023 フレイムリザード

 ――ヴェレドのカンテラがぼんやりと辺りを照らす。


 俺たちはドワーフたちの救出のため、フレイムリザードがでた洞窟へと向かっていた。


 夜の森は、俺が日本で経験してきた夜とは全く違う。足元すら見えない深い闇の中、フクロウのような鳥の鳴き声や、駆け抜ける獣の足音、虫の鳴き声が響き渡り、驚くほど騒がしい。


 そうだ……見えない、気づいていないというだけで、この世界は多くの命に溢れているのだ。人というのは、よくその事を忘れてしまう。いつ魔物や獣に襲われるかわからないこの状況が、ことさら存在の輪郭をより鮮明にした。


 移動しながらヴェレドの作戦に耳を傾ける。



「お前らはいつものように、伊織が後衛、蓮が前衛のスタイルでいい。私が中衛を担う。伊織は魔力付与は基本使うな。洞窟を崩落させる可能性があるからな。お前の腕なら普通の弓で十分だ」


「そうなん? 修行の成果を見せてやろうと思っとったのに」


「……成果が出てないからいってるんだ」



「がびーん……」と、ばあちゃんは尻尾を落としショックを受けた。



「まあ、やむを得ない場合は、細心の注意を払って撃て」



「はいよぅ!」と、ばあちゃんは尻尾を膨らまし、立ち直った。俺もこのくらいシンプルなメンタルが欲しい。



「蓮は前衛でとにかく足止めをしろ。施錠ロックを常に使い、隙を作れ」


「わ、わかった」


「一番注意するのは火の息だ。これを喰らうと致命傷になる。だが対策はある。お前の施錠ロックでフレイムリザードの首を固定すれば、火の息はやつらの正面にしか放出されない」


「なるほど、首の可動域を押さえることで、躱しやすくするってわけか」


「そうだ。一瞬でいい。やつらが炎を吐く瞬間を狙え。そうすれば私と伊織が攻撃する……ん? ここか?」



 険しい岩肌にぽっかりと開いた洞窟の入口が、まるで巨大な獣の口のように見えた。ドワーフたちが残したスコップや猫車ねこぐるまが無造作に散らばっている。冷たい風と生ぬるい風が交互に頬に当たり、焦げた匂いが鼻を刺した。



「この匂い……フレイムリザードだな……伊織、作戦の続きだが、やつらの目は狙うな。視界を奪えば暴れる。やみくもに吐かれた方が厄介だ。見えることを逆手にとれ」


「はぁ~、ヴェレドちゃんは本当によう考えとるね~。感心ばい。チエちゃんのごたる(チエちゃんみたい)」


《いえ、こと戦闘においてはヴェレドさまの方が何倍もうわ手です。経験された数が違います》


「またまた~謙遜してから~。チエちゃんも凄かよ~」


「……チエちゃん……?」



 ヴェレドの眉がわずかに動き、目元に困惑の色が浮かんだ。



「伊織……お前、さっきから誰と話してるんだ? そういえば蓮もその名を呼んでいたな」


「え?! あ~っと……そりはねぇ~……蓮ちゃん?」



 ばあちゃんは目を泳がせ、しどろもどろにテンパっている。俺たちの事をどこまで話していいのか迷っているようだ。


 ヴェレドは自身を多く語ることはないが、嘘はつかない。今までの言葉や行動が、彼の裏表のない性格を証明している。素性を語らないのは、恐らく何か事情があるんだろう。もし本当にこれからヴェレドと仲間になるのなら、こちらから俺たちの事を明かすのが筋だ。もうこれ以上、彼に隠し事をするのは無理だ。



「ヴェレド、無事にドワーフたちを救い出せて、商店街に帰れたら、詳しく話すよ……俺たちの事」


「……そうか。わかった。蓮、伊織、ここから先、どんな状況になるか分からない。常にあらゆる可能性があることを考え行動しろ」


「ごく……あらゆる可能性……」


「前にウサギがダガーを隠し持っていて危なかったと言っていただろ?」


「ああ……」


「目に見えるものが全てじゃない。決して油断するなということだ」


「わ、わかった!」



 俺たちは足音をできるだけ抑えながら、彼の後に続いた。


 洞窟は思ったより広く、天井も高い。ドワーフたちが壁面を削りながら進んだのだろう。洞窟は横穴や通路が絡み合い、時折大きな空洞が開けている。洞窟内は作業用の灯りが所々にともしてあり、森の中より遥かに視界が良かった。



 ――ズズンッ……



 突然、遠くから鈍い音が響き渡り、足元に微かな振動を感じた。洞窟の奥から魔物独特の臭気が漂ってきて、自然と鼓動が速くなる。


 息を呑み、耳を澄ませると――


 呼吸のような音が響いている。しかしそれは、呼吸というにはあまりに重々しく、その音の主の大きさを物語っていた。



「おるね……これ、絶対おるやん」


「ばあちゃん、森林探索スキルは?」


「さっきから使いよるけど、やっぱり洞窟の中は無理みたいばい」


「そうか……」


「蓮、伊織、あまりスキルに頼りすぎるな。こういう時は五感をフルに使え。それが一番のスキルだ」



 さらに進むと、燃え焦げた採掘道具や猫車が転がっていた。



「……近いぞ……おそらく次の空洞にいる。準備は――」



 ――カチッ! カチッ!



 後ろの方から何か物音が……



「おい!」《後ろです!》



 その音に反応して、ヴェレドとチエちゃんが鋭く叫んだ。



「横に飛べ!」《横穴へ!》



 反射的に俺たちは横穴に飛び込んだ。次の瞬間、背後から猛烈な熱風が押し寄せ、目が眩むほどの炎が通り過ぎた。


 俺とばあちゃんは何が起こったか理解できず、ただ目を見開いていた。


 ヴェレド曰く、このカチカチという音は、フレイムリザードが火の息を吐く際に、喉の奥にある火打石のような器官を鳴らす音らしい。ヴェレドとチエちゃんの警告がなければ、俺たちは炎に焼かれていただろう――


 ヴェレドはすぐさま横穴から飛び出し、後方と前方を確認した。



「くそ! 挟み撃ちだ! どこか縦穴があったのか?! おい! すぐに次の空洞へ行くぞ! このままこの通路にいたら、袋の鼠だ!」



 俺たちは横穴から飛び出し、次の空洞へ駆け出した。前方の空洞から魔物の叫び声と大きな足音が聞こえる。


 まずい、この通路へ向かってきてるんだ!



「くそ! やっぱり作戦通りいかないか……ここからは出たとこ勝負だ! 蓮! やつらがこの通路に来る前に次の空洞に出るぞ! 視界に入ったら、即、施錠ロックだ!」


「わかった!」


「伊織! 姿は見えないが、後方にフレイムリザードがいる! 今、後ろからあれをかまされたら、全滅だ! 多少通路が壊れてもいい! 後ろのやつを任せたい! 歯一本の修行の成果、みせてくれるか」


「歯一本……! よっしゃ! ヴェレちゃん……任せとき!」



 ばあちゃんは後方を振り返ると、静かに弓を構え、『射法八節しゃほうはっせつ』に魔力を注ぎ込んだ。緑色の光と共にギリギリと弓に草と蔦が絡み合う。


 俺とヴェレドは全速力で前方の空洞へ向け駆け出した。くるか……今この通路に向け炎を吐かれたらアウトだ。急げ! 何としても空洞部分で食い止めなければ!



「近いぞ! あの角を曲がったところだ! 頼むぞ! 蓮!」


「おう!」



 通路を抜けた先に、牛ほどの大きさの真っ赤なトカゲが現れた。



「げ! いきなりかよ! ってか……でか! これトカゲとかのレベルじゃないだろ!」



 フレイムリザードは口を天に向け大きく開き、カチカチという着火音を出している! まずい! 炎を吐くつもりだ!



「させるか! 施錠ロック!!!」



 ――ガキンッ!



 鈍く光る錠前が宙に現れ、金属音と共に素早くフレイムリザードの首を固定した。フレイムリザードは天を仰いだまま訳が分からず、前足を狂ったようにばたつかせている。



「ヴェレド!」



 刹那、ヴェレドの槍が、がら空きの胸に食い込み、フレイムリザードはぐったりと息絶えた。



「あ、危なかった……あと少しで火の息吐くところだったよ」


「蓮、よくやった。それにしても、このフレイムリザード……大きすぎる」


「え? そうなの?」


「ああ。流石にドラゴンとまでは言わんが、これをリザードと言っていいものかどうか……」



 ――ドゴーン!!!……



 爆音とともに、洞窟全体が揺れた。振動で足元の小石が転がり、天井から粉塵が落ちてくる。このぶっぱなし音……ばあちゃんのくさ矢か?



《蓮さま、伊織さまがトカゲを倒しました。しかし、かなりの崩落が起きたようです。伊織さまは無事です》


(そうか。わかった)



「伊織の方も上手くやったようだな。さて、これ以上は進め、ないか……」



 たどり着いた空洞部分がどうやら最深部のようだ。だが、ドワーフたちの姿は見えない。



「ヴェレド、ドワーフたち居ないな……」


「蓮、あそこの壁をみろ」



 ヴェレドが指差した岩肌は、明らかに周囲と色が違っていた。俺たちはその岩肌に近づき、耳を澄ませた。かすかに息遣いが聞こえてくる……



「ヴェレド……」



 俺が囁くと、ヴェレドも険しい表情で頷いた。



「みなさん! バルトさんに頼まれて助けに来ました! 大狸商店街の田中蓮です!」


「……はぁ、はぁ……蓮さん……?」



 かすれた声が壁の向こうから返ってきた。その声は、力が抜け切ったように弱々しかった。しばしの静寂の後、土の壁がゆっくりと崩れ、中からドワーフたちが姿を現した。


 彼らの様子が明らかに異常だった。顔は青白く、体は痙攣し、苦しげに息をしている。先頭にいた年配のドワーフが震える声で言った。



「おお……みんな……蓮さんだ……助けが来た……」



 彼の後ろには、同じように体が痺れて座り込む仲間たちが見える。恐怖と麻痺の症状がその顔に刻まれており、中にはやけどを負っている者もいた。



「れ、蓮さん……は、花の……化け物……うう……」



 そういって、年配のドワーフは気を失った。ヴェレドの表情に緊張が走る。



「花の化け物? この症状……麻痺毒か……」


「ヴェレド、フレイムリザード以外にも魔物がいるって事か?」



 ――ガラッ



 通路の方から物音がして振り返ると、そこには埃まみれのばあちゃんがいた。



「げほげほ! ひゃ~! ものすごい埃ばい! ちょっと力の加減、間違ごうてしもうた!」


「ばあちゃん、無事でよか――」



 声をかけようとした瞬間、ばあちゃんの頭上で何かが揺れているのが目に入った。細長いつたが天井から垂れ下がり、そいつの先端がゆっくりとばあちゃんに近づいている。まるで獲物に忍び寄る蛇のようだ。先端には口のように開いた蕾が蠢いている。



「伊織! 上だ!」



 ヴェレドは叫ぶよりも早く、反射的に地面を蹴り駆け出していた。その瞬間、蕾が大きく口を開き、ばあちゃんに向かって大量の花粉を一気に噴き出した。



「伊織!!!」



 ――ドン!!!



「ぐへあ!!!」



 ヴェレドはばあちゃんに体当たりし、押しのけたが、大量の花粉を直撃することになった。


 この植物の魔物……フレイムリザードよりでかい……ここのボスか?


 格上の魔物……勝てるのか――





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