第二話 ショコラ

 細長い箱に入ったそれは、受け取ったときの感触で、疑いようもなくマ・ボンヌであることがわかった。中にマシュマロとクルミが入っている、祥子のお気に入りのチョコレートだ。


「え、これ、どうしたんですか」

「前に祥子さんが食べたいって言ってたから」

「え?」

「言ってましたよね」

「え、ええ。言いました、覚えててくれて嬉しいです。でも、これ結構高かったでしょう? っていうかお店までわざわざ買いにいってくれたんですね」

「いいえ。ちょうど白金台の近くまで出かける用事があったので、そのついでです」

 そんなのは相手に気持ちの負担をかけないために言っているだけで、本当のところは違うのだろう思う。しかし瑠璃香に関しては真実を話しているような気もして、判断に迷った。何せ瑠璃香は表情がない。雰囲気は常に冷たく、まるで気持ちが伝わってこないのだ。

 祥子は好意的に解釈することにした。きっと自分のために買いに行ってくれたのだ。

「ありがとう、すごく嬉しいです!」

 顔一杯に笑みを浮かべてみせると、瑠璃香はすっと身を引いた。一瞬、眉根が寄ったようにも見えた。

「え、瑠璃香さん……?」

「……」

 瑠璃香の反応の意味がわからず、祥子は黙った。瑠璃香も何も言わない。

 少し考えて、あ、もしかして、あれかな、と祥子は思い当たる。プレゼントをもらうとき「悪いから良いですよ」「そんな、受け取ってください」のやりとりを3回ぐらいやってから受け取るのがマナー、一度目で受け取る人は図々しい、そういうことを考えるタイプなのかもしれない。

「う、ごほん」

 祥子は咳払いした。どうも自分は失敗してしまったようだ。だが、まあ、挽回すればいいだけだ。祥子は突然のプレゼントに感動したことには変わりないのだ。機嫌よく話を続ける。

「何かお礼をさせてください。そうだ、きょうのランチ一緒に行きませんか。ご馳走します」

「済みません、きょうはちょっと」

 そっけない声音で断られた。

「そうですか……。残念だけど、しょうがないですね」

「あー、でも、来週だったら構いませんよ」

 付き合ってやると言わんばかりだ。まあでもチョコを買ってきてくれたのだしと祥子は自分を納得させる。

「う、うん、そうですか、じゃ、じゃあ、来週……」


 翌週、改めてランチに誘ったら、真顔で承諾してくれたので、二人は職場近くのてんぷら屋に行くことになった。夜はそこそこの値段をとる店だが、ランチは割安なのだ。

 てんぷらと聞いたとき、瑠璃香はあまり良い反応を返さなかった。でも嫌なわけでもないという。いまいちすっきりしない曇り空みたいな気持ちで店に連れていくと、それでも瑠璃香は礼儀正しく感謝の言葉を述べた。黄色が濃い晩秋のギンナンの炒ったものが先付けとして出てくると、「もう秋も終わりですね」などと言ってつまみ、カウンターの向こうで職人がてんぷらを揚げるのを静かに眺めている。

 ここまで笑顔一つなし。

 職場の先輩に「付き合ってあげている感」がすごいなと祥子は感じたが、それはそれとして、瑠璃香は二人だと案外よくしゃべることがわかり、祥子にとっては新しい発見のあるランチとなった。ただ、時事ニュースを順番に話題に乗せるような会話の進め方でしかなかったとはいえ。


 それからも何かというと瑠璃香は気を利かせてみせた。仕事を手伝ったり、差し入れをしたり。しかし、それに祥子が喜ぶと、なぜか鬱陶しいという顔をして距離を取るのだった。



「うーん」

 職場の自分のデスクで、祥子は頬杖をついてスマホの画面を見つめていた。LINEのアプリが表示されている。相手は瑠璃香だ。お互いの登録時に送りあった「よろしくお願いします」で止まったままだ。


「うーん」

 どうして瑠璃香からメッセージが来ないのだろうか。ほかのパートや同僚たちはいろいろ送ってくるのだが。何か不満があるのだろうか。彼女がただのLINE嫌いなら問題ないのだけれど。


 もしこちらからメッセージを送ったらどうなるだろう。きっと丁寧な返事が返ってきて、その一往復で終わる未来が見える。寂しいなあと思って、そう思う自分に少し驚く。職場の人とLINEするのって好きじゃなかったはずなのに。


「あ、LINEですか、瑠璃香さんから?」

 近くをとおりかかった同僚が声を掛けてきた。たまたま祥子のスマホ画面が見えたようだ。

「瑠璃香さんってしょっちゅうメッセージ来ますよね。正直ちょっと負担です」

 苦笑まじりにそう言われて、祥子は勢いよく振り向いた。

「そうなの? 瑠璃香さんってメッセージを送る人なの?」

「送る人もなにも、返事がおそいと追いLINEまで送ってくる人だし」

「へえ。私には全然来ないのに」

「そうなんですか!?」

 同僚も驚いたようだ。

「私、もしかして嫌われてる?」

「そんなことはないと思いますけど……だって祥子さんが仕事でヘルプが必要なとき、瑠璃香さんってまっさきに手を挙げて駆けつけるじゃないですか」

「う、うん、それはまあ、そうなんだけど」

 そこはとても助かっているし、頼りにしているところでもある。

「瑠璃香さんったら、この前、私が仕事で困ってたときには手伝ってくれなかったんですよ。祥子さんにばっかり優しいんですよね」

「そうなのかなあ」

「それはもう。それなのに、どうして私に毎日LINEしてくるんだろう。よくわからない人です」

 同僚のつぶやきに、祥子も頷いた。

 本当によくわからない。好かれているのか嫌われているのか。こんなにもわからない人は初めてだった。だから知りたいと思ってしまうのかもしれない。



 もしかして瑠璃香さんって不器用な人なのだろうか。人と仲良くするのが苦手だったりするのかもしれない。

 そんなことを考えていた矢先のことだった。


 その日は朝から雨で、瑠璃香が見慣れない傘をさして出勤してきた。黄色と白のストライプで、中棒と手元部分は金色だ。地味な服と時代おくれなメイクに合っていない。こけしがフランス人形から傘をかりたような違和感だった。

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