008 チエちゃんいきどおる

「いた……ばあちゃん……いくぞ」


「はいよ……」



 ウサギの魔物が周囲を警戒しながら見回している。稲荷神の加護によって、筋肉ムキムキの巨大ウサギは、中型犬ほどの大きさにまで弱体化した。最初はてこずったが、今や……俺たちの敵ではない!


 初めての戦闘から数日が経ち、俺たちは確実に強くなっていた。


 ウサギと殴り合っては神水を飲んで体力を微回復し、腹が減れば木の実をかじり、寝る。そんなことを繰り返した結果――



「頼んだばい! 蓮ちゃん!」


「まかせろ! 喰らえ……施錠ロック!」



 鈍く光る錠前が出現し、ウサギの後ろ足が木の根に素早く固定された。一瞬の出来事にウサギは混乱し動きを止めた。



施錠ロック』……どうだ。これが俺が新たに身に着けた必殺技だ!



 俺のスキル『鍵』は、商店街のシャッターの開錠だけでなく、さまざまな物に錠前をかけたり外したり出来ることに気づいた。


 効果範囲は約10メートル。距離が離れるほど錠前のサイズは小さくなり、強度が落ちる。今のところ、10メートルも離れると、わずかに固定する程度の強度しかない。


 正直、大したことはない。だからウサギを施錠ロックしても……



 ――ピギー! パキン!



 こんな風にすぐ壊される。だが、この一瞬足止めが重要なのだ。こちらの攻撃の本命は……



「止まったもんなら、そうそう外さんばい……」



 ばあちゃんが草の弓を構えている。この弓は、ばあちゃんが『ちびっこ相撲レベル』を10匹ほど倒したときに習得したスキルだ。フォクシーエルフの力で草の弓と矢を出すことができる。すごく便利。



「喰らえ! くさ矢!」



 ばあちゃんは草の矢をそのまま『くさ矢』と名付けた。せっかく強そうなビジュアルなのにネーミングのせいで台無しだ。


 くさ矢は『ひゅーん……ぷすっ』と音を立ててウサギに刺さった。


 迫力は無いが――ちゃんと倒せる!



「やったな! ばあちゃん!」


「楽勝たい!」



 俺が前衛で囮になり敵を施錠ロックし、後衛のばあちゃんが弓で仕留める。これが今の俺たちができる最強の戦略だ。連携をしっかり決めることで、戦闘が格段に楽になった。



「今日はこんぐらいにしといちゃろ! 帰るばい! 蓮ちゃん! ふへははは!」



 ばあちゃんが頼もしく見える。くさ矢に迫力は全くないが。


 俺たちは怪我をすることなく、この日の探索と修行を終え、商店街へ帰った。




 ◇     ◇     ◇




「……いただきます」


「はいよ……おあがり」



 ウサギの魔物を倒せるようになり、木の実やキノコの確保が容易になった。


 俺たちは商店街の前の拓けた場所で、火をおこし食事をしている。火をおこすのも随分と慣れてきた。毎日キャンプみたいな感じで、これはこれで開放感があっていい。


 とはいえ、採れるのは山菜と木の実ぐらいのもので、この世界に来てから、木の実と山菜の水煮ばかり食べている……いい加減ちゃんとした食事がしたい。だけど……



「ばあちゃん……前よりえぐみは無くなったけど……相変わらず……不味いな」


「そうやね……あく取りはしとるんやけど……調味料もないしねえ……」


「勝っちゃん食堂が開放できれば、調味料は手に入ると思うんだけどな」


「まあ、ねぇ……でも調味料があったとしても……私はねぇ……」



 ばあちゃんが尻尾を握りモジモジしながら、言葉を選んでいる。


 はっきり言って、ばあちゃんは料理が苦手だ。味覚がどうのという事ではない。生前ほとんど自炊をしていなかっただけだ。


 ばあちゃんは早くに両親を亡くし、小梢さん(ばあちゃんの妹)も独立して以来、ずっと独り暮らしだった。一人分の料理を作るより、外で食べた方が安くあがるので、ばあちゃんはほぼ毎日『勝っちゃん食堂』で食事を済ませていた。


 何より――勝っちゃん食堂は最高に美味かった。


 勝っちゃん食堂は大狸商店街で最後まで残った店の一つだ。江藤書店が店をたたむ前……ばあちゃんが亡くなる3か月前まで営業していた。だが勝っちゃん食堂の店主・籾井勝也もみいかつやさん、通称「勝っちゃんおいちゃん」も亡くなり閉店した。



「チエちゃん、ちょっと質問なんだけど」


 《はい。なんでしょう?》


「あのウサギの魔物ってさ……その……食べられるのかな?」


「はあ?! 蓮ちゃん、なんば言いようと?! あれを食べるちね?!」


 《……食べられると思います。ただ、体内に毒を有している可能性も捨てきれません。調理に神水じんすいを使えば、その解毒効果で、さほど問題はないでしょうが》


「なるほど……ばあちゃん、一応聞くけどさ……ウサギの解体――」


「無理むりムリ! ばあちゃんしきらんよ! 蓮ちゃんがやればいいやん!」


「ごめん、俺も無理だわ……あの大きさのウサギをさばくなんて――」


「「怖くて出来ない……」」



 俺とばあちゃんは声をハモらせ、肩を落とした。



 《ちなみにですが、お二人が採取されている木の実やキノコにもかなりの数、毒のあるものが入ってます》


「「え?!!」」


 《神水じんすいのお陰で、死なずに済んでいますね……》


「はぁ……うぅ……勝っちゃんの料理が恋しいばい……勝っちゃ~~~ん!!!」



 ばあちゃんのむせび泣きが、夕暮れの商店街にこだまする。



「ばあちゃん、俺、明日は商店街の方をちょっと見てくるよ。結局こっちに来てからどんな様子かみる余裕なかったし」


「そうね、わかった。私は神社掃除と……料理のレシピ本でも読んどこかね……」


「ああ、うん……一応、勝っちゃん食堂も見てくるわ……」



 ばあちゃんに気を使わせてしまったかな……料理が出来ないのは俺も同じなのに……ごめんなぁ。しかし、食事の質は大切だ。健全な生活には健全な食事は欠かせない。美味いご飯があれば元気も出るし! とりあえず、明日は商店街の探索だ。




 ◇     ◇     ◇




 商店街の朝は、樹海の木々が陽の光を遮り、ほんのりと薄暗い。昼前には太陽が商店街の上に昇り、明るさが戻る。


 俺は鳥の声を聞きながら、ひんやりとした薄暗い商店街を歩いている。


 大狸商店街は、かつて街道沿いの宿場町として栄えていた。産業革命期には重工業と炭鉱採掘が盛んになり、石炭輸送用の鉄道が開通。黒いダイヤを求め、多くの人が集まり、商店街が形成された。


 町は一時的に好景気に沸いたが、エネルギー革命で石炭から石油への転換が進むと、炭鉱の閉山や製鉄所の撤退が相次ぎ、衰退。鉄道も廃線となり、人口流出が加速した。


 商店街も同様に衰退し、俺たち商工会青年部が町興しを試みたが、すべての店がシャッターを閉じる結果となってしまった――


 異世界に来てからは、俺とばあちゃんは生き抜くことに必死で、商店街の探索は後回しになっていた。


 勝っちゃん食堂は、商店街の中央付近にある。


 俺はほかの商店も見ながら、勝っちゃん食堂の方へ向かった。しばらく歩いて、商店街のある変化に気づいた。



「……あれ? 店が……少ない?」



 どうやら、全ての商店がこちらの世界へ転生しているわけではなさそうだ。



(これは……なあ、チエちゃん、どう思う?)


 《そうですね……推測でしかありませんが、商店街の転生は、蓮さまの強い思いが引き起こしたものです。ですので、蓮さまの記憶に残っている商店しか、転送されなかったのではないでしょうか》


(……うん。たぶんそうだね)



 見た限り、転送しているのは『俺が開店していた時期を知っている店』のようだ。転生していない店舗の場所は、何があったのか記憶が曖昧だ。ただの空き地になっている。



(ということは、勝っちゃん食堂もあるだろうね)


 《この法則性であれば、間違いないかと》



 あった――勝っちゃん食堂だ。


 赤のひさしテントに勝っちゃん食堂と大きく書いてある。シャッターは閉じてある。そういえば、商店に対して『鍵』のスキルはまだちゃんと使ったことがなかったな。



「とりあえず試してみるか……開錠アンロック!」



 ガチャっという音がなり、鍵が開くと、シャッターはガララララという馴染みの音をたて、自動的に開いた。



「こんにちは~……やっぱり誰もいないか……」



 見慣れた店内。四人掛けのテーブルが二つ。6人ほど座れるカウンター。今にもカウンターの向こうから勝っちゃんおいちゃんが「おう! 蓮ちゃん! らっしゃい!」と声をかけてきそうで……少し、寂しくなった。


 店内に入ってすぐ、ある異変に気が付いた。なるほどな……店主の契約が必要ってのはこういう事か。食堂の中は、前の世界同様、店内の設備、食器や調味料などはそのまま転生している。だが……



「全部、石だな……」


 《新たな店主と契約すると石化が解除されるのでしょう。試してみないと確実なことは言えませんが……くっ……》


「ん? どうした? チエちゃん」


 《いえ……なんでもありません……》


「とりあえず、店主になってくれる仲間を探す必要があるな。明日からは近くに村や町がないか探索するとしよう。森の大きさも把握しなきゃだし」


 《ええ……そうですね》



 少しチエちゃんの様子が変だったが、俺はその時あまり気に留めず、勝っちゃん食堂を後にした。



「また来るよ……勝っちゃんおいちゃん……」




 ◇     ◇     ◇




 江藤書店に戻ると、ばんちゃんは料理本を読んで……というより、口をあけて眺めていた。俺は商店街探索の経緯を説明しようとした。



「知っとるよ~。全部聞いたばい」


「聞いた? は? 誰に?」


「へへへ~、チエちゃんに」


 《差し出がましかったでしょうか。商店街探索の現状を伊織さまに中継しておりました》


「チエちゃんが事細かに話してくれて、楽しかったばい。ふへへ」


「なるほど……そういう事か……」



 チエちゃんは、俺とばあちゃんに直接脳内で念話が出来る。チエちゃんが中継役をやれば、俺とばあちゃんは互いの現状を知ることが出来るってわけか。これは……凄く便利だな。



「チエちゃん、俺とばあちゃんを直接念話で繋げる事は出来るの?」


「おお、そりゃ便利やねえ」


 《……その可能性は模索しておりますが、こちらの世界の力場……ルールの様なものが把握できておらず……非常に遺憾ですが、今のところ不可能です。私の知識のほとんどは江藤書店の書物に由来しております。現状ではこちらの世界で観察した事象から推察して、答えを導き出しています》


「そうか。元の世界にはスキルや魔法なんてものはないからな」


 《その辺りの知識は、伊織さまが愛読されていたライトノベルの情報が非常に役立っています》


「お……ばあちゃん、褒められた?」


「うん、褒められた」


「へは」


 《ですが、それも推測の域を出ておらず、確証は得られません。せめて、こちらの学術書や魔術書などがあれば、それらを検証し、蓮さまと伊織さまの直通の念話の構築を試みれるのですが……お役に立てず、申し訳ありません》


「いやいや! チエちゃんが中継してくれるだけでも、すっごい助かると思うよ!」


「これはこれで、面白いばい。なんか噂話を聞いとる感じがして」


 《お気遣い……痛み入ります》


「あ、ということは、こっちでの情報を仕入れれば、可能性はあるって事だよね?」


 《はい……検証は出来るはずです》


「わかった。これからはチエちゃんの情報の……インストール? みたいなものも、考えながら行動するよ」


 《大変助かります……現状で私の申し上げる情報は推測ばかりで、知恵の宝庫と名乗る者としては非常に……非常に心苦しい限りです。こんな有様で知恵の宝庫とはこれいかに? という感情が、私を支配しております》


「あ、やっぱり感情はあるんだ」


 《あ、ありますとも! 伊織さまにお名前を頂いてから、私の中で『チエ』という自我が目覚めました。伊織さまと蓮さまのお役に立ちたいと思っておりましたが、この有様で……ああ~~~! 悔しい悔しい口惜しい! 役立たずの知恵の宝庫になんの存在意義がございましょう!》


「チ、チエちゃん! 大丈夫! 十分役に立ってるから!」


「そうばい。気にせんでよか」


 《いいえ! このままでは私の気が収まりません! もっとお二人のお役に立てるよう、精進いたします! ですので、是非この世界の情報を私にお与え下さい! どうか! どうかよろしくお願いします!》


「わ、わかったよ……」



 そうか。チエちゃんの様子が変だったのは、こういうことだったのか。そんなに気にしなくていいのに……チエちゃんがいなかったら、多分俺たちは、転生初日で魔物にやられ全滅してた。こりゃ何としてもこの世界の情報をチエちゃんに与えないと。


 そんなことを考えていると、ばあちゃんの狐耳がピクリと動き、何かに反応した。



「蓮ちゃん……森の方で何か聞こえたばい。人の声のようなもんが」


「人の声?」



 ばあちゃんの狐耳の感覚は鋭い。かなり遠くの物音も聞き分けられるそうだ。いつになく真剣な表情で、ばあちゃんは森林探索のスキルを発動した。



「声の数は……一人……子供の声?……ウサギの魔物と戦っとるね……」


「子供……ウサギの数は?」


「……今は一匹だけやけど……声につられて何匹か集まってきとる……」



 まずいな。俺たちは複数のウサギとの戦闘を得意としない。俺の施錠ロックはひとつしか発動できないし、ばあちゃんのくさ矢も連発できない。だから今までは、集団のウサギとの戦闘は避けてきたし、単体のウサギとの戦闘も、なるべく不意をついて戦ってきた。本来なら手を出さないのが得策だが……



 《蓮さま、これは異世界の住人と接触する絶好の機会です! 私のアップデートのチャンス! 何としても声の主を助けて下さい!》



 そうだ……チエちゃんの言う通り、これはこの世界を知るチャンスだ。戦闘に不安はあるが、冒険する価値がある。それに――



「子供を見捨てたとあっちゃあ……商工会青年部の名が廃るぜ!」


 《さすが蓮さま! 商工会青年部の鏡です!》


「あり? 商工会青年部って、そんな感じやったかいな?」


「ばあちゃん! 場所は?」


「ん? ああ、北の方角、森に入ってそんなに遠くないところやね!」


「よし! 急ごう!」


「はいよ!」



 こうして俺たちは、声の主の救出に向かうべく、森の北部へ急いだ。





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