011 契約
――「絶対お嫁にって……思うじゃないですか……あんな言い方……うう……」――
江藤書店の座敷の隅で、猫っ子が膝を抱え沈んでいる。絵にかいたような落ち込みようだ。
俺とばあちゃんは彼女の前に膝を並べ座っている。
「蓮ちゃんが、紛らわしい言い方をして、ほんなこつ、すんません! ほら! 蓮ちゃんも!」
「ご、ごめんなさい……」
俺とばあちゃんは深々と頭を下げた。
俺は彼女に「勝っちゃん食堂の店主として迎え入れたい」と言ったつもりだったが、どうやら俺の言い方が悪かったみたいで(いや、今思えば、明らかに俺のせいなんだが)誤解を解くのが大変だった。
むしろ猫っ子より、ばあちゃんの方が大変だった。俺の話にも耳を傾けず、チエちゃんと結婚の段取りについて超ハイテンションで話していた。
というのも、生前よりばあちゃんの夢は『蓮ちゃんの結婚する姿を生きている間に見る』だったからだ。今時、結婚が全てじゃないのは分かっているが、ばあちゃんはがっつり昔の人だからなぁ……自分が結婚してないのもあり、その期待が俺の肩にのしかかっていた。
残念ながら、ばあちゃんが生きている間にその夢は叶えることが出来なかった。それどころか、彼女すら連れて……まあ、転生して若返ってるから、その夢も延長戦に入ったわけだ。
俺はばあちゃんに、何度「違う」という単語を発しただろう。誤解が解けた時の落胆ぶりは見てられなかった。
そして今――
俺たちは改めて仲間になってくれるよう、彼女にお願いしている。
「……というわけで、よかったら食堂の店主になって貰えないかな?」
「はぁ……食堂……そうですか……」
完全に落ち込んでいる。俺に求婚されたのが(誤解だが)そんなに嬉しかったのか?
「でも……私、奴隷ですし……奴隷の身分で店主だなんて、ありえませんし……」
彼女は視線を落とし唇を尖らせ、いじけてみせた。おい……その見た目でその反応はずるいぞ。可愛すぎるだろ。
「み、身分なんて関係ない! 俺はそんなこと全く気にしない。本当に君の力が必要なんだ」
ピクリと猫っ子の耳が反応した。しまった! またあのやりとりが始まる……
「そんなこと言って……また私をたぶらかすつもじゃ……」
「いや! これは本当に本当だって!」
「これは?」
「いやいや! さっきのも嘘を言ったつもりはなくて本気なんだって!」
「え?! 本気?! 本気なんですか?! 私をお嫁に?!」
「いや! だからそれは誤解で!って……何度このやり取りすれば気が済むんだよ!」
こんなやり取りをこのあと数回繰り返したすえ、ようやく猫っ子は店主の契約をすることに納得した。
◇ ◇ ◇
俺たちは勝っちゃん食堂の中にいた。店内はまだ石化の状態のままだ。
「チエちゃん、これ、契約ってどうすればいいの? 石化のままだけど」
《……そうですねぇ……では、誓いの儀式をやられてはどうでしょう?》
「誓いの儀式?」
《はい。先ほど、伊織さまと打ち合わせを致しました》
「打ち合わせ? なにそ――」
「蓮ちゃん! ばあちゃんとチエちゃんに任せとき。ちゃんと段取り良くやっちゃるけん! さあチエちゃん! 始めちゃって!」
《かしこまりました! では蓮さまは、そのまま店の中央でお待ちください。お二人は所定の位置についてください!》
「はいよ!」とばあちゃんは猫っ子の手を引いて外に出ていった。何が始まるというんだ。嫌な予感しかしないが……
《準備はよろしいですね……では、参ります……》
――パパパパーン♪ パパパパーン♪ パパパパン♪ パパパパン♪――
と脳内にメンデルスゾーンの結婚行進曲が響いてきた。
「なにこれ! チエちゃんがやってるの?!」
《はい。書店に楽譜がありましたので、今、私が心を込めて演奏しております》
「すご! なんでもありだな! って……そういう事じゃなくて!」
《それでは新婦……もとい新店主の入場です!》
「あ! 新婦って言った!」
音楽に合わせ、ばあちゃんと猫っ子がゆっくりと店内に入ってくる。ばあちゃんはガッチガチに緊張して、キョロキョロと焦点が定まっていない。おい……俺たち以外に誰もいないのに、何に緊張しているんだ。
全く足並みの揃わない二人が俺のもとまできた。猫っ子の頭にはさっき使っていた布巾が、ヴェールのつもりなのか被せてある。生乾き臭がひどい。これはなんの罰ゲームだ。
《では伊織さま、打ち合わせ通り誓いの言葉をお願いします。23号さまには私の声が届きませんので》
「は、はいよう! え、えー……23号ちゃん! あなたは、この先どんなことがあってもぉ! 蓮ちゃんを愛しぃ! 尊敬しぃ! 慰めぇ! 助けぇ! 生涯を通してその誓約を守ることをぉ! 誓いますかぁー?」
「おい、チエちゃん、ばあちゃん、何やってんだ……これなんか違くないか? あと、君、ちょっと臭いよ」
「絶対に誓います」
「絶対に誓うのかよ!」
「はわぁ~、よかったねぇ蓮ちゃん、よよよ……」
ばあちゃんが嘘臭く泣いている。こ、こいつら……遊んでやがる。
《伊織さま、続けて》
「あ、あい! 蓮ちゃん! あなたは、この先どんなことがあってもぉ! 23号ちゃんを愛しぃ! 尊敬しぃ、あーめんどくさい! 誓いますかぁ!》
「おい! 端折んじゃねーよ! それにこれ! 絶対店主の契約と関係ないだろ! 思いっきり結婚式のテンプレじゃねえか!」
《蓮さま!》
「も~なにぃ?!」
《興が削がれます。空気を読んでください》
「うぇ?! 空気?! チエちゃんが空気とかいう?!」
《これは伊織さまの長年の夢……たとえ疑似的とは言え、それを叶えるのが孫たる蓮さまの務めではありませんか? 見てください、伊織さまのこのお姿》
「え? あ! うう~、蓮ちゃんのこんな姿をみれるとは……長生き、いや、転生してみるもんやねぇ」
「完全に遊んでんじゃねーか。ばあちゃん、今油断してただろ」
《蓮さま! 空気を! さあ……誓いますか?》
チエちゃんの性格というかノリが、どんどんばあちゃん寄りになってきている。ばあちゃんが名付けたのがまずかったか……
「……誓います……」
《では誓いの口づけを》「じゃあ誓いのチューを!」
「するか!」
「ええ?! しないんですか?!」
なぜこの猫っ子はこんなに前のめりなんだ?
「しないよ! 臭いってば!」
「はあ~あ、これだから草食系は……興ざめばい」
「ばあちゃん!」
《はぁ……蓮さま。いずれにせよ、儀式を最後までやってみましょう。何が正解か分からないのですから。手でも構いません。早く口づけを。ほら。さあ。ほれ》
「く、くそう! 覚えてろ!」
俺は猫っ子の前に跪き、手の甲に軽く口づけをした。猫っ子は顔を赤らめ、瞳には涙が潤んでいる……なんでだよ。
ばあちゃんは「おめでとうおめでとう」と叫びながら、どこからか拾ってきた花びらを撒いている……何の茶番だこれは。
「は~あ。これで私もひと安心たい……そんで? これからどうなるんやったかいね?」
・
・
・
――沈黙の時間が流れる。店の石化も解けておらず、他に変わった様子もない。
《何も、起きませんね。意味がありませんでした》
「おいーーー!!!」
《まあ、ここは普通に考えて、蓮さまの
「なんだよそれ!」
「まあ、よかたい。蓮ちゃんの門出も見れたし。へはは」
「門出言うな! くそ~、適当な事ばかりしやがって!
俺はなかばやけっぱちになり、
「
――ギギギ……ガキン!
重々しい金属音が店内に響いた。直後、猫っ子が光りだしたかと思うと、猫っ子を中心に店内の石化が連鎖的に解けていく。チリチリと小さな鈴が大量になっているような音が店内に響く。
石化の解けた店内は、元の状態より綺麗になっている。使い古された調理器具やテーブル、カウンターなども、まるで新品のような輝きを取り戻していた。稲荷神社と同じ現象だ……
「うわ~! 綺麗ですね!」と目を輝かせる猫っ子の笑顔が、妙に心に引っかかった。
《これは……なるほど……23号さまが勝っちゃん食堂と店主の契約をされたことにより、23号さま、蓮さまのお二人に『
「恩恵……あ、そっか。勝っちゃん食堂の恩恵か。恩恵の存在を忘れてた」
《それは困ります。私も恩恵ですので》
「いや、チエちゃんはなんて言うか、もう家族みたいな感じだからさ」
《………………》
あれ? 無反応? ん? もしかしてチエちゃん……照れてる?
《違います。照れてません》
「うわ! 心の中読むのやめてよ!」
《はぁ……恩恵の解説を続けます。『
――――――――――――
【
・最高の食材を選ぶ能力:食材を選ぶ際、自然とその中で最も新鮮で質の高いものを見極めることができる。
・隠れた品質の発見:一見普通に見える食材でも、隠れた品質や潜在能力を見つけ出し、それを最大限に引き出す方法を直感的に理解できる。
・有毒や不適切な食材の排除:食材に混ざっている有害な成分や毒物を瞬時に感知し、料理に使用する前に除去できる。
――――――――――――
また、23号さまはすでに『調理』のスキルをお持ちですが、契約により『
「まじで……それって料理人としてめちゃくちゃすごくない?」
「料理が得意なお嫁さんばもろうて、こりゃ安心ばい」
「結婚してない!」
《! お待ちください。まだ契約は完了していないようです。23号さまをご覧ください》
猫っ子の首のあたりが光っている。これは――
隷属の紋……この異世界、ヒズリアの奴隷制度……それは歪んだ思想が生んだ搾取の歴史……
この日、生まれてより23号と呼ばれ続けた奴隷は……自由を勝ち取ることになる。
そして彼女が進む未来は、多くの奴隷たちの未来を照らす、希望の道標となっていく……
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