010 誤解する言い方は良くない

 ――「伊織さまーーー! 蓮さまがお目覚めになられましたーーー!」――



 目をあけると、猫亜人の子供が、潤んだ瞳で俺の顔を覗き込んでいる。


 猫の亜人と言っても、ほぼ人の姿だ。猫耳や尻尾はあるが、顔や身体は人の様に毛深くなく『少し猫っぽい顔の人』といった印象だ。少し癖のあるショートの髪色は、綺麗な琥珀色に輝いている。背丈は150センチくらいか。


 ん? 子供にしては……あれ? 子供にしては出るところが……結構……いや……かなり出ている……俺の顔を覗き込んでいるせいで、しっかりと当たっている。声質と身長で勝手に子供と思い込んでいたが、違った。こ、これは相当なものだ……れ、蓮よ。形状を保て。


 手には濡れた布巾を持っている……この子、もしかして、ずっと俺の看病をしてくれてたのか。



「ありが……うぐ!」



 上体を起そうとすると全身に激痛が走った。これは相当なダメージだ。左手は濡れた包帯でくるまれている。恐らく神水じんすいで濡らしているのだろう。


 だんだん思い出してきた。


 そうだ、俺はダガーウサギに殺されかけて、無我夢中で左拳でウサギの頭を吹き飛ばした。そのときはっきりと拳が砕ける音がした――


 これは……重症だ。もしかしたら、もう左腕は……



「蓮さま! 大丈夫ですか……」


「ああ……いや……だいじょばない、かな」



 そうだ。修行をしたとはいえ、普段ラジオ体操くらいしかやらない一般成人男性が、あれほどの戦闘をやったのだ。身体が無事なはずがない。覚悟を決めないとな……



「なあ、俺はどの位寝てた? 三日……いや、一週間か?」


「え? えっと、え~……」



 ……と、言葉を詰まらせる猫っ子。そうか、俺の傷はそんなに悪いのか。出会ったばかりの猫っ子に聞くのは酷というもんだ。そうだ。俺はこの猫っ子を助けるために、多大な犠牲を払ったのだから……



「まさか……ひと月も?!」


「30分くらいやね」



 手に桶を持ったばあちゃんがあきれ顔で見ている。



「……え?」


「30分くらい寝とったよ」



 30分……それはもうお昼寝だ。でも、でもでも! この手の痛み……かなりの重症のはずだ。



「そ、そうか……俺の左拳……もう使えないんだろ?」


「いや、捻挫やね」


「……え?……なんて?」


「だけん、捻挫やね」


「ね、んざ?」


「うん。チエちゃんに診断してもらったけん、間違いなかろーや」


 《はい。蓮さまの症状は『軽度の全身筋肉痛と軽度の左手首の捻挫』です》



 俺、ものすごい軽傷! でも、あの時、確かに骨が砕ける音が……



「蓮ちゃん! そんな事よりこの子!」



 そんな事! 扱いが軽い! 軽傷だからか!



「蓮ちゃんが目覚めたら、ちゃんとお礼がしたいって。はい、どうぞ~」



 猫っ子は手を前に組み、神水で濡れた布巾をぎゅう~っと握りしめ、お礼を述べ始めた。



「あ、あの! 先ほどはポタポタ、助けていただパシャパシャ、ありがとうごジャバババー!」


「と、とりあえず、布巾を置こうか」


「す! すみません!」



 猫っ子は耳を後ろに倒し、顔を真っ赤にして床を拭き終えた後、俺とばあちゃんの前に正座をした。



「蓮さま、伊織さま。先ほどは命を救っていただき、本当にありがとうございました。私は奴隷の身であるため、お返しできるものが何もございませんが……もし私にできることがあれば、どうか教えてください。どんなことでもお手伝いさせていただきます……」



 ……奴隷? この世界は奴隷制度があるのか。



「君、名前は?」


「え? 名前、ですか?」


「そう。君の名前だよ」



 彼女は少し戸惑いの表情を浮かべ、こう答えた。



「奴隷には名前がございません。所有番号で呼ばれるのが一般的で、私は……23号と呼ばれております」


「なんてね?! あんた、番号で呼ばれようと?! いかんいかん! そんなん絶対いかんが! ちゃんと名前つけな! やけん、さっき名前聞いた時、モゴモゴしとったとね……」



 さらに困惑の表情をみせ、彼女はこう続けた。



隷属れいぞくの契約が続く限り、所有者が付けた名前は変更できません……この隷属の紋が消えない限り……」



 そういうと、彼女は首にぐるりと刻まれた紋様をみせてくれた。彼女の表情には屈辱が滲んでいる。


 ばあちゃんは彼女の複雑な気持ちを察したのか、あわあわとかなり動揺している。



「ごごごごめんねぇ。私、何も知らんで、いいいいらん事、いいい言いましたぁ!」


「いいいいえ! ここここちらこそ! 命の恩人に差し出がましく! 申し訳ありません!」


「いえいえ! 私こそ!」


「いえいえいえ! 私こそこそ!」



 なんだ、こそこそって。なんかこの二人……気が合いそうだな。それにしても、奴隷が当たり前の世界か……気分がいいもんじゃないな。



「あのさ、もしよかったら、どうしてあんな所で野営していたのか、教えてくれないかな」


「は、はい」


「本当、ごめんねぇ」


「ばあちゃんはいいから」


「へい……」



 彼女は、冒険者パーティーの一員で、冒険者ギルドから『ツクシャナの森の生態系が突如変化した原因を探る』というクエストを受けて、この森に派遣されたのだという。


 よかった。この世界にはギルドも街もある。この世界に俺たちだけだったらどうしようと、少し不安になっていた。


 この世界は『ヒズリア』と呼ばれており、ツクシャナの森は、南大陸『クシュ』のやや北寄りに位置している。ツクシャナの森は周囲をぐるりと山脈に囲まれており、その自然の要塞的要素が、この森への侵入難易度を押し上げ、不可侵の森としているそうだ。


 ツクシャナの森のさらに北、クシュ大陸の最北には『ノルドクシュ』という防砦都市があり、そこには複数の冒険者ギルドが拠点を置いている。


 彼女たちは、そのノルドクシュから南下し、山脈を超え、ツクシャナの森に入ってきたのだ。この森の異変を解明することが、彼女たちに与えられた重要な任務だという。それにはこのツクシャナの森の大陸的位置が関係していた。



「ツクシャナの森は、周囲のどの国からも重要な場所とされています。北のノルドクシュをはじめ、東の『ブンゴルド海洋連邦』、西の『交易都市ファクタ』、南の『クマロク王国』、全てこの森に隣接しており、どの国も森の主導権を巡って牽制し合っています」



 なるほどな。この森を手に入れれば、豊富な森の資源はもとより、他国への移動が遥かに容易になる。裏を返せば、この森があることで、周囲の国々のバランスが取れているっていうことか。



「私はパーティーの一員と言いましても、戦闘面では役に立たず、野営地での留守番と皆様の食事の準備の担当をしておりました」


「食事?! 蓮ちゃん!」



 ばあちゃんが目を見開き俺をみた。ばあちゃんなりに料理面が充実しないことを申し訳なく思っているのだろう。凄まじい期待が瞳の奥からほとばしっている。


 俺らが駆け付けた時、彼女はフライパンで交戦してた。だから料理担当なんじゃないかとは思っていた。


 俺は軽く頷き、話の続きを聞いた。


 ツクシャナの森へ入ったはいいが、想像以上に魔物が強く、かなり苦戦をしいられたみたいだ。巨大なウサギの魔物にパーティーは壊滅的なダメージをうけ、北に戻ることも出来ず、森の中で野営することになった。


 あいつと戦ったのか……逃げるが勝ちなのに。



「不思議な現象だったんですが、通常ダンジョンやこういった森は、深部や中央部に進むにつれて、魔物が強くなる傾向にあるのですが、この森は逆の現象が起きていました。森の中央部に進むにつれて、徐々に魔物の強さが弱くなっていったんです。これが冒険者ギルドが依頼した生態系の変化だと、私たちのパーティーは気づきました」


(チエちゃん、それって)


 《はい。稲荷神の加護によるものでしょう。彼女の証言はとても有益な情報です。加護には有効範囲があり、その効力は距離により弱くなるということです。蓮さまの『鍵』と似たような原理と推察されます》


「でも、驚きました。ツクシャナの森の中心部にこんな……なんて言えばいんでしょう? 遺跡? みたいなものがあるなんて」


「遺跡? はは、そんなふうに見えるんだ。こっちの世界にはシャッター商店街はないんだろうね」


「こっち? シャッター商店街?」


「いや、それはおいおい説明するよ。それより、君のパーティーのメンバーは? どうなったの?」


「あいつらは……あっ!」



 不意に漏れた本音から、彼女がかなり不当な扱いを受けていたことがわかる。よく見ると、彼女の腕や顔には殴られたような古いあざが目立つ。ウサギとの戦闘によるものではなく、日常的に暴行を受けていた痕跡だろう。



「私たちのパーティーは5人編成でしたが……全員やられてしまったと思います。ハンターの弓、リーダーの剣、ドワーフの大金づち、シーフのダガー。ウサギが持っていた武器は、すべて彼らのものです」


「そうか……ざんね――」



 俺は慰めの言葉を掛けようとしたが、やめた。



「これから、君はどうするの? 何かあてはあるの?」


「ギルドに戻って、パーティー全滅の報告をしなくてはなりませんが……私の力では森を抜けることはできません」


「もし、森を抜けてギルドに戻れたとして……君はどうなるの?」


「……新しい所有者に仕えることになると思います。奴隷の身分で、ひとり生き残った罪を問われなければの話ですが……」


「何であんたが罪に問われないかんとね? なんも悪い事しとらんやん」


「奴隷は自分の命を投げうって、主人の命を守らなければなりません。奴隷は……生き残ること自体が罪なのです」



 ――ガリッ!



 ばあちゃんの食いしばった歯が大きな音をたてた。ばあちゃんはうつむき、激しく怒りの表情を浮かべている。ばあちゃんのこんな表情、初めて見た。猫っ子はその激情におびえている。



「い、伊織さま?」


「ばあちゃん、落ち着いて」


「……うん……ごめんばい」


「なあ、ばあちゃん、彼女をさ……」



 俺とばあちゃんは互いに目を見合わせ、無言で頷きあった。



「きみ、料理が得意なんだろ?」


「え? ええ。ある程度の料理はこなせます。高度な料理もレシピがあれば。あ、あと携行食を作るのが得意です」


「携行食? お弁当みたいなものかな?」


「はい。お弁当や保存が効く食品です。探索や遠征では食事を作れない状況もありますので。良かったら食べてみますか?」



 そういって彼女は太ももに巻かれた小さなポーチから、スティック状の携行食を取り出した。砕いた木の実や乾燥果実を固めたものだ。表面にキラキラ輝くカラメルからは、香ばしく甘い香りがしている。



 ――ご、ごくり……



 俺とばあちゃんは、その携行食をひと齧りした。



 ――サクッ……



「!!! う……ああ……」




 上手く言葉が出ない……俺とばあちゃんは無意識に目をつむり、天を仰ぎ、味覚のみに意識を集中した。


 嗚呼……なんて美味さだ。甘味を味わったのはどれくらいぶりだろう。舌の上で甘味が爆発し、唾液が大量に分泌される。早く! 早くこの成分を嚥下えんかせよ! と身体が命令している。


 いや! だめだ! まだ飲み込めない! 飲み込みたくない!


 しかし、この木の実はどうやって処理しているんだ? 嫌な硬さは全くなく、サクサクと程よい歯ごたえを残している。香ばしさの中に、こっくりとしたうま味が、口の中で多幸感と共に広がっていく。


 待て! なんだこれは……ああ! ここで果実だ! 乾燥果実の鮮烈な酸味が、稲光の様に甘味とうま味の空に駆け渡る。噛むたびにジュワ、ジュワっと果実が持つ生命力が溢れてくる!


 だめだ……もう飲み込まなくては……これ以上咀嚼できない。でも、飲み込んだら無くなってしまう。くそ! それが悲しい! でももう無理だ!




 ――ごくん……




 俺とばあちゃんの頬に、一筋の線が光った。



「あ、あの……お味はどうでしたか?」



 俺はまぶたをあけた。


 世界が輝いて見える。


 食とはこんなにも素晴らしいものだと、転生する前は気が付かなかった。


 ありがとう木の実さん。ありがとうお砂糖さん。ありがとう果物さん。ありがとう猫っ子。



「お味は……」



 俺はこの時、あまりの美味さに頭がパヤパヤしており、思った言葉がそのまま口から出てしまった。



「きみが、欲しい」


「……え?」


「れ、蓮ちゃん?」



 猫っ子とばあちゃんがきょとんとしている。(※以下、誤解がうまれるので注釈をいれます)



「もっと、ずっと君の料理が食べたい……うちに、来てくれ」(※商店街に来てくれ)


「ありゃま!」


「そ、そんな事急に言われても! 出会ったばかりですし……」


「そんなの関係ない! 俺はずっと君のような子を探してた。この出会いは運命だ」(※料理が出来る仲間が欲しかったから丁度よかった)


「こ、こりゃ大変ばい!」(※蓮ちゃんがプロポーズしよった!)


「どうかな?」


「……は、はい……こんな私でよければ……蓮さまのおそばに……」



 ん? 俺、言い方……間違えた? 俺はただ勝っちゃん食堂の店主になって欲しいだけなんだが……



「あわわわ! えらいこっちゃ! し、式の準備ばせな!」(※この子、受け入れよった! 結婚式の準備をせんと!)



 なんか……すごく大きな誤解を招いたような気がする。





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