012 勝っちゃんと呼ばないで

 ――「おい、隷属の紋が……光りだしたぞ」――



 隷属の紋が鮮やかな緑色に発光し、書かれた紋様が一文字ずつ、まるで時間が逆行するように消えていく。


「れ、蓮さま……これは……」と猫っ子はおびえている。



「……わからない。チエちゃん!」


 《恐らく、従属の契約が強制的に上書きされていると思われます。隷属の紋より、店主の契約の力の方が上なのでしょう》



 猫っ子の首から、隷属の紋が跡形もなく綺麗に消えた。ということは……



 《隷属の契約から23号さまは解放されました。これより23号さまは自由という事です》


「よ、よかったねえ! あんたこれから自由ばい!」


「じ……自由……?」



 猫っ子は自分の身に何が起きたのか理解できず、ただ茫然と立ち尽くしている。



「ほ、本当によろしいのでしょうか……」


「当たり前たい! こん世の中に奴隷とかあってたまるか! 文句があるやつはこの伊織ばあちゃんがガツンと言っちゃる!」


「ありがとうございます……ありがとうございます……」



 猫っ子は膝から崩れ落ち、大粒の涙を流しながら喜びに震えている。これまで沢山ひどい目にあってきたんだろう。怖かっただろう。辛かっただろう。


 ばあちゃんの言う通りだ……奴隷制度なんてあってたまるか。


 人は生まれながらにみな平等というわけではない。生まれた場所、育った環境……それらは千差万別、平等とは程遠いものだ。だが、人は生まれながらに対等であるべきだ。その存在や権利、自由を誰にも脅かされてはならない。人が人を所有するなど絶対に間違っている。


 そして、世界は初めから残酷で不公平だ……強き者、弱き者、猛る生命群の中で奪い奪われ、生まれ死ぬ……だが、その不条理の中で人が寄り添い、手を取り合い社会を成すなら……社会は公平であるべきだ。搾取し独占するために社会が生まれたんじゃない。社会が奴隷制度を容認するなど……絶対にあってはならない。


 人の歴史は過ちの歴史。俺たちのいた世界でも数多くの過ちがあった……だが歴史は、過去は学ぶためにある……俺たちの過ち……それをこのヒズリアで役立てられれば……


 俺はこの世界で……どうする……どうしたい?――



「蓮ちゃん蓮ちゃん……顔、怖いことになっとるばい? どげんした?」


「え? あ、ああ……ちょっと考え事を……でもよかったな。隷属の紋から解放されて……あれ? ということはさ……名前も自由に変えれるんじゃないか?」


 《はい。自身の思うまま、自由に名乗られます》


「ありゃあ! そりゃよかったばい! 名前名前! 好きにつけんしゃい!」


「そ、そんな急に言われても……私、どうしたらいいか……」


「まあ、そんなに慌てなくても、ゆっくり考えて……」


「駄目ばい! わたしゃ番号で呼ぶなんて絶対嫌や! 絶対早い方がいいっちゃ! 今日はあんたが自由になった日なんやけん、できれば今日! いや! 今がいい! 今決めよう!!!」


「そうは言ってもな……」



 まあ、確かにばあちゃんの言うことにも一理あるな。俺も番号で呼ぶのはとても抵抗がある。



「あの……それでしたら……お二人が名前を付けてくれませんか?」


「な……づけ……は……はわわ……私……な、名付け親になれると?! いいと?!」


「本当にいいのか?」


「はい! お二人が考えてくださった名前なら私、どんな名前でもうれしいです!」



 ――「やーーーーー!!!」――



 ばあちゃんは興奮のあまり全身の毛を逆立たせて奇声をあげた。それ、F県特有の掛け声だから……



「はあ~ん! じゃあじゃあ、どげんするぅ~? 私と蓮ちゃんで一つずつ候補だしてぇ、良い方を選んでもらうぅ~?」


「まあ、俺はどんな方法でも、彼女が気に入る名前ならそれでいいよ」


「蓮さま……」


「じゃあ、そのやり方で! 私からね! えーとねー、うーんとねー……」



 まあ……たぶん駄目だろう。ばあちゃんはネーミングセンスがない。というより、その時思ったものを名付けてしまう。


 以前、商店街に子猫が迷い込んできた。


 その時、ばあちゃんはその子猫に『こねこ』と名付けたのだ。無論、一年もすれば『こねこ』は子猫じゃなくなる。しかもその『こねこ』は、やたら身体が大きく育ち、商店街のボス猫となった。ばあちゃんはムッキムキのボス猫を『こねこ』と呼ぶ、違和感ありありの状態になってしまった。


 ほら、チエちゃんしかり、くさ矢しかり。ね?


 猫っ子は期待に胸を膨らませ、ばあちゃんの名づけを待っている。俺が何とかしてやらねば……



「あ! これがいい! 勝っちゃん食堂の店主やけん……」



 来るぞ。そのまんまのネーミングが。



「勝っちゃん!」「駄目だ」



 俺は速攻で否定した。


 猫っ子は「え? あ、あう、か、かっちゃ……」と軽くパニックになっている。



「あのな、女の子だぞ? それはないだろ」


「なんでな?! いい名前やんか! 勝っちゃん! ねえ? 勝っちゃん♪」


「はは……かっちゃ……かっ……はひ……いい名前……でふね……」


「駄目だ。みろ。あまりの出来事におかしくなってる」


「私はいいと思うんやもん。だって今日はこの子が『自由を勝ち取った日』やろ? そんで店の名前が勝っちゃん食堂なんやもん。絶対に勝っちゃん!」


「ぐ、もっともらしい事を……」



 でも……確かにそうだ。彼女は今日、運命を勝ち取った。奴隷として生まれ、奴隷として生き、そして俺たちと偶然出会い、解放される……これが運命への勝利と言わなくてなんという……仕方ない、ばあちゃんの意見も取り入れてやるか。勝利の日か……



「そげん言うなら、蓮ちゃんはどうなん? なんかいい名前浮かんだ?」


「そうだな。勝っちゃんも悪くないかもな」


「お? ぐふふ、そうやろ?」


「え、え……れ、蓮さま……そ、そんな……お、おえっ……」



 勝っちゃん(暫定)はあまりのショックにえずいている。どんな名前でも嬉しいといった先ほどの自分を恨んでいることだろう。



「でも、それじゃちょっと彼女には合わないから、ばあちゃんの意見もとりいれて――


 勝利って意味の……『ヴィクトリア』ってのはどうかな?」




「「ヴィ……ヴィクトリア!」」




 猫っ子は安堵の表情を浮かべ、ダバダバと涙を流している。よほど『勝っちゃん』が嫌だったんだろう。ばあちゃんは目と口を大きく開き、驚嘆の表情を浮かべている。



「ヴィクトリア……かかかか、かっこいい……蓮ちゃん、あんた、神か!」


「いや、大げさ。普通だろ。どう、かな? この名前……」


「れ、蓮さま! 素敵です! 私、ヴィクトリアがいいです! ヴィクトリア以外考えられません!」



 気に入ってくれてよかった。まあ、実質、ばあちゃんと俺の二択じゃなくて完全に一択だけど。



「蓮ちゃん、あんた、大したもんばい。神たい。私の負けばい」


「そんな事ないよ。名前の意味は……ばあちゃんが与えてくれた。だから、二人の合作ってことで」


「え? あ、そう、やね。そうそう! 二人ね! 二人が名付け親や! へはは!」



 ばあちゃんは本当に嬉しそうだった。そうか、ばあちゃんは子供がいなかったから、そんな機会がなかったもんな……よかったな……ばあちゃん。



「じゃあ、改めて……よろしくな、ヴィクトリア」



 俺は手を差し出し握手を求めた。ヴィクトリアは俺の手をしっかりと握り、顔をあげた。この時の顔を今もよく覚えている。



「こちらこそ……よろしくお願いします! 蓮さま!」



 店の窓から差し込む夕陽が、ヴィクトリアの顔を柔らかく照らし出していた。その光が彼女の新しい人生の始まりを祝福するかのように、店内を静かに染めていく。


 ヴィクトリアが微笑んでいる。


 彼女の笑顔はまるで希望そのものだった。絶望の中に生まれ、運命に抗い、打ちひしがれて、それでも希望を持ち続けた者の顔。


 真の勝利者の顔――


 あまりにまぶしいその笑顔に、俺はどう応えていいか分からず、ただ彼女を見つめるしかなかった。



「私、精一杯頑張ります!」



 そう言って、彼女は俺に抱きついてきた。ヴィクトリアのとてもとても豊かなアレが俺の身体に密着する。駄目だ! これはまずい! 平静を保たなければ! 俺はつい鼻息が荒くなってしまった。そして目の前には生乾きの布巾が!



「おえええ! くせえええ! 寄るなぁ!」


「そ、そんなぁ!」



 何はともあれ、大狸商店街は新たな仲間、ヴィクトリアを迎えた。


 これで衣食住の『食』と『住』が揃った!


 よかった……やっと山菜の水煮から卒業できる。






 ――――――――――――――

 商店街の恩恵 その2


 勝っちゃん食堂

 店主:ヴィクトリア

 名称:食識の眼ガストロヴィジョン


 能力:

 ・最高の食材を選ぶ能力:食材を選ぶ際、自然とその中で最も新鮮で質の高いものを見極めることができる。

 ・隠れた品質の発見:一見普通に見える食材でも、隠れた品質や潜在能力を見つけ出し、それを最大限に引き出す方法を直感的に理解できる。

 ・有毒や不適切な食材の排除:食材に混ざっている有害な成分や毒物を瞬時に感知し、料理に使用する前に除去できる。


 特記事項:

 ・店主ヴィクトリアの「完全再現調理パーフェクトレプリカ」は、一度味わった料理を、味・見た目・香りまですべて完全に再現できる。

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