第2話 沼に引きずり込む
「おはようございます、千秋様。本日も良いお天気でございますね」
――訳のわからない宣戦布告から夜が明けて、朝。
パジャマのまま自室の扉を開けて廊下へ出ると、いつも通りのメイド服に身を包んだアリサが迎えてくれる。
「朝食のご用意、学校に行くためのお持物、着用なさる制服、そのほか諸々の準備等、すべて整っております。朝食の席には正道様も着かれておりますので、お早くダイニングルームへ」
「………………」
いつも通りなのはメイド姿だけじゃない。
涼しい無表情と、淡々とした声音も本当に普段のまま。
昨日あんな宣言をしてきたくせに、やっぱり裏の顔を出すのはお父様や他の付き人がいない学校の中だけみたい。
ただ、裏の顔って言っても、無表情なのは学校でも同じで。
この子の場合、行動や発言で本性を露わにさせてくる。
だから、余計にタチが悪い。
ちょっと雰囲気があって怖いから。
その雰囲気に押されて、いつも私は抵抗できなくなる。
やめて欲しい。もっと表情を柔らかく、感情をわかりやすく顔に出して欲しい。
そうすれば、多少は私にも抵抗する余裕が生まれるし、それくらいのハンデみたいなものが欲しかった。
無表情の迫りくるアリサは強過ぎるから……。
「どういたしましたか、千秋様? 私から身を守るような仕草を取られて」
「どういたしましたか、じゃありません……! この防衛反応は当然のものです……! 昨日、あなたは学校で私に宣戦布告してきたのだから……! 屋敷の中とはいえ、何をしてくるかわかったものではないわ……!」
私が言うと、アリサはジッとこちらを3秒ほど見つめ、やがてほっそりとした綺麗な顎元に指をやりながら小首を傾げた。
「大丈夫ですよ、千秋様。私は他の方々の目があるお屋敷の中では、絶対にあなた様へ迫るような真似はしません。あくまでも盛り場は学校だと決めております」
「が、学校は勉学に励む場でしょう!? 何が盛り場ですか! 最低です!」
「申し訳ございません、千秋様。そこはもう一つ、『駄犬』や『わいせつ物』等の罵倒文句を付けて頂きたいところでございます。それだけでは物足りません」
「なっ、なっ、何を言ってるの、あなたは本当にっ!?」
いや、こういったところもいつも通りと言えばいつも通りだけれど……。
本当、どうして今までこういうやり取りをしていることがお父様にバレていないんだろう。
不思議で仕方ない。
お父様のアリサに対する評価と言えば、いつだって最高クラス。
『やっぱり千秋の専属メイドはアリサしかいないな! 歳も近くて双子の姉妹みたい! それに仲良し! 仕事も完璧だし!』
……みたいにね。
まあ、仕事が完璧なのは事実だし、そこは疑いようがない。
というか、仕事ができ過ぎるから、他の事柄も相対的に高評価なんじゃないかと思えてしまう。
私に対する裏での言葉遣いとか距離感とか、全部知ってる可能性は無いかな……? さすがに無いか……お父様だものね。
「こ、こほんっ。と、とにかくね、アリサ? そんな罵倒文句をあなたに使うつもりはありません。下手をすれば喜んでしまいそうだし」
「よくわかっておられますね。そうです。私は千秋様に罵られると喜びを感じます」
「き……気持ち悪い……」
苦虫を噛み潰したような顔を作りながら私が言うと、それさえも幸せなのか、アリサは目を閉じてゆっくりと胸を抑え始める。
「……ハァ……朝から体中に染み渡ります。私は幸せ者でございますよ、千秋様」
「も、もう付き合っていられません!」
アリサを無視して先に歩みを進める私。
置いて行こうとも思ったけれど、瞬間移動でもしたみたいに、アリサは私のすぐ左真後ろについていた。
「後ろ髪がくるりと外に跳ねる寝癖も幼い時からお変わりがありませんね、千秋様。ここがお屋敷ではなく、学校であるならば、私はあなた様の可愛さに自分を抑えていられる自信がありませんでした。今すぐに髪をこの手で解かしてあげたい。寝癖を丁寧に直してあげたい」
「……それは私のことをバカにしているのかしら? 成長していない、と」
「ご安心ください。千秋様は胸以外しっかりと成長しておられます。決してバカにしているわけではなく、あくまでもあなた様の愛らしくてたまらない部分を挙げさせて頂いたまででございます」
「っ~……! や、やっぱりバカにしているんでしょう!? 今、胸が関係ありますか!?」
「大アリです。そして、何度も言うようにバカにしているつもりなど微塵もございません。これは私が自らの行いを悔いている証拠。千秋様の胸をお揉みし、その成長に本来貢献すべきだったのです。それなのに私は……。屋敷だということで、あなた様へ過剰な接触をすることができませんでした。言い訳しかすることのできない愚かなメイドを罵りください」
「……はぁ……」
返す言葉が的確に見つからない。
私は呆れるようにため息をついたけれど、それさえもアリサにとっては充分だったらしく(?)、
「ありがとうございます」
と、感謝の言葉を掛けられてしまった。
もう、本当に意味がわからない。
●〇●〇●〇●
「それにしても、千秋様。先ほどの朝食の席で、正道様に嘆願されてらっしゃいませんでしたね。私をクビにしたいこと」
歩いて学校へ向かっている最中。
私は、アリサの言ってきたことに対して、体をビクつかせてしまった。
「……そ、そうね。今日は朝から小テストがあるし、そのことを考えていたら忘れてしまっていたわ」
完全な図星。
痛い所を突かれていたのだけれど、それを悟られないように取り繕う。
……でも、その誤魔化しが本当に効いているのかは怪しい。
「……そうなのですね」
どこか含みのある語調でアリサは納得する。
私は思わず生唾を飲み込むも、不安な気持ちを払拭するように、頭を少し振った。
「しかし、よろしいのですか?」
「……何がかしら?」
「今日、私はさっそくですが本気を出そうと考えております」
心臓がドク、と静かに重く跳ねた。
本気という言葉に、私は色々な感情の入り混じった緊張感を覚える。
「宣戦布告もしたのです。千秋様は攻撃権を自らフイにされましたが、私は堂々と使わせて頂きますよ」
「……っ」
「……あなた様を……沼に引きずり込んで差し上げます」
後ろから、囁くように小さく言ってくるアリサ。
私は、その囁きだけで体を少し震わせて、顔を熱くさせていた。
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