009 命の土俵

 ばあちゃんの森林探索のスキルを頼りに、俺たちは森の北部へ向かっていた。


 もしかしたら、初めての異世界人との接触になるかもしれない。何としても助けたい!


 ばあちゃんが子供の声を聞いてから、結構な時間がたった。


 匂い……焚火の匂いがする。近い……間に合うか……森に入りかなりの距離を進んだところで、ばあちゃんが声をあげた。



「もうすぐばい! この先の拓けたところ! 距離20メートル、ウサギが4匹!」


「わかった! 俺が引き付ける!」


「4匹ばい?! 大丈夫ね?!」


「分からん! でも……やる! ばあちゃんはいつも通り後衛で!」


「は、はいよ!」



 ばあちゃんは少し上の太い幹に飛び乗り、草の弓を出現させた。


 木々の隙間からチラリと焚火の灯りが見える。俺はその炎目掛けて飛び出した!


 目に入ってきたのは、キャンプのような野営地だった。



「ニャーーー!!!」



 そこでウサギの魔物と戦っていたのは、フライパンを振り回しながら叫ぶ猫の亜人の女の子だった。まずい――取り囲まれている!



「うお~~~!!!」



 俺の叫び声に、その場にいた全員が動きを止め、俺の方へ視線を向けた。



「ばあちゃん!!!」



 次の瞬間、くさ矢が手前のウサギに『ぴゅーん、ぷすっ』と刺さった。相変わらずの迫力の無さ……それでも俺たちは真剣に戦っているのだ。


 まずは1匹……ん? おかしい……なんだこのウサギ……二足歩行だ。それに、手には長剣やダガー、大きな金づちを持っている。今倒したウサギは弓を持っていた。稲荷神の加護でウサギは弱体化されてるはずなのに、明らかにこいつらはレベルが上だ……



「チエちゃん! 二足歩行! 武器! 考えて!」


 《はい!》



 ウサギたちは標的を俺に変え、警戒し距離をとった。



「おい! 大丈夫か!」



 俺の声に、猫亜人は「いえーーー! だいじょばないですーーー!」と何とも間抜けな受け答えだが……よかった! 言葉が通じる!



「俺の後ろへ!」


「あ、ありがとうございますー!」



 猫亜人は戸惑いの表情を浮かべながらも、俺の後ろ、ばあちゃんのいる方へ下がった。よし……とりあえずは間に合った。


 ウサギたちは弓のウサギを倒され、警戒して距離をとってる……ありがたい……この距離じゃ施錠ロックも届かない。



 《蓮さま、このウサギ……二足歩行、武器を使う点から、ミルコクロコップに近い種類だと思います》


「あのバケモンか……」


 《番付的には、ちびっこ相撲、全国大会上位レベルでしょうか。しかも武器を持っているので、危険度はさらに上がります》


「もう俺より完全に強いじゃん……」


 《ええ……しかし、加護が発動しているのに何故このような個体が……何か要因があるはずですが、今は情報が足りず分かりません》


「そうか……何か対策は?」


 《武器を使うという事は、ある程度の知能があるとみて間違いありません。連携を取ってくる可能性もあります。早急に数を減らすことをお勧めします!》


「わかった!」



 残るは剣と大金づちとダガーの三匹か……このままじっとしてくれれば、ばあちゃんがくさ矢で倒してくれる。弓のウサギは倒したから遠距離攻撃は……ん? ダガーのウサギがいない……どこへ行った……


 次の瞬間、剣のウサギが身体を左にずらした。その背後でダガーのウサギが……ダガーを手に大きく振りかぶっていた……投擲か!!!



 ――ヒュン! ズカッ!!!



 ダガーは左へ身をそらした俺の右側をかすめ、後方の木に突き刺さった。こいつら……早速連携か……確かに四足歩行とは違う……でもこれでダガーのウサギは武器を手放した。危ないのは残る剣と大金づちの――



 《蓮さま! 右へ!》



 チエちゃんがこのトーンで警告するときは、そのまま反射的に指示に従うようにしている。俺はただ最速で右へ跳んだ。



 ――ビュオ! ザスン!



 ウサギの振るった剣が、俺の左耳をかすめて地面に突き刺さった。俺は地面に転がる形になったが、ぎりぎり躱せた。



「あっ……ぶねぇ……」



 そして、こいつら……思った以上に速い! 四足歩行ほどじゃないが、この素早さで武器を振り回されると厄介だ!


 しかし……簡単に剣といったが……実際に見るとなんて大きさ、なんて威圧感……武器なんて初めて目にした……鈍色にびいろにぬらりと輝く鉄塊は、ある明確な意思を発していた……



 ――殺意――



 そうだ……簡単に剣といったが、これは『殺すための道具』なんだ……ぎりぎり躱せた……? 躱せなかったら……死んでた?



 ――この時より、蓮の意識が切り替わる。


 弱体化した四足歩行のウサギでは、本当の意味で命の危険はなかった。また、転生して初めて遭遇した巨大な二足歩行のウサギも、蓮の目には、圧倒的実力差のある脅威としか映らず、戦う相手ではなかった。


 戦い……闘争とは……


 平和な現代日本で平穏に生きた蓮に、その感覚が備わるはずもなく、まだ土俵に立ってすらいなかった。だが、ここにきて、本当の意味で初めて意識する。


 この武器をもつ二足歩行のウサギ……実力が拮抗した敵だからこそ生まれた心の目覚め……


 闘争とは……奪う事と護る事のせめぎ合いだ。互いの命を懸けてそのどちらかをとる。


 命を奪われる恐怖と、命を奪う覚悟。


 この時、蓮は初めて、命のやり取りの土俵にたった。


 地面に突き刺さる剣……明確に向けられた殺意に、蓮の感覚は研ぎ澄まされていく――



「チエちゃん……ありがとう……助かった」


 《いえ! それよりすぐ来ます!》



 剣を空振りしたウサギの背後から、大金づちのウサギが飛び出してきた。まずい! まだ態勢が整っていない! 剣のウサギが立て直して向かってくる。俺の『鍵』は一つしか出せない。これは……喰らうとダメなやつだ!


 ならば――



施錠ロック!」



 俺は、剣のウサギの後ろ脚と大金づちのウサギの身体を施錠ロックした。施錠されたウサギたちはバランスを崩し、勢いあまって激しく転倒した。俺との距離が近い。この距離での施錠ロックは強いぞ……そう簡単には外せない!



 《素晴らしい判断です! 蓮さま!》


「ああ! ばあちゃん!」



 ばあちゃんが放った矢は『ぴゅふゅーん』といつもより気合の入った音で、二匹のウサギの頭を寸分たがわず打ち抜いた。



「まじか……一本の矢で2匹同時に仕留めた。ばあちゃん! ナイス――」


「蓮ちゃん!!!」《蓮さま!!!》



 ――ザザッ!



 しまった……残りのダガーウサギが俺の背後に回り込んでいた。ダガーは木に刺さったままなのに……こいつ……もう一本ダガーを持っていたのか……見えてる武器が全てだと思い込んでいた……くそ……やられた……ダガーの刃が俺の首にかかる。



 これは……



 死――――




 この一瞬が、とても永かったのを今でも覚えている。よくある走馬灯ってやつだ。様々な小説や映画、漫画やアニメで描かれる、死ぬ瞬間にすべてがゆっくりと見え、過去のあらゆる経験が思い出される現象――


 でも……これは、この感覚は経験しないと分からない。本当にそうなのだ。本当に今までのすべての記憶と、現在の思考が、限りなく凝縮された時間の中で交差する。


 ダガーの刃が首の皮膚を裂き始めるのが分かる。


 死……死ぬのか? 俺が死んだらどうなる? ばあちゃんをこの世界に置いていくのか? 猫亜人の子は? このダガーウサギの速さは飛びぬけてる。ばあちゃんも猫亜人の子も勝てないかもしれない。


 俺は、また護れないのか?



 あの時の様に……



 俺の脳裏に、商店街のみんなの顔が浮かんだ。


 ダガーが更に首に食い込んでくる……



 いや、護る……今ここで絶対に死ねない! 俺が全部! まも――――




 ――この瞬間、蓮の記憶と現在いまが溶け合い、弾けた。


 人間の反射速度の限界は0.1秒と言われている。これは、何かを感知してから動き出すまでの時間だ。


 生と死が交錯するその刹那……


 蓮の身体から青白い雷撃がほとばしり、強力な電磁波が彼の身体を駆け巡る。


 電磁波の速度は秒速30万キロメートル。音速のおよそ87万倍。これは光の速度に等しい。


 その驚異的な速度を持つ電磁波が、蓮の脳を駆け巡る。


 そして、限りなく凝縮された蓮の体感時間軸と完全に重なり合い、蓮の動きを加速させる。


 結果、蓮の速度は生物の限界速度をはるかに凌駕し……


 全てを置き去りにした――




「ガアッ!!!」




 ――蓮はダガーの刃が頸動脈を裂くよりも速く……恐ろしい速度で身体をねじり、左拳をウサギの脳天に叩きつけた。ウサギの頭ははじけ飛び……蓮の左拳も砕けた――




「いっ……てぇ……」




 俺が覚えているのはここまでだ。これから先の事は覚えていない。気が付いたら俺は、江藤書店の座敷で寝ていた。


 ちなみに、この後俺は『神槌しんついの雷帝』と呼ばれることになるが、それはもう少し先の話だ。






 ――――――――――――――

 獲得スキル・魔法


 田中蓮

 ・施錠ロック:鍵のスキルの一部。さまざまな物に錠前をかけたり外したり出来る。効果範囲は約10メートル。距離によって強度が変動する。


 江藤伊織

 ・くさ矢:魔力を基に、草の弓と矢を具現化したもの。射程距離は長いが威力は低い。

 ――――――――――――――





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