ACOA

蒸し芋

第1話 「瓦礫の記憶」

 ひび割れたコンクリートの上に、さらさらと細かな砂が舞う。落ちてきた破片の一部なのか、それとももともと崩れかけていた建物の一部が砕けたものなのか、判別がつかない。空は赤黒い夕焼けに染まり、まるで世界が火に包まれる前兆のような不気味さを感じさせる。

 幼い高峯理久(たかみね・りく)は、その瓦礫の中で小さくうずくまっていた。耳を塞いでいても遠くから聞こえる怒号と、噛み合わないようにギシギシと軋むコンクリートの音。そのすべてが今にも崩れ落ちてきそうな不安をかき立てる。

 視線をわずかに上へ向けると、ビルの壁面が斜めに削り取られ、あちこちが崩壊していた。もともとは大人でも足がすくむような高層ビルだったはずが、いまや大地に膝を折らされているかのごとく傾いている。引き裂かれた鉄骨の隙間から、どこかで火花が散っているのが見えた。まるでドラマのセットでも見ているかのように現実感がない。

 しかし、その場がいかに「非現実的」でも、理久にとっては容赦のないリアルだ。自分よりも先に逃げようとした人々の足音は遠く、周囲には人影がなくなってしまった。携帯端末をいじってみても通信は通じず、かすかな雑音しか聞こえない。


(助けて……誰か……)


 声に出して叫ぶ気力さえ失せかけたとき、ぐしゃり、と何かが壊れる音が耳を打った。背後を振り返ると、目を疑う光景があった。機械の腕がちぎれ、その肩にあたる部分からスパークが散っている人型──アコアらしきものが、倒れた壁にもたれかかっているのが目に入ったのだ。

 そのアコアは真っ黒に焦げた外装からところどころ内部パーツがむき出しになり、さながらスクラップの山のようでもある。理久の小さな目からは、まるで「瀕死の人間」のようにも見えた。


 ──助けてくれなかったのか? それとも助けようとして、こんなふうに壊れたのか?


 幼いながらに矛盾する思いを抱えながら、理久は体を引きずるようにしてそのアコアのそばに近づく。人工皮膚の破れたところからは金属の骨格が覗き、電気系統が焦げた刺激臭が鼻を突く。


「……どうして……助けてくれないの……」


 震える声で問いかけても、アコアはもう動かない。頭部のセンサーにあたる場所はヒビが走り、ぱちぱちと火花が飛び散っているだけだ。その姿は、この廃墟と同じように、もはや希望が残されていないように見えた。

 理久はそのままうずくまり、ただただ震えるしかなかった。助けを求めていた相手が機械だろうが、人間だろうが関係ない。誰か、何かにすがりつきたかった。しかし、アコアは応えない。燃え尽きる寸前の制御不能……まるで、そこに存在しているはずなのに、いないも同然だった。

 遠くでサイレンの音がする。誰かが「人間の救助隊が来た」と走り回っている声がかすかに届いたような気もする。だけど、その声もいつか消える。ほどなく世界全体が深い闇に呑みこまれ、理久の意識は落ちていく。


 ──そして、その「瓦礫の記憶」は、彼の心に深い傷跡として刻まれた。


 ***


 目を覚ましたとき、高峯理久は視界いっぱいに広がる白い天井を見つめていた。そこは崩壊したビルの内部ではなく、静かな病院のベッドらしい。周囲には点滴や医療器具が並び、消毒液の匂いが漂っている。


 「よかった、気がついたか」


 そう声をかけてきたのは、医療従事者らしき若い男性だ。彼は安心させるように微笑みながら、理久の脈拍や瞳孔の反応を確認する。隣には両親もいる。表情は心配そうだが、少なくとも無事のようだ。


 「お父さん……お母さん……」


 理久のか細い声に、母親は涙をこぼしながら「よかった、本当によかった」と繰り返した。父親は黙って理久の手を握りしめ、微かに震えていた。


 「……アコアは?」


 覚醒して間もない理久から思わずこぼれたその言葉に、大人たちは一瞬顔を見合わせる。医療従事者が申し訳なさそうに首を振った。


 「残念だけど、私たちが駆けつけたときにはアコアは壊れていたよ。もう手遅れだった。あの子……いや、あれは君を守ろうとしていたのかな? 破損の状態を見る限り、崩れてくる瓦礫から君をかばったんじゃないかって意見もあるんだ」


 ──守ろうとしていた? それとも……?


 理久はよくわからない混乱のまま、まぶたを閉じる。それきり誰も“アコア”のことを話題にしようとはしなかった。

 退院後、周囲の大人は「怖い思いをしたけど、もう大丈夫」と口をそろえた。あのとき何が本当だったのか、子どもだった理久は誰にも詳しく聞けないまま成長する。

 確かなのは、「アコアは信用できない」という漠然とした不信感が、理久の胸に根を下ろしたということ。もしあのとき、人を救うために作られた機械がもっと動いてくれていたら──そう考えるたびに、自分の無力さと世界への理不尽を呪う気持ちが湧き上がってくるのだ。


 ***


 十数年が経った。

 近未来都市──かつての大災害や局地的な紛争を乗り越え、人々は再び最先端技術によって栄華を謳歌しはじめている。空にはいくつものドローンが行き交い、街のあちこちでホログラム広告が踊る。AI搭載型ロボット、通称「アコア」はもはや生活の至るところに普及していた。

 もちろん、それを支えるための法整備や規制も存在する。遺伝子コーディネートされた人々と、そうでない“通常”の人々とのあいだにも暗黙の溝があり、社会には独特の歪みが生じている。だが、表向きは「技術発展と共存による平和」という建前を保っていた。

 高峯理久は、そんな時代の中で、アコア関連のメンテナンス企業に勤めている。もっとも、自分から望んだ仕事ではない。大手企業の系列会社で、なんとか安定した職を確保しなければならなかっただけだ。


「おはよう、理久。今日から三日間、郊外の研究施設に行ってもらうからな」


 朝、オフィスに出社すると、上司の勝峰(かつみね)岳志が気軽に声をかける。彼は恰幅のいい体格に似合わぬ温厚な性格で、部下たちからの信頼も厚い。


「研究施設……ですか? なんのメンテです?」

「定期点検だよ。まあ、お得意様の関係施設ってわけだ。アコアの大量メンテがあるらしい。バージョンアップだの何だの、俺も詳しくは知らんけどな。危険な仕事じゃないって話だし、気楽に行ってきてくれ」


 ──危険かどうかはともかく、アコア関連か……。理久は心のどこかで暗い感情がわだかまるのを感じた。しかし仕事と割り切るしかない。


 「分かりました。指示書通りに行ってこようと思います」


 淡々と返事をすると、勝峰は「助かるよ」と笑って背中を叩く。自分としてはまるで気が乗らないが、やむを得ない。

 会社を出て社用車に乗り込み、ナビゲーションシステムを起動させる。目的地は都市郊外の広大な敷地に建つ研究施設。アコア開発の一部と聞いているが、詳細は明かされていない。高いセキュリティレベルで運用されているらしい。


 「セキュリティが厳しいってことは、それだけ重要な研究をやっているんだろうな……」


 ぼそりと独り言を呟いても、車内には当然誰もいない。ただ、嫌な予感というか、胸の奥のざわつきは消えない。それが漠然としたものであるほど、不安は膨らむばかりだった。

 高速道路を下り、田園風景とも言えない荒地のような場所をしばらく走る。道端にはドローンの充電ステーションがぽつりぽつりと点在し、大型車が通る気配は薄い。

 やがて、視界に大きなゲートが映った。淡いグレーの外壁が何重にも敷き詰められたような重厚感ある建物。その正面に、電子ゲートがゆっくりと開いている。施設の名前は──「クロノス・リサーチ研究施設」。

 ゲートをくぐるとき、監視カメラが動いてこちらを捕捉するのを感じた。セキュリティにはかなり力を入れているらしい。招かれざる客は到底通れないだろう。

 駐車場に車を停め、受付らしき場所に行くと、すでに勝峰やほかのメンテスタッフが何人か集まっていた。


「よぉ、理久。遅かったじゃないか。事故渋滞に巻き込まれたか?」

「いえ、渋滞はなかったけど……まあ道に慣れてなくて」


 そう答える理久に、周囲のスタッフが笑いかける。見慣れない顔も数人いるが、施設関係者だろうか。皆、それぞれ端末を持ち、作業の打ち合わせをしているらしい。


 ふと、人の間からのぞく小さな姿が気になった。端正な制服を身につけた少女……に見えるが、手首や首元に人工皮膚然としたパーツがのぞくのが見えた。どうやら受付対応用のアコアだろう。それが会釈をしてくるのを見て、理久は反射的に目をそらす。


(なんだろうな、やっぱり苦手だ……)


 いつまで経っても拭えない感情。幼少期の瓦礫の中での記憶が、鮮明に頭をもたげる。それを表に出さないよう平静を装い、理久はメンテチームの説明に耳を傾けた。

 勝峰がホワイトボード代わりのモニター画面に資料を映し出す。


「ここから先はセキュリティエリアだ。中央ホールを通ったら、まず本日点検予定のアコア群が格納されている区画に行く。その後、順次ソフトウェア更新を実施する流れだ。幸い、人手が足りてるし、定時には終わるだろう」


 スタッフからは特に不満も出ず、和やかな雰囲気が流れる。理久は内心で「何も問題が起きなければいいんだけど」と思わざるを得ない。まさかこの平穏が、数時間後には大きく崩されるとは、誰も想像していなかった。


 ***


 昼過ぎ。施設内のカフェテリアで軽食をとったあと、理久は指定された区画へ向かう。通路は白い壁とガラス張りの窓が続き、まるで近未来的な医療センターのような清潔感にあふれていた。

 すると、通路の角から現れたのは、若い女性……いや、少女にも見える背格好だったが、妙に大人びた雰囲気を漂わせている。少しつり上がった目元が印象的で、長い髪をふわりと束ねている。


「あなたもメンテスタッフ?」


 そう話しかけてきた彼女は桜来(さくらい)凛花(りんか)。近くにあった名札でそう読めたが、そのまま理久は口には出さず、「ええ、まぁ。あなたは?」とだけ返す。


「ああ、私は法令監査の立ち合いに来てるのよ。まあ、名目だけどね」


 凛花は不思議な笑みを浮かべる。制服の胸元には企業ロゴが入っているが、どうも一般スタッフという雰囲気ではない。


「そうですか。……あ、こっちがメンテ区画か」


 理久は会話を切り上げるように視線を前へ戻す。やや無愛想にも思える態度に対し、凛花は肩をすくめて「フン」と鼻を鳴らした。


(なんだろう、あの目……。妙に探るような、試すような感じがする)


 少しだけ引っかかりを覚えながらも、理久は黙って先へ進む。凛花も同じ方向へ歩いてくるあたり、やはり何か事情があるのだろう。

 そんな微妙な空気をまといながら、ふたりが廊下を行きつく先。それが、この物語の始まりとなる「大きな衝撃」と結びついていることなど、まだ誰も知らない。

 上階のフロアを移動するエレベーターに乗り込み、ふたりきりになる。淡い光を放つ表示パネルの前で、凛花がちらりと理久を見上げた。


「ねえ、あなた。アコアって好き?」


 不意を突かれた質問。思わず少し口ごもる。


「……別に、好きでも嫌いでもないですよ。ただ、仕事で関わるだけだから」

「そう。ふぅん……」


 それだけ答えると、凛花は興味を失ったかのように前を向いた。エレベーターが到着階を告げるメロディーを鳴らし、ドアが開く。そこには、白衣をまとった何人かの研究員が行き来しているのが見えた。奥には整然と並んだアコアの収納カプセル。彼らにとっては「日常の風景」なのだろうが、理久にはどこか息苦しく感じられる眺めだった。


(もっと簡素なメンテだけかと思っていたのに……)


 施設がこのように立派だということは、相応の機密や情報も扱っているはず。何事もなく、今日の業務を終えられればいい──そんな願いが、ほんの数時間後に絶望へと変わるとも知らずに。

 この瞬間の理久はまだ、幼い頃の“瓦礫の記憶”が、再びまざまざと彼の前に立ちはだかる日が来るとは思ってもいなかった。

 空調の柔らかい風が吹き抜けるこのフロア。アコアたちが整然と眠るカプセルの奥底には、静かな怪物が息を潜めているかのようだった――。

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