第6話
【2】
ノイマン家のご令嬢エミリア・ノイマンは、少女らしく整えられた自室のベッドで穏やかに眠っているように見えた。
少なくとも、ただの文官であるアルドリックの瞳には。
エミリア嬢の状態を確認するエリアスの邪魔にならぬよう、一歩下がった場所で待機していたアルドリックは、隣に立つメイドの横顔を窺った。
エミリア嬢つきのメイドであるミアは、じっとエリアスと彼女を見守っている。
淡い金色の髪を丁寧に結い上げた楚々とした横顔は心痛そのもの。年のころは、二十五になるアルドリックとほとんど変わらないくらいだろうか。
この部屋に入る前に聞いたメイド長の話によれば、お嬢様が倒れて以降、付きっきりで看病をしているらしい。
「あの、ミアさん」
「はい」
部屋にいるのは、自分たちのほかは彼女だけだ。尋問と捉えられぬよう留意し、そっと呼びかける。
「あなたはお嬢様と親しかったのですよね」
「お嬢様と一メイドの関係でございます。親しかったなどとそのようなことは」
「ですが、あなたは姉やのような存在だったと聞きました。幼いころよりお嬢様を見守り、お嬢様もあなたに随分と心を許されていたと」
これも事前に聞いた話だった。使用人の中でお嬢様と一番親密だったのは彼女だとメイド長が証言をしている。
「あなたもお嬢様をとても心配していらっしゃるようですし――」
「仕える人間として、心配することはあたりまえではありませんか。親しかったなどと申せる関係ではございませんが、大切なノイマン家のお嬢様です。心配に決まっております」
「それは、そうですよね。すみません」
不安に染まりながらも柔らかだった当初の印象を一変させた態度に、アルドリックはおのれの失敗を悟った。
――困ったなぁ。
どうも警戒をさせてしまったらしい。挽回する言葉を探すさなか、見分を終えたエリアスがちらりと振り返った。
呆れたような視線に、「仕事ではなく本心で心配をしている」という表情を急いで取り繕う。まったくの嘘ではないつもりだ。
「あなたを疑う意図も、気を悪くさせるつもりもなかったんです。申し訳ありません。お嬢様の考えや行動がわかれば、解決の近道になると思いまして。どうか、改めて確認をさせていただけませんか。お嬢様は『眠り姫の毒』を飲むと仰ったのですよね」
そう、彼女が証言したとアルドリックは聞いている。
止める間もなく小瓶を飲み干し、昏倒するように眠ってしまったのだ、と。そうして、人を呼びに部屋を空けたあいだに小瓶が消えたのだ、と。
小瓶があれば安全に解毒薬を作ることができたという話を知るとひどく悔やみ、自分を責める様子だったとメイド長は言っていた。
彼女に非はないと思っているが、責めているように響いたのかもしれない。そうではないと否定して、アルドリックは真摯に続けた。
「お嬢様が『眠り姫の毒』になぜ興味を持ったのか、どこから入手したのか。それがはっきりとすれば、お嬢様にとってリスクの低い解毒薬ができる可能性が高くなるんです」
「……」
「ミアさん」
再度の呼びかけに、彼女の視線が迷うように泳ぐ。自責の念を拭うことができないのだろう。細い指先はきつくエプロンを握りしめていた。
興味がないのか、あるいは、解毒薬の調合以外に関与をする気はないのか。エリアスはなにも言おうとしなかった。
だが、ふたりがかりで質問されるよりはマシに違いない。情報収集は自分の役割と割り切り、唇が解ける瞬間を待つ。
「……お嬢様がどこで手にされたのかは、私にはわかりません」
「そうですか」
落胆を隠し、アルドリックは静かに頷いた。彷徨った彼女の視線がエミリア嬢の寝顔に留まる。また数秒の沈黙。
起きる気配のないエミリア嬢を見つめたまま、彼女は沈痛な面持ちで言葉を継いだ。
「ただ、あくまで想像ですが。お嬢様が手を出そうと思われた理由は理解できる気がします。大きな声では申せませんが、お嬢様は結婚を嫌がっていらっしゃいましたから」
お嬢様のご年齢を考えれば、想像できないことではありません。続いた台詞に、アルドリックはなんとも言えない心地になった。そうではないかと案じたことだったからだ。
「こちらも私の勝手な推測ではございますが、お嬢様は旦那様相手に賭けに出たのではないでしょうか。『真に思い合っている者の口づけで目を覚ます』と言われている薬です。婚約者様の口づけで目を覚まさなければ、旦那様も真に思い合っている相手を認めてくれるのではないか。――あるいは、そうでないのであれば、目を覚まさなくともよいとお考えになったのかもしれません」
「そんな……」
「認められていないだけで、真に思い合っている者がいるような口ぶりだな」
「魔術師殿」
エリアスの嫌味な口調に、アルドリックはぎょっとした瞳を向けた。制そうと試みたものの、エリアスはどこ吹く風である。
「客観的に聞いていて、そう思ったというだけだ。想い人とやらがいるのであれば、それを探したほうが早いのではないか?」
「やはりそうでしょうか」
「だが」
どこかほっとした相槌に被せるかたちで、エリアスは言い放った。
「真に思い合っている者の口づけで眠りが覚めるなど。そんな曖昧な解除条件が存在するとは信じがたいが」
「……え」
ミアが灰色の瞳を強張らせる。不安に気づいたアルドリックは、再びエリアスを制した。
「魔術師殿。その話は」
自分たちは承知しているが、彼女はまやかしと知らないのだ。「真に思い合う者からの口づけ」が一番安全な解毒方法と信じて縋っていたとすれば、ショックを受けて当然である。
そうであるにもかかわらず、アルドリックを一瞥した直後。エリアスは、彼女に冷たく断言をした。
「つまり、ただの毒だろうという話だ。解毒が叶わなければ、いずれ死ぬ」
「そんな……」
呆然と呟いたきり、ミアは蒼白の顔で唇を震わせている。心底申し訳なくなり、アルドリックは声をかけた。
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