5.

 コマーシャルが動画サイトにアップされて以降、「駆け出し桜組」のメンバーとは、何度か仕事をする機会があった。


 姉はすぐにグループに溶け込み、時にカラオケや飲み会に誘われた。姉が面白そうだと感じたものは本人が赴き、それ以外は理由をつけて断ったり、私が行ったりした。

 誰も「押澤みずき」が二人いるということには気がつかなかった。


 私も仕事をこなす内に、姉の真似だけは他人に見せられるものになっていた。

 ただいくら練習しようと、他の演技が上手くなることはなかった。

 他者を演じる必要のあるドラマの撮影は、全て姉が行った。

 私が必要とされたのは、「押澤みずき」さえ演じれば良いときだけだった。

 それで十分だった。

 なるべく姉と同じものを同じだけ食べ、体型が変わらないように努めた。

 姉が使う言葉をメモに取り、なるべくその語彙を使って会話をするようにした。


 マネージャー業に徹する際はその逆で、なるべく「姉らしくない」行動を心掛けた。

 なるべく地味な化粧をし、できる限り姉とは違う顔に仕立てた。

 装飾品は一切身に付けなかった。

 おかげで、似ていると指摘されこそすれ、どれだけ姉の近くにいても、その「妹」が目立つことは無かった。



 例のケーキのコマーシャルは、徐々にではあるが、SNSで盛り上がりを見せていった。

 もちろん、一番の話題は、「押澤みずき」の極上の笑みだった。

 イッポンセンとの相性が良かったことも、人気の理由として挙げられるだろう。

 そのため姉に、イッポンセンとの共演依頼が多く寄せられるのは、ある意味当然のことだった。


 最も大きかった仕事は、とあるネットドラマだろう。

 主人公の友人ら、という設定だった。物語の中盤で、姉とイッポンセンは恋人関係になり、主人公の恋を協力して支える立場になる。

 姉は、あの誰もを虜にする笑みを浮かべながら、見事に役を演じきってみせた。


 ドラマの撮影に関して、姉が「押澤みずき」を降りることは無かった。他のスタッフへの声掛けも気遣いも、全てこなしてみせた。

 そのため、私はマネージャーとしての仕事を、淡々とこなすだけでよかった。

 仕事を取り、あるいは舞い込んでくる仕事内容を精査し、彼女に合ったスケジュールを組む。

 多忙が過ぎるとパニックを起こす姉のため、必ず週に一度は休みが取れるようにした。


 他スタッフの力も借りながらSNSを上手く利用し、「押澤みずき」という名前の認知度を上げた。

 演者たちの会話の中で基本聞き役に回る姉は、ストレスを溜めることも多かった。

 私は姉から人間関係の小さないざこざを主とした愚痴を聞き、脳を休める効果のある音楽を流した。

 体型維持を目的とした、健康志向の食事を用意し、時には部屋の掃除すらやった。


 姉はどんな小さな事柄でも、「ありがとう」という言葉を忘れなかった。

 台詞を暗記する作業に付き合った時、私がたった一文字の間違いを指摘したことに対してさえ、彼女は心からそれを感謝した。

「ありがとう。『あなたが百合音さんのことを好きで』と、『あなたは百合音さんのことを好きで』とでは、全く意味が違ってくるものね。今気がついて良かった。助かったわ」

 そう言って姉は、クリームをたっぷり入れたミルクティーのような笑みを浮かべるのだ。


 姉が完成に近づいていく過程を、私は一番近くで見ることができた。

 役に入り込んでいく姉は美しかった。

 涙も、怒りも、全て本物であるかのように見えた。右肩が僅かに上がる癖以外、彼女は完璧だった。その癖すら、後に個性としてファンに受け入れられた。


 駆け出しの俳優とは思えない演技力を見せるにも拘わらず、主人公の存在を食うようなことはなかった。あくまで脇役として、物語を盛り上げた。

 私には決して出来ないことだった。

 私は「押澤みずき」の単なる一部分だった。


 一度だけ、姉のマネージャーとしてイッポンセンから話しかけられたことがある。

 伊達眼鏡をし、わざとらしく顔色を悪くし、隈まで描いた私が、かつての「押澤みずき」だと、彼は全く気がつかなかった。

「貴女が、みずきさんの妹さんですね」

 初めて会った時と同じように、彼は丁寧な話し方をした。

 苗字だと分かりにくいと思ったのか、それとも他意があったのかは分からないが、イッポンセンは、姉のことを下の名前で呼んだ。


 私はわざと下手くそな笑い方をしながら、「ええ、お世話になっています」と答えた。

 視聴者プレゼントの試作品だとかいう、ドラマのロゴが入ったボールペンを手帳にとじる。

 イッポンセンはボールペンを見て、「ああ、結構書き心地良いですよね。僕も使わせてもらってますよ」と微笑んだ。

 あともう一歩足りない笑い方だった。

 昼食時だったからだろう、ケチャップやドレッシング、醤油の香りが、様々な人間の匂いと混ぜ合わさっていた。

 遠くで打ち合わせをするスタッフの声が、うるさくて仕方がなかった。

 正直、吐き気さえ覚えた。


 イッポンセンは、主人公役と何やら談笑している姉の方を見ながら、「凄いひとですよね」と、さも知ったように口端を上げる。

 その笑みは、やはりどこか中途半端だった。


「改めて言うことでもないかもしれませんけれども。あの、役の立場を踏まえながらも観客を自らの世界へ引きずり込む演技力には、圧倒されます。特にあの笑みは、凄いという言葉しか出てこない」


 私は思わず、舌を打ちそうになった。

 その程度の言葉しか出てこないのなら、「押澤みずき」を語って欲しくなかった。

 そも、こんなに近くにいるというのに、私と姉の見分けすらつかない人間が、憧れの視線を向けるだなんて、おこがましい。

 ましてや仕事仲間を超えた好意の瞳で彼女を見るだなんて、私は許せなかった。

 私はどうにか「そうですね」とだけ吐き出して、その場を離れた。

 近寄ってきた私を見て、姉は、ひどくどうでも良さそうに、にっこりと笑った。

 早く家に帰って「菫」とゆっくりしたい、と言わんばかりの作り笑いであったが、それは私の心を静めるだけの力を持っていた。


 以降ドラマの撮影期間中に、イッポンセンが私に話しかけてくることはなかった。

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