026 刹那の住人

 ――「ヴェレドーーー!!!」――



 マンイーターとフレイムリザードが、とどめを刺そうと標的をヴェレドに変えた。


 俺は地面に倒れ込んだまま、その光景を目の当たりにする。ヴェレドが炎に包まれ、マンイーターの巨大な花弁が彼を飲み込もうとしている。フレイムリザードは再び炎を吐こうと口を開いていた。



「く! 四連施錠クアッドロック!!!」



 初めて施錠ロックを四つ出せた!


 マンイーターとフレイムリザードの口に二つずつ錠前がかかる……鎖はどこだ……距離があるぞ……錠前が小さい……これじゃすぐに壊される……炎の灯りが強くて、影が濃い……急げ……鎖……


 3メートルほど先に、何かがキラリと光った……見つけた! 鎖!


 急いで立て直し鎖を手に取ろうとするが、足元が滑り思うように前に進まない。



 ――バギバギッ……バキン!!!



 四つの錠前はあっという間に壊された……早く鎖を……うそ……これは……間に……合わない……



 ――キシャーーー!!!

 ――カチッカチッ!!!



『――魔力の調整は……赤ちゃんだ――』

『――風呂に……アフロ……! ぷ! くくく!――』

『――蓮、お前……凄いな。弱いのに……強い――』



 ああ……ヴェレド……



『――偉いぞ……蓮……――』



 護られた――この洞窟に来てから……いや、本当はずっと前から彼に護られていた……俺がみんなを護るつもりでここへ来たのに……大甘だった……俺のせいだ……


 このままでは……ヴェレドが死んでしまう……ヴェレド……!!!



「ぐ! があ!!!」《蓮さま!!!》



 ――その瞬間、蓮を纏っていた雷撃がかつて彼の肉体を加速させたように、その思考を加速させる。全ての風景がまるで止まったかのようにゆっくりと流れていく。炎の揺らめきで明滅する洞窟内……その明滅が次第に遅くなる。


『ヴェレドを護る』


 蓮の意識がその事に集中するほどに、その明滅の間隔は長くなり、ついには燃焼という事象そのものが、一枚の絵画の様にその動きを止めた。


 音が消え、静寂の中、自身の鼓動だけが力強く脈打っていた。


 この時、蓮は、その現象……自身の変化に気づいていない……凝縮された時間の中、蓮は鎖を手に取り、拳に巻き付け、思考する――



(チエちゃん……あれ、やるぞ……)


《お待ちください! 神槌しんついはまだ危険です! 蓮さまの身体にどれほどの負担があるのか……》


(やらなきゃ、ヴェレドが死ぬ……それだけは出来ない!)


《……分かりました。私も可能な限りサポートいたします。ただし、さらに深く、思考と身体に干渉します。許可をください》


(干渉?)


《今、蓮さまの思考速度は、すでに限界を超え加速しています。前回の神槌しんつい発動時も同様でしたが、その時、脳が負荷に耐えきれず、行動不能に陥りました。現在、非常時のため、私が思考部分の負担を肩代わりしています》


「そうか……前回は一瞬で意識がとんだもんな……」


《ヴェレドさまの『魔力による身体強化』がヒントになりました。私はこれより魔力の演算処理に徹します。蓮さまはスイッチを用いて、可能な限り魔力消費を抑えてください》


「わかった、頼む!」


《ご武運を……》



 ――この間、およそ0.08秒。


 その思考速度は、人の意識の限界速度0.1秒を超え……


 この時、この瞬間より、蓮とチエは……


 神の時間に手をかけた――



「うっ……があああ!」



 ――蓮の咆哮と共に、纏雷てんらいの激しさが増す。蓮は拳に巻き付いた鎖をそのままに、マンイーターにむけ凄まじい速度で幾度も叩き込む。見る間にマンイーターの身体は削り取られ、吹き飛んだ。


 その肉片が岩肌に張り付くより前に、蓮は地面をけり、フレイムリザードの懐に潜り込む。雷撃を纏った鎖がフレイムリザードの首に巻き付き、蓮が恐ろしい速度で鎖を引くと、まるで光の刃が円を描く様にトカゲの首を切り離した。


 この間、1.5秒。


 本来なら魔力のほぼ全てを使い切ってしまう雷撃を、彼は心のスイッチを用いて、最小限に抑えた。


 加えて、過剰な電流で脳が焼き切れておかしくない状態を、知恵の宝庫、チエが彼の脳と身体を同時処理でサポートしていたことが、この恐るべき加速の連続を支えていたのは言うまでもない。



 『電磁波による思考と身体の超加速 × 知恵の宝庫による魔力演算の並行処理』



 この奇跡の組み合わせが、人の不可能を可能にし……





 蓮は、刹那の住人となった。





 だが……この神の時間も終わりを迎える。


 所詮人の子、その身体が耐えきれるはずもなく、がくがくと蓮の足がこれ以上動くことを拒否した――



「ぐ! ぎぎ! ま……だ……だ!!!」



 ――鼻からは血が噴き出し、眼球の毛細血管はその負荷に耐え切れず、蓮の眼が赤く染まる。脳の魔力演算処理の限界がきていた。


 しかし蓮は最後の力で地面を蹴る。


 残像すら見えるその速度で、今にも崩れ落ちるヴェレドを抱きかかえ、焼け焦げたマントごと炎を置き去りにした。


 これが後に人々が畏れ、ヒズリア全土に大きなうねりをもたらす存在……



 『神槌しんつい雷帝らいてい



 覚醒の瞬間である――




 全ての魔力を使い切ってしまった……俺は多分このまま行動不能になるだろう……もう魔物は潜んでいないだろうか……ばあちゃんたちは無事だろうか……ヴェレドは生きているか……意識が遠くなる……


 奇妙な感覚だった。俺たちを鍛え、幾度も俺たちの命を救ってくれた百戦錬磨のヴェレド。そんな強い男であるヴェレドは、俺が想像したよりも軽く、そして柔らかかった。



「蓮……おみゃあ……やれば出来るじゃないか」



 俺はこの時、夢でも見ていたのだろうか……腕の中で俺を見上げるヴェレドの素顔が……美しい女性の姿だった――



「あ……り? あんた……誰だ? ヴェレ……どこ?」



 その赤髪の美しい女性は俺の事をじっと見据え、こう続けた。



「やっと……みちゅけた……」



 この目、この視線、間違いなくヴェレドのそれだった。



「え……?……な……に……?……みつけ………………」



 俺が覚えているのはここまでだ――




 ◇     ◇     ◇




 目覚めたら俺は大狸商店街の広場にいた。


 ここから先……俺は見たまま、起こったありのままを話す。何故かって? それは俺が聞きたいほどに、目の前の状況が混沌としていたからだ。


 まず俺が目覚めるところから話そう――



 俺は唇にひんやりとした柔らかい感触を感じ、口の中に鋭い苦味を感じた。無意識にごくりとその苦味を飲み込む。



 ――『ななななにやってるんですか?! あなたは?!』――


 ――『うるさい! もっと持ってくるんだ!』――



 などと、声が聞こえ、瞳を開けると……俺はあの赤髪の美しい女性に抱きかかえられていた。



「ヴェ……レド……なのか?」


「蓮! そうだ! 私だ! おい! 蓮が目を覚ましたぞ!!!」


「蓮さま!!!」



 ヴィヴィの声が聞こえ、彼女に視線をおくると……ヴィヴィの頭が、伸びていた。


 え? 意味が分からないって? うん。俺も意味が分からない。だから見たままを話す。


 とにかく、ヴィヴィの頭は何故か倍ほど伸びて、変なフォルムになっていた。



「おお! 蓮ちゃん起きたとね!」



 ばあちゃんの声がしたので、視線をおくると……ばあちゃんから触手と木の根が生え、マンイーターのようになっていた。


 え? 意味が分からないって? だから俺もだよ。


 ばあちゃんは木の根で身体を浮かせ、ガサガサと蜘蛛の様にこっちへくる。ものすごく気持ちが悪い。



「よかった! 蓮さんが目覚めたぞうい!」「本当だ! 蓮さんが目覚めた!」「蓮さん蓮さん」



 ドワーフたちの声がする。嫌な予感がしたが視線をおくる……ドワーフたちは、ばあちゃんから生えた触手に絡み取られ、まるで果物がなっているかの如く、鈴なりに吊るされていた。みな一様に口から緑色の汁をぼたぼたと垂れ流している。



「ひ……ば、ばけもの……」



 俺はそのあまりに気持ち悪い画に、再び気を失いそうになった。



「まずい! 伊織! もっと濃いのを!」


「はいよう!」



 ヴェレドの声に、ばあちゃんが応じ触手を伸ばすと、ヴェレドは触手を噛みちぎり、触手から溢れ出すなんか緑色のドロっとした液体を口に含んだ。


 そしてあろうことか、そのわけの分からない液体を口移しで俺に飲ませた。


「あーーー!!! また!!! フーーー!!!」とヴィヴィの頭が更に伸びる。


「ぷはぁ! どうだ?! 蓮! 効いたか?!」と口元真っ青なヴェレド。


「効くに決まっとろうもん! 一番濃くしたけんね! へははは!」「ほう! ほう! ほう!」とマンイーターばあちゃんと鈴なりドワーフたちが笑っている……


 なんだ……ここは地獄か? あまりの恐怖に、俺は再び眠りに……というか気絶した。



 と、ここまでが、俺が一瞬目覚めてみた光景だ。


 な? 意味が分からないだろう? 俺もだよ。


 頼む……どうか、どうか! この地獄絵図が夢であってくれ!





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