Do me a lemon
ゴオルド
第一話 なんなの、この人は
彼女が頭をさげると、つむじに白髪が見えた。
「北池
と、無味無臭で温かみのない自己紹介をした。
ある秋の朝、祥子の勤め先である都内のアパレル系企業の事務所に、新しいパート女性が入ってきた。
40代前半の彼女は、朝礼でみんなの前に引っ張り出され、求められるまま自己紹介し、それが済むと片手で自分の腕を掴むようにして立ったまま、自分を置き去りにして目の前で進行していく朝礼を興味なさそうに見つめていた。
地味だけど、大人しいというのとはちょっと違うかもしれない。祥子は少し身構える。
祥子はこの会社に10年以上勤めている30代の社員だ。いまはパートの指導役を任されていた。
今度入ってきた北池瑠璃香は、祥子より年上だ。
さて、どう指導したものかと考えながら、瑠璃香を改めて観察する。
地味だ。とにかく地味だ。
白髪のまじる黒髪をショートにして、メイクは流行遅れなラインを描く細眉だ。ぼんやりしたオレンジの口紅は崩れているのか、それとも最初から薄すぎるのか。
着ている服も、焦げ茶色のだぼっとしたスカートと白いシャツ、ジャケットといったもので、指定されているオフィスカジュアルは意識しているのだろうが、あまりにも野暮ったい。
アクセサリーの類いはつけていなかった。指輪もないから独身だろう。いや、それさえも断言できない。ファッションに無頓着すぎて、結婚時に結婚指輪を買わなかったタイプかもしれない。
祥子は困惑する。別にファッションに興味がなくても構わないし、そんなことで相手を悪く思ったりはしない。とはいえ、こんな人がなぜアパレル会社に勤めようと思ったのだろうか。ここの事務所は自社物流のための拠点だから、本社やショップ勤務と違い、ファッションに興味がなくても構わない。それでも初日ぐらい、おしゃれをしようという気にならないものなのだろうか? アパレル会社で働くのに? 朝礼の態度を見た感じでも、仕事に対して意欲があるふうでもない。しかし、採用面接ではどうしてもうちで働きたいと熱弁を振るったと聞いている。よそより時給や待遇が良いわけでもないのに。
一体何を考えている人なんだろう。そんな疑問が強く心に残った。
朝礼が終わると、祥子は彼女に声をかけた。無表情で祥子のところにやってくる。少し怯みつつ、祥子は意識的に口角を上げて、いつも心がけている「笑顔の声」で挨拶する。
「はじめまして。私は指導係の星原祥子です。これからどうぞよろしくお願いしますね。最初のうちはわからないことばかりでしょうから、何でも、何度でも聞いてください。相談しようかどうしようかって迷ったときは、とりあえず相談、そうしてもらえたらと思います」
「はい。ありがとうございます」
さらりと返事が返ってくる。脂っ気がないなと思う。なんというか肌も髪も声も、油分が足りない感じだ。こういう人は和服が似合うかもしれない。和服姿で軽作業をしてもらうわけにはいかないが。
濁った白色の頬をぴくりともさせず、彼女はじっと祥子を見つめている。
「お互いの呼び方についてはもう聞きましたか? この事務所では下の名前で呼び合うことになっているんですよ」
北池は無反応だ。えっ、とか、そうなんですか? 嫌だなあとか、何もない。反応がなさすぎて、祥子のほうが逆に言葉に詰まった。だが、すぐに気を取り直し、話を続ける。
「同じ名字の人が4人もいるせいで、最初はその人たちだけ下の名前で呼んでいたんですが、いつしか全員下の名前で呼ぶようになっちゃって。いい年して恥ずかしいんですけどね」
軽く笑ってみせる祥子に対し、彼女は黙って耳を傾けているだけだった。
「ええと、つまりですね、北池さんも下の名前でお呼びしても大丈夫かなって」
「はい、構いません」
「あ、そうですか……わかりました……。じゃあ、瑠璃香さんってお呼びしますね」
「はい」
少し間が生まれた。居心地が悪い空気が漂う。だが、そう感じているのは祥子だけかもしれず、瑠璃香の顔を見てみるが、そこには何の感情も浮かんでいなかった。
「……あ、えっと、私のことは祥子って呼んでください」
「はい」
「それじゃあ、これから仕事の手順を説明しますね」
「はい」
頷き返しながら、これは手強そうな新キャラだぞという、ありがたくない手応えを感じていた。地味で、とっつきにくくて、心を開かないタイプのようだ。まあ、だとしても仕事が円滑に進められる程度に仲良くなれたら御の字だ。別に仲良くなれなくても仕事に支障が出なければ問題ないだろう。
最初はその程度の気持ちでしかなかった。
だから瑠璃香が勤めだして一月ほど経ったある日のこと、瑠璃香がショコラティエ・エリカのチョコレートをプレゼントしてきたときには、祥子はひどく驚いた。
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