表しているようだった。



 ふーっ。


 ため息が出る。



 これから訪問する冥々の家の茉莉まあり姫はどんな反応だろう?



 うーむ……。

 私は早まったのではないだろうか……?



 これって、これみよがしに鷹宮を自慢して連れ歩いているのと変わらないような……?



 私は桃青菊に部屋を持つ、冥々の家の方々が住まう部屋の入り口まできた。



 薬を酒に混ぜて私に飲ませて、猪や熊が沢山生息する山におびき寄せたり、壺を頭上から落として殺そうとした輩が、31人のお妃候補の中にいるのだろうか?



 私が瞬時する間に、転がるように冥々の家の者たちが飛び出してきて、出迎えてくれた。




 いや、31人全員が同じで、鷹宮に恋をしてしまっているのかどうかだけでも、この目でしかと確かめよう。



 まず、兄上が入れあげていた夜々の家の今世最高美女は、鷹宮様ぞっこんで間違いなし!



 では、あのお優しい冥々の家の茉莉まあり姫はどうだろう?



 私は鷹宮が私を見つめる視線に戸惑いながらも、覚悟を決めた。



「花蓮さまっ!」


 

 走るようにして急いだのか、息を弾ませて茉莉まあり姫が姿を現し、鷹宮の姿にハッとして、深い礼をした。



「これはこれは鷹宮様」



 茉莉まあり姫は実に嬉しそうな笑みを浮かべて、鷹宮を見た。




 私の入内は予期せぬ展開になったようだ。


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