013 新しい生活と真夜中の通信

 ヴィクトリアが正式に勝っちゃん食堂の店主になった後、俺たちが大狸商店街と一緒にこの世界に転生した経緯や、ここまでの生活の事を説明した。



「凄いです……街ごと転生するなんて、聞いたことがありません」



 最初、目を真ん丸にして驚いていたが、転生自体は例がないわけではなく、割とすんなり受け入れてくれた。


 という事は、俺たち以外にも転生してきた人間がいるって事か……その辺りの事も落ち着いたら調べてみるか……でも今は、目の前のことをしっかりやっていかなくちゃな。



「さあ、これからはヴィクトリアがこの店の店主だからな。好きに使ってくれ」


「ありがとうございます! お聞きしたところ、これまで大変な食生活だったんですね……これからは私がお二人の食生活を支えます!」


「よろしくな」



 ヴィクトリアは本当にすごい。奴隷として生まれてから、ずっとひどい扱いを受けてきたのに、それでもこうして笑えるんだ。もし俺が彼女の立場だったら、こんな風に笑えるだろうか……



「あの、伊織さまは?」


「ああ、稲荷神社のお参りと掃除をしてくるそうだ。俺たちだけで店内を見ててくれってさ」


「かしこまりました! ではさっそく店内を見させて頂きます!」



 ヴィクトリアは嬉しそうに目を輝かせ、食堂の設備を指差しながら質問してくる。



「蓮さま! これはなんですか?」


「これはウォーターサーバー。客が自分で水をコップにつぐんだ」


「へ~! それは便利ですね! 水はいくらで売ってるんですか?」


「いや、俺たちのいた世界では、基本水はタダだよ」


「え~! お金とらないんですか?!」


「こっちでは水道とかないの?」


「西の『交易都市ファクタ』の貴族街にはあるみたいですが、私は見たことがありません」



 そうか、こっちの世界では水道などのインフラがまだ行き渡ってないのか。もしこれからこっちの住人が客としてきたら、お金をとった方がいいのかな……まあ商売の事はゆっくり考えるとしよう。



「蓮さま! 厨房も見ていいですか?」



 厨房に入った途端、ヴィクトリアのテンションが上がるのが分かった。長いしっぽがくねくねと激しく左右に揺れている。



「ふわ〜! 素晴らしい! こんなに清潔で洗練された厨房は初めてです! 料理を作って提供するまでの導線が完璧です! これはかまどでしょうか? 4つも口が付いてますが……あれ? 薪をくべるところがありませんね」


「それはガスコンロ。ガスで火をつけるんだ。このつまみを回せば火が付く――パチッ! いて!」



 コンロの摘みに触れた瞬間、静電気が走ったような感じがした。前にもこんなことがあったような……が、俺は別段気にすることなくつまみを回した。チッチッチと作動音はするものの、火がつかない。もしかして元栓が閉まっているのか?



 《……蓮さま、ガスコンロはおそらく――》



 チエちゃんが何か言いかけた時、ヴィクトリアが好奇心を抑えきれず摘みに触れた。



「あつっ!」


「どうした?!」


「いえ、少しつまみが熱かったような気がして……あれ? 熱くありませんね。気のせいでしょうか。つまみを回すと火が付くんですよね?」


「ああ、でも多分元栓が――」



 チッチッチッチ……ボッ! とガスコンロは音をたて、青白い炎が噴き出した。



「あれ? ついたか。元栓あいてたんだな」


「凄いです! 火の魔法を使わずに、こんなに強い炎が出せるなんて! 信じられません!」


 《……蓮さま》


「ん? どうしたチエちゃん」


 《ヴィクトリアさまに、火の魔法が使えるのか聞いて貰ってもいいですか?》



 チエちゃんの声のトーンがいつもと違う。何か考え事をしている時の声だ。俺はヴィクトリアに火の魔法が使えるのか聞いてみた。



「はい。調理ができる程度の火力ですが。でもこのガスコンロの火力の方が断然強いです!」


 《なるほど……》



 今思えば、チエちゃんはこの時から、事の異常性に気づいていた。ただ確証が得られないため、状況を観察していたのだ。


 次にヴィクトリアは冷蔵庫に興味を示した。扉を開けて中を覗いている。



「蓮さま、この箱はなんでしょう? 食材を入れるものでしょうか?」


「お、勘がいいな。それは冷蔵庫といって、食材を冷やして長く保存するための機械だよ」


「ええ~! そんな素敵なものが! ですが、冷えてませんよ」


「多分スイッチが入ってないんじゃないかな。えっと、スイッチはどこに……パチッ! いた!」



 冷蔵庫に触れた瞬間、また静電気のようなものが走った。



「もう! なんだよさっきから! 俺、そんなに乾燥してんのか?!」



 直後、冷蔵庫はブーンという作動音と共に冷気を出し始めた。



「あれ? 動き出した……なんでだろ……まあいっか」


「わあ! 冷たい空気がでましたよ! すごいすごい! これで食材を無駄にすることがないですね!」


「そうだな。とりあえず、今ある食材でも入れておくか。木の実やキノコだけだけど」


「はい!」


 《………………》



 俺たちは食材を冷蔵庫に移し、この日は休むことにした。




 ◇     ◇     ◇




 俺はなんだか疲れていたので、早めに寝ることにしたが、ヴィクトリアとばあちゃんとチエちゃんは、携行食をお茶うけに、遅くまで話していたようだ。


 あ、ちなみにチエちゃんとヴィクトリアは、最初、ばあちゃんを介して会話をしていた。どうやらチエちゃんは、この世界の事を聞いていたようだ。森を取り巻く街や集落、種族、国の成り立ちまで根掘り葉掘りと。


 その中でとりわけ興味を示したのは、やはり魔法やこの世界の力場のルールだった。ヴィクトリアはさほど魔法学に詳しくなく、初歩的な事しか教えられなかったらしい。だが幸いなことに、いくつかの魔導書を持っていたので、江藤書店に寄贈してくれた。


 その後の、チエちゃんのアップデートは凄まじく速かった。魔導書を本棚に収めた数分後には念話のシステムが完全に再構築された。


 この再構築で、管理人と店主は、チエちゃんの管理のもと念話をすることが出来るようになった。念話のチャットルームみたいな感じだ。


 ただ、この念話、便利は便利なのだが……ヴィクトリアが食堂に帰った後も、二人は念話で遊び始め――



(やっほー! 蓮ちゃん! 聞こえますか~! 私は今、一階から二階にいるあなたの心の中に直接語りかけています。寝ましたか? 起きていますか? 寝たふりしても無駄ですよ~。私には全てお見通しなのです。ふはは。ほらヴィクトリアちゃんも!)


(お、お見通しなのです……ふはは)



 こんな風に、離れていても騒がしい。困ったもんだ。


 ちなみに江藤書店の一階にはばあちゃん、二階には俺、食堂の二階にはヴィクトリアが寝泊まりしている。最初ばあちゃんは「三人で川の字になって寝ようや! 蓮ちゃん真ん中な」と言っていたが、それは俺の精神衛生上よくないのでお断りした。年頃の女性に挟まれ平静を保てるほど、俺は達観していない。



(こりゃ本当に蓮ちゃん寝とるようやね。ふぁ~あ……ねむうなってきた。そろそろ寝ようかね~、ヴィクトリアちゃん)


(はい。おやすみなさい。伊織さま)


(おやすぐうぅぅ……)



 ばあちゃん、寝るのはや。まあ、ここは俺も、このまま眠っていることにしよう。



(蓮さま……起きていますか?)


(……………………)


(寝てらっしゃいます、よね…………私、蓮さまや伊織さまに本当に感謝しています……私、生まれてからずっと奴隷として生きてきました。どうして私たち奴隷はこんな扱いを受けるんだろう。何かこんな罰を受けるような行いをしたんだろうか。この苦しみはずっと続くんだろうか。生きていても仕方ないんじゃないか……だったらいっその事……などと考える日も、少なくありませんでした……)



 ヴィクトリア……一瞬、何か声をかけようかと迷ったが……彼女の生きてきた壮絶な人生に、平凡に生きてきた俺なんかがかける言葉などない……俺は黙ったまま、静かに彼女の言葉に耳を傾けた。



(ですが、お二人が私を助けてくれた……お二人は命を救ってくれただけでなく、自由と名前を与えてくださいました。そして、今日はこんなに立派なお店まで……私、本当に幸せです……一生懸命働きます。お二人のお役に立てるよう、一生懸命働きます……)



 ……ちがう……ちがうんだ、ヴィクトリア……いいんだ、そんな風に思わなくて。君は……君の為に生きたらいい……俺たちの為に生きる必要なんてない……


 一階から「ぶぇえ~……ヴィクトリアちゃあ~ん……」と嗚咽が聞こえてきた。ばあちゃん、狸寝入りしてたのか。ちがう、狐寝入りか。



(私、頑張ります。どうかこれから、よろしくお願いします……蓮さま、伊織さま……チエさまも……おやすみなさい……)


《……  ……………………》




 ……ああ。おやすみ、ヴィクトリア。




 一階からは暫くの間、チーンと鼻水をかむ音と共に、嗚咽が聞こえていた。





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