―追憶―


 暗い穴の中を落ちていく。あちらこちらで燃え上がる小さな火、無数の星のように輝いている。

 その瞬きのひとつに、ゲイレは幼い頃の自分を見つけた。


 古い葡萄の木の下。幼い少女が、膝をかかえてうずくまっている――……。


「まただれかにいじめられたのか? ゲイレ」

「……オルグにいさま」


 その少女を抱き上げる者がいた。まだあどけなさは残るものの、いずれは精悍な男に成長することを予感させる、そんな少年だった。

 ゲイレは潤んだ目で異母兄の顔を見上げると、小さな声で「……飼っていた孔雀が死んじゃったの」とつぶやいた。


「孔雀が死んだのが悲しかったんだな」


 するとかぶりを振って、「違うの」とゲイレは訴えた。


「病気になって、弱ってしまったの。餌もほとんど食べなくて。だからわたし、孔雀にね、花をあげたの。危険な花……。そしたら、乳母に……」


 赤く腫れた手で孔雀の羽根を握りしめ、ゲイレはまぶたを伏せた。長い睫毛の先で、涙の雫が真珠のように光る。


「なるほど、わかったぞ。ゲイレは、手負いの孔雀を憐れに思ったんだ」

「でも、乳母はわたしが残酷な子だと言うの。……わたしって、おかしい? わたしに紋章石がないから……?」


――なんて気味の悪い子かしら。


 前王――当時の国王――に寵愛された女奴隷の母譲りの美しさを持ちながら、ゲイレは決定的に人と『違う』ところがあった。

 他人の心を理解することが難しく、『人の心がない』とたびたび叱責されたのだ。


――紋章石を生まれ持たないと、人の心さえなくなってしまうのかしら。こんなおそろしい子、修道院に閉じ込めてしまえばいいのに。


 乳母に隠れて手の甲をつねられるたび、ゲイレは自分の欠陥を突きつけられた気になった。


「私にはお前の気持ちが理解できるよ、ゲイレ」

「……ほんとう?」

「私であっても、同じことをしただろう。病気になった孔雀は飛ぶことも歩くこともできず、長く苦しみながら、ゆっくりと衰弱していくだけなのだから。その乳母のように感情をあらわにしてお前を叱るほうが、よっぽど醜い行いだと思うな」


 兄の言葉に、ゲイレは強張っていた表情をようやくゆるめた。兄の首に抱きつくと、「にいさま、大好き」と甘く溶ける蜜のような声でささやく。


「にいさまは、いつもゲイレと同じ考え方をしてくれるんだもの。奇跡みたい」

「ゲイレ、私も嬉しいよ。だれかに教えられたわけでもなく自然と、そして私と同じように物事を考えられる子は貴重だからね」

「……イルハムより?」


 上目遣いでそう問いかけるゲイレに、兄は「嫉妬しているのか?」と微笑んだ。


「イルハムは奴隷に過ぎない。俺にとっては、血を分けたお前のほうがよっぽど価値がある存在だよ。かわいい私のゲイレ、美しいお前は、いずれ多くの者から望まれる三国一の花嫁となるだろうね」


 この孤独な世界で、与えられたたったひとりの理解者――兄の言葉は、乾いた土壌に染みこむ水のようにゲイレの心に響いた。


「わたし、もっとオルグにいさまの役に立ちたい」

「……大きくなったら。私のために、お前にしかできないことがあるよ」


 片目をすがめ、兄が囁く。


「ほんとう? それなら約束ね。わたし――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る