オーバードライブ

月丘ちひろ

オーバードライブ

 助手席に腰を降ろした時、タバコの臭いが鼻をついた。とっさに窓を開けたが座席に臭いがこびりついている。乾いた秋風が車内を吹き抜けても、タバコの臭いを巻き車内にまき散らしているようにしか思えない。


 俺は息をつき、窓を閉める。


 運転席では友人がたどたどしくカーステレオを操作している。自分の端末をカーステレオに同期させようとしていたが、うまく行かなかったらしい。最終的にはラジオを送信した。朝七時のニュース番組だ。いくつかの話題をピックアップして専門家がその話題を深堀する。


 友人は開いた首元にかかるペンダントに一度触れ、車を発進させた。車は駐車場を抜け、大通りに入る。大通りには高層ビルが立ち並び、ビルの隙間からは朝日がスポットライトのように伸び、車内にいる俺に差し込んだ。


 友人はクスクス笑った。


「酷い顔してるよ。光に弱いとか吸血鬼みたい」

「長いこと外に出ていなかったからな」

「それはよくない。今日はいっぱい浴びよう」


 友人はハンドルをきり、交差点を左折した。そのまま道なりに進むと高速道路の入口があり、車は高速道路の料金所に吸い込まれるように進む。


「高速入ったけど、大丈夫か?」

「うん、予定通りだよ!」


 料金所を抜ける。友人は大きく目を見開き、アクセルを踏む。エンジンが大きく音を立てる。車が速度を上げていく際に友人の耳についたイヤリングが揺れる。やがて速度が安定した頃、俺は友人に訪ねた。


「今日はどこに向かってる?」

「うーん、どこだろうね」

「未定で高速に入ったのか?」

「キミとドライブしたかった、じゃだめかな?」

「……そういうことにしておこうか」

「ありがとう」


 それからしばらくの間沈黙が続いた。カーステレオではとある暴行事件がピックアップされ、コメンテーターが雄弁に語っている。


 友人はその内容を耳にして苦笑している。

 俺は自分の端末を取り出し、友人に訪ねた。


「好きな音楽かけてもいいか?」

「いいけど、できる?」

「いろいろ試して見るさ」


 俺はカーステレオに手を伸ばし、ディスプレイを操作した。機能はわかりやすい名称でまとめられており、オーディオの接続設定をすぐに表示できた。どうやら端末の接続履歴が埋まっているらしく、新しい端末を接続するには履歴の削除が必要だった。


 俺は接続履歴を削除・自分の端末を接続し、フュージョンを再生した。トランペットを中心に彩られた楽曲がまるで高速道路の行く先にこだまするように響く。


 こうした曲を流すと友人はよく興味を示した。

 だけど今日は淡々としている。


「その曲、この前リリースされたやつだね」

「よく知ってるな……」

「最近、これは聞いてたからね」

「なるほどね」


 俺は恐る恐る友人に訪ねる。


「ちなみに最近はどんな曲聞いてるの?」


 すると友人はいくつか曲名を上げた。それは俺の知る友人の趣味からかけ離れた楽曲ばかりで、まるで別人と会話をしているようだった。きっと誰かの影響を受けたのかもしれない。


 ……誰かって誰だ。


 心の中できめ細かい泡のように問いが浮かんでは弾け、胸の奥にヒリヒリとした痛みが走る。自分から離れたところで変化していることに、俺は胸が苦しくなった。

 

 俺は気持ちを落ち着けるようにフュージョンに耳を傾ける。これまで穏やかな緑風のように聞こえていた楽曲が今はタバコの臭いを運んでいるように思えた。


 この助手席に座っていたのは誰だろう。次第に俺は車内に残された痕跡に気を取られた。やがて、友人が引き吊った笑みを浮かべた。そんな友人の表情に胸が裂けそうになる。


 俺は助手席に背中を預け、平静を装った。

 助手席が運転席よりも傾いている。

 それだけで俺は何があったかを想像できる。


 俺は運転席に視線を向け、友人の横顔を見た。

 整った目鼻立ち、モノトーン調に統一されたシャツとスカート、袖や裾から延びる白い手足。半年前とは見違える程に容姿が変わっている。


 俺は息をつき、前を向いた。その時ちょうど、インターチェンジの看板が見えた。数分くらいで入れる距離である。


「次のインターチェンジで休憩していいか?」


 友人は無言だったが、車を左の斜線に寄せた。

 やがて車はインターチェンジに停車した。


         ☆

 

 インターチェンジに降りた後、友人が最初に向かったのは喫煙所だった。友人はダウンのポケットからタバコを取り出し、口にくわえる。


 俺もポケットに手を入れる。だけどタバコもライターも家に置いたままであることを思い出す。


「タバコ忘れたわ……買ってくる」


 その時、友人がタバコを差し出した。


「私のを吸いなよ」

「ありがとう」


 俺は友人からタバコをもらった。そして俺がくわえるタバコに火をつける。そんな当たり前の動作に手際の良さを感じてしまう。


 俺はタバコの煙と共に胸の痛みを吐き出した。

 それに併せて友人がタバコを蒸した。


「半年前は喫煙所を避けてたのにな」

「半年もあれば変わることもあるよ」

「そうだな……半年は人を変える」


 友人の眉がピクリと動く。

 俺は友人の服装やばっちり決めたメイクを見る。


「好きな人のために随分無理をしたな」

「すぐにわかっちゃうんだ……」

「お前は目標のために無理をするからな」


 俺はタバコの吸い殻を捨てる。それに追従するように、友人は半分も吸ってないタバコを捨てる。


「……車内で彼氏くんと女の子がキスしてた」


 友人は蒸した煙をゆっくりと吐き出した。


「色々努力したんだけどなぁ。タバコだって吸うようにしたし、好きな音楽だって聴いたし、得意じゃないゲームだって覚えて一緒に遊んだ……」


「がんばったんだな」

「でもダメだった。私の努力じゃ不満みたい」

「お前の彼氏は贅沢に生きてるんだな」

「贅沢……そうかもね」


 友人は半分以上残ったタバコを捨てる。

 彼女の口元や手元が震えているように見えた。


「なぁ、次は俺が運転してもいいか?」

「……お願いしてもいいかな」

「任せとけ」


 俺は車のキーを受け取り、乗車した。

 俺が運転席で、助手席には有人が座る。

 そこでふと俺が気づいてしまった。


 行き先はどこも決まっていない。


 友人をどこにでも連れて行くことができる。

 その事実に気づき、俺の意識は鮮明になった。


 俺はエンジンを起動する。そしてサイドブレーキを解除して、車を発進させた。


 このまま二人きりになれる場所へ行こうと考え、アクセルを強く踏みしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オーバードライブ 月丘ちひろ @tukiokatihiro3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る