005 最初の敵が強すぎる
――「でっかい木だな……え? これ、本当に木か?」――
森の木々は、天を突くようにそびえ立ち、幹の太さは巨塔のように圧倒的だ。頂上は遥か上空に隠れ、目が届かないほどの高さがある。これほどの巨木が育つには、何百年、何千年という時間が必要だろう。
商店街は森の中の開けた場所に位置していて、その周囲は密集した木々にすっぽりと囲まれている。
一歩、森に足を踏み入れると、まるで別世界に迷い込んだかのように空気が変わった。巨木に遮られ、直射日光はほとんど届かず、湿った空気が肌にまとわりつき、息が重くなる。
足元は木の根が複雑に絡み合い、少し進むのにも時間がかかる。慣れない森での探索に、息があがる。ばあちゃんはフォクシーエルフというだけあって、身のこなしは流石だ。それでも心なしか顔が紅潮し、軽く肩で息をしている……疲れているというより……なんだ? 落ち着きがないな……
しばらく進んだところで、俺はばあちゃんに声をかけた。
「はぁ、はぁ……この辺りでいいか……ばあちゃん……森林探索のスキル……たのむ……」
無意識に小声で話した自分の本能に驚いた。そうだ、もともと森は人の領域じゃない。古来より人は森を畏れ、むやみにその場を荒らしてはいけないのだ。
ここは用心深く……森に溶け込むように……静かに――
「……ふへへ……た、たんさーーーく!!!」
「おいーーー!!!」
ばあちゃんは、異世界で初めてのスキル発動でテンションがあがったのか、バカみたいな大声でスキルを発動した。ばあちゃんを中心に見えない空気の層のようなものが広がっていく。さっきからソワソワしていたので、様子がおかしいとは思っていたが……声が大きすぎる!
「……ばあちゃん! しー! しー! 声大きいよ! もし魔物とかいたら――」
「――蓮ちゃん……あれ……探索スキルに引っかかった……」
ばあちゃんが20メートルほど先の木を指さした。木の根元から、見慣れた耳が二本飛び出ていた。
「ウサギの……耳か?」
「多分そうやね……でも……あれは……」
ばあちゃんの顔が青ざめている。よく見るとウサギの耳ではあるが……サイズがおかしい。20メートル先のウサギの耳なんて、見えるか見えないかぐらいのものなのに、あの耳はかなり……でかい。その巨大な耳が、こちらの動きに合わせてピクリと動いている。
「ばあちゃん、あれは……」と声を掛けようとしたとき、その耳の持ち主が木の陰からぬっと姿を現した。
「な……なな、なんだあれは……嘘だろ……」
「蓮ちゃん……こりゃ……えらいこっちゃ……」
耳の持ち主は3メートルは優に超える巨体をもった、二足歩行のごりっごりマッチョウサギだった。ウサギの化け物はギラリとこちらを睨みつけた。赤く光るその目は、強烈な敵意を剥き出しにしている。手をかけた巨木に爪が深く食い込み、メキメキと折れる音が森中に響き渡った。
「ばあちゃん、あんなの、ウサギじゃないよ……」
「み、ミルコクロコップみたいや……」
「見る子黒コップ? え? なに? 何だか分からないけど……これは……」
ウサギの化け物は息を荒げ、肩で息をし始めた。完全に興奮状態だ。その直後、「ブモーーー!」とウサギとは思えない激しい雄たけびをあげた。周囲の木々はざわめき、一斉に森の動物たちがその場を離れた。
――ガサッ、ガサッ、ガサッ……ザッザッザッ……ダッダッダッ……バキバキ!!!
興奮状態のウサギは、まるで陸上のスプリンターの様に両手を激しく振り、こちらへ向かって走ってきた!!!
「に、逃げろーーー!!!」
俺とばあちゃんは来た道を全速力で駆け出した。しかし、木の根が大きくうねり、その上、表面に生えた苔で足が滑り、思うように進めない。後方から、バキバキと木を掻き分け迫る音が耳に届き、焦りが募る。やばい、相手はウサギだ! このままじゃ追いつかれる!
「ばあちゃん! 急げ!」
「は、はいよー!」
ばあちゃんは、まるで森の中を獣のようにすばやく、的確に足場を捉えて進んでいく。さすがフォクシーエルフ、ただの日本人の俺とは違う。
俺は何度も転び、朽ちた落ち葉が身体にまとわりつく。息があがってきた。普段は商工会の朝礼でラジオ体操をするくらいで、あまり運動をしていない俺には、これはかなりきつい。
まずい、追いつかれるか……俺は覚悟を決め、後ろを振り返った。
「……あれ? 距離が……意外と離れてる?」
ウサギの化け物はゆっくりとこちらへ向かってくる。が、その動きは何と言うか……
――ズルッ! ブモッ?! ズズン……
あ、こけた! なんだ? すごく鈍くさいぞ……あのウサギ……
そうか……ウサギは四足歩行で跳ねるから速いんだ。あんなに上半身が発達して、二足歩行になったもんだから、バランスが悪いんだ。
「……ばあちゃん、大丈夫だ。あいつ、俺たちについてこれない……」
ばあちゃんが見当たらない……え? もういっちゃった? は、はぐれた? まずいぞ……俺には森林探索のスキルがない……とにかく来た道を――
《蓮さま! 右を!》
チエちゃんの指示で右を向くと、別のウサギの化け物が、サッカーボール……いや、バランスボールほどの岩を手に大きく振りかぶっていた。一匹だけじゃなかったのか! え……嘘だろ……あんなでかい岩をそんなメジャーリーガーみたいなフォームで投げるのか?!
《前へ!!!》
――ブモゥ! ブンッ!!!
俺はチエちゃんの声に反射的に従い、前方へ跳んだ。
――キシューーッ……ゴオ!!! ドガンッ!!!
岩は甲高い音を立て、俺のすぐ後ろをかすめ左側の巨木に当たり砕け散った。巨木の幹がえぐれている。
あ、ぶねぇ……チエちゃんがいなかったら、間違いなく命はなかった……
「……やばいやばいやばい! 逃げろ逃げろ逃げろ!!!」
俺はとにかく必死でウサギたちから距離をとり、巨木の根の窪みに身を隠した。
「はぁはぁ! チエちゃん、ありがとう! まじで死ぬとこだった! あんなの喰らったら俺、粉々だったよ!」
《いえ、お役に立てて幸いです》
「うう……こえーよ! 異世界! チエちゃん、あのヤベーやつら、なに?!」
《見たところ、額に角があることから、アルミラージの一種と考えられますが、体が異常に発達しており、普通のアルミラージとは一線を画しています。本来アルミラージは素早く動いて相手を翻弄するタイプの魔物ですが、あれはすべてのステータスを力に振り切ったタイプなのでしょう。
鑑定スキルがないので正確には分かりませんが、今の蓮さまが平均以下の成人男性として、あのウサギの戦闘能力は恐らく……そうですね……バズーカーを持った関取、十両クラス3人分くらいです》
「何それ! こわ! 絶対勝てないじゃん」
《ええ。全ての能力が平均以下の蓮さまには、絶っっっ対に勝てません。逃げの一択です。さいわい素早さはほぼないので、あの魔物たちの戦闘範囲外に逃げるのはたやすいでしょう》
「平均以……わかりました。すぐ逃げます」
《あの投石だけには気を付けて》
◇ ◇ ◇
俺は一目散に商店街へ向かって逃げた。ようやく森の端へ出ると、稲荷神社の前で、ばあちゃんが肩で息をしていた。
「ぜーはーぜーはー……ばあちゃん……置いてくなよ……ひどいよ」
「はぁーはぁー……ごめん蓮ちゃん……ばあちゃん、ちょっと異世界なめとったわ」
いや、ばあちゃんだけじゃない。俺も異世界をなめていた。というより、異世界でなくても本来森は危険なんだ。舗装された道じゃないところを走るのがこんなに大変だなんて……ましてやあんな化け物がいる可能性を考えてなかった。何の準備もなく森に突っ込んだ俺たちがバカだった。
「これからは、もう少し慎重に行動しよう」
「そうやね。死ぬとこやったわ」
「しかし……全力で走ったから喉がカラカラだ……ばあちゃん、どこか近くに水源はあった?」
「あるにはあったばってん……あのミルコクロコップの向こう側やったねぇ」
「さすがにあそこに戻る気にはなれないな……まずいな……このままじゃ本当に命に係わるぞ」
《伊織さま》
「わふ! なんね! チエちゃんね」
《伊織さまはこちらの世界へきて、お稲荷様にお参りはされたでしょうか?》
「お参り? うんにゃ、まだしとらんけど……」
《伊織さまはお稲荷様の魂とすでに結びついておりますので、稲荷神の加護が付与されているはずです。ここは一度、生前の様にお参りされてはいかがでしょう?》
「そうばってん、今は飲み水を探す方が大事やけんねぇ……」
《この稲荷神社をこちらの世界で復興すれば、その問題も解決するかと。お社の付近をよくご覧ください》
ばあちゃんと俺はお稲荷様のお社をよく見てみた。鳥居に灯籠、お社があってその横に……あ! と、俺とばあちゃんは同時に言葉を発した。
「「
お社の傍らには、バケツ一杯ほどの小さな手水場があった。
《そうです。手水場は神社に欠かせないものですので、伊織さまが参拝し、この神社を復興すれば、おそらく手水場も……》
「チエちゃん、ナイス! ばあちゃん! お参り――」
「略式ながら心を込めてお祈り申し上げます!
ばあちゃんは俺が頼むより早く、生前毎日やっていたお参りを始めた。相当喉が渇いているんだろう。声がガラガラだ。そしてめちゃくちゃ早口だ。
「おえ~! はぁ!
なんて雑な
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