記憶ドラック
木全伸治
記憶ドラック
その奇妙な店は、車の往来が激しい大きな通りの裏手で、建物と建物の隙間の細い路地を抜けた場所に人目を避けるようにひっそりと建っていた。
表には店名はなく、大きくレンタルの文字の浮かぶネオン看板が出ていた。中に入ると狭い店内には迷路のように棚が並び、VHSのビデオカセットのパッケージがずらりと並んでいた。DVDが普及する前のビデオレンタルショップみたいな店内だ。俺はカウンターで暇そうにしていたアルバイト店員らしき青年に声をかける。
「奥、空いてるかな?」
「一名様だけでしたら、今日は、大丈夫だと思いますよ」
「ありがとう」
俺は、そのまま店の奥の18禁パッケージが並んでいるのを示す暖簾をくぐって、さらに、staffonlyと書かれたドアも開けて店の奥へと進むと、もう一つのカウンターがあった。
「あら、いらっしゃい、先週来たばかりじゃないかしら」
なんかカマっぽいこの店の経営者である店主が、常連客の俺に笑いかける。
18禁コーナーのドアを開けたそこは、カウンターの他に漫画喫茶のようなボックスが並んでいた。
「もっと刺激の強い記憶が見たくなってね。我慢できずにまた来ちまった」
「へぇ、この前は確か死刑になった連続殺人鬼の殺人現場の記憶でしたね。あれも、結構過激だと思いましたが」
「あれも良かったんだが、なんかホラー映画でもありそうなシチュエーションで物足りなくてね」
「なら、今日入荷したものですけど、通り魔殺人の被害者の殺される瞬間の記憶というのがありますけど」
「今回は殺される側か」
人間というものは、非日常的なものを見て見たいという欲求を奥底に隠し持っているものである。この世には、スナッフフィルム(Snuff film)という殺人シーンを収めた映像が存在するように怖いもの見たさという衝動が確かに存在する。
誰かを殺してみたい、誰かを強姦してみたいという、背徳的な欲求は、心の闇として誰もが持つ。お化け屋敷のような恐怖を自ら嗜好して求める人間もいる。
だから、そういう欲求を満たすため、最近、犯罪者の脳や事件の被害者の脳から記憶を抜き出して、それを自分の脳内で再生するという記憶売りという商売が存在していた。残酷なものばかりではない。例えば、老衰で死んだ大富豪の記憶から、金にもの言わせた豪遊の記憶を取り出して、それを自分の体験のように観ることもできる。
もちろん、道義的な理由や記憶の入手方法などにより、公の商売にはなっていない。いまのところ、せいぜい、ネットの都市伝説扱いである。だが、その商売は実在し、ここがその店で、俺は、ここの常連というわけだ。連続殺人鬼、連続強姦魔、普通に生きていたら体験できない記憶を、もう俺は何度も観ていた。
「じゃ、そのおすすめの記憶を」
「はい、ええと7番ボックスが空いてますので。使い方は分かりますよね」
そういいながら、記憶の入力された記録デスクを俺に渡す。
「支払いは、いつも通り現金ですか」
「ああ、いつも通り見終わった後の清算で頼むよ」
そうして、俺は慣れた感じでボックスに入り、記憶の詰まったディスクを機械にセットし、再生装置である、ヘッドホンのような機械を頭にかぶった。
その記憶は、本当に過激で、思った以上に強烈だった。清算して、ドアを開けて出て行こうとすると店主が、心配そうに「大丈夫ですか」と声をかけて来る。よほど俺の顔が蒼白だったらしい。「大丈夫、なんでもない」と強がって、俺は店を出た。その通り魔はマスクとサングラスで顔を隠していた。だが、着ていた男物のコートは、俺の持ってるのによく似ていたし、サングラスの形にも見覚えがある。顔を隠していても背格好や雰囲気で分かる。あれは、俺の妻だ。
妻が通り魔だったとは、だが俺も犯罪者の記憶を観ている。ただ妻と俺が違うのは、記憶を観るだけか実行しているかだけだ。
俺は、妻のいる自分の家に帰るのが怖くなった。そうして、半年ほどかけて色々理由をでっちあげて、妻と離婚後、妻の犯罪が警察にバレ逮捕され、俺はホッとした。ただ、俺が警察に匿名電話で、なんか妻の行動が怪しいと伝えたことが、きっかけだとは思うが。
いくら怖い体験の記憶を観るのが好きでも、さすがに殺人鬼と夫婦を続ける気にはなれなかったのだ。
記憶ドラック 木全伸治 @kimata6518
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