004 チエちゃん

 なんということでしょう。伊織ばあちゃんのお部屋は、間取りはそのままに、家具や生活用品がすっかり消え失せ、あの生活感溢れる空間が、こんなにも広々と……って! 一体どうなっているんだ、これは!



「蓮ちゃん! 大変ばい! 物取りにあってしもうた! えらいこっちゃあ!」


 《お答えします。この世界に持ち込めるのは、その店を象徴する物だけのようです。ここは書店ですので、書物関連のみ転送されました》


「ん~~~! 耳ぃ!」



 なるほど。そういうルールか……


 無くなっているのは……家具家電など、家財道具一式……


 逆に残っているのは……部屋に備え付けの設備、水道の蛇口やシンク、ガス栓など……要するに引っ越しする前の空き家みたいな感じか……あ、なぜかちゃぶ台だけは残ってる。


 ある試しに水道の蛇口をひねってみるが、水は出ない……電気は……



 ――パチッ!



「いた!」



 座敷の電灯の紐スイッチに触れたら静電気が走って、思わず声をあげてしまった。



 《どうされました?》


「いや、静電気が走っただけ」



 ――カチッ、カチッ…………チカッ……チカチカッ



 丸い蛍光灯がお馴染みの点灯音を出し、座敷を照らした。



「電気はきてるみたいだね」


 《そうですか……何でしょう……この感覚……とても懐かしい感じがします》


「……そうかもね。ばあちゃんちの電灯点けるの、子供の時以来だもんな」


 《ええ……》



 前の世界の記憶がある……魂……日本には万物に魂が宿るという考えがあるが、知恵の宝庫……彼女の存在はそういう事なのだろうか……



「なんでね~!!!」



 アレもないコレもないと、ばあちゃんがドタバタと家の中を走り回っている。


 書籍関連以外、本当に何にもないな……ちゃぶ台や電灯があるのは、書物を読むのに必要だから、ということか? しかし、まずいな……ばあちゃんの家があれば当面の食事は問題ないと思っていたが、早急に水と食料を確保しなければ。



「蓮ちゃん! 聞いとるとね?! こりゃ110番せな! お巡りさん呼ばな! ありゃ、電話もなか!」


「ばあちゃん、落ち着いて。あのね――」



 俺は、知恵の宝庫から受けた説明と、その存在をばあちゃんに伝えた。



「はえ~……そげなこつね……本しかこっちに来とらんとね」


「そうなんだ。残念だけど」


「そうねぇ~……それにしても、その『知恵の宝庫』さん? すごかねぇ。こりゃ私もご挨拶ばしとかな」



 ばあちゃんはそう言って、きょろきょろと宙を見回し、丁寧にあいさつし始めた。



「こっちかいな。あっちかいな。え~、知恵の宝庫さん、初めまして。私らこっちの世界に来たばかりで、右も左もわからん初心者転生人ですが、ど~ぞ、今後とも、よろしくお願いします……パン! パン!」



 柏手って……ばあちゃん、知恵の宝庫のこと、神様かなんかと思ってるんじゃないだろうか。



 《伊織さま、お久しぶりでございます。あなた様の眷属、知恵の宝庫にございます》


「ふぇ?! 何ねこれ?!」


 《伊織さまが私を認識してくださったので、ようやく直接お話しできるようになりました》


「いいい! あ……頭ん中に声が! 気色わる! なーんかさっきから耳の奥がビリビリすると思ったら、あんたやったとね! やめんね! 気色わる!」


「ばあちゃん?! ちょ、ちょっとひどくない?」


 《い、伊織さま……そんなご無体な……》


「いいい! せからしか!(うるさいです)」


「ば、ばあちゃん、可哀そうだよ。ばあちゃんの眷属らしいよ? ちょっと我慢して、聞いてあげなよ。ね?」


「ん~~~……蓮ちゃんがそう言うなら、しょうがなかたい……ちょっと我慢する……」



 ばあちゃんは狐耳を触りながら口をすぼめ仕方なく納得した。見た目が若く美人なもんだから、その仕草がとても可愛いらしい。が、中身は99歳のばあちゃんだ。



「なあ、知恵の宝庫。君の念話って、俺たち以外の人にも聴こえるのか?」


 《どうでしょうか……他に試す相手がいないので、確かめようがないのですが……私が江藤書店の恩恵である以上、店主の伊織さまと管理人の蓮さまのみ話せる、という推察が妥当かと思います》


「なるほどね」


《お二人が入店された時から、伊織さまのお耳もお借りしていましたが、どうも私の言葉を、その……痒みと認識されたらしく――》


「今も痒いばい」


「ばあちゃん!」


 《伊織さま、蓮さま、改めてご挨拶を。お久しぶりでございます。前の世界では大変お世話になりました》



 知恵の宝庫は、うやうやしくばあちゃんと俺に感謝の言葉を述べた。毎日ハタキでほこりを落としてくれたこと。俺とばあちゃんで定期的に虫干しをしてくれたこと。楽しく本を読んでくれたこと。そして最後まで、この場所を守ろうとしてくれたこと……


 無機質な声の響きとは対照的に、彼女の言葉には深い感謝の気持ちが込められている。その様子を察したのか、ばあちゃんは耳がむず痒いのを我慢している。



「……ちょっと慣れるまで時間がかかるかもしれんばってん……よろしくね、チエちゃん」


「チエちゃん?」


「知恵の宝庫やけん、チエちゃんたい……名前がなからな可哀そうやろ」



 はは、安直なネーミングセンス。昔からばあちゃんはそうだったな。



 《伊織さま……ありがとうございます。伊織さまに名付けて頂けるとは……では今から私、知恵の宝庫はチエと名乗らせて頂きます。伊織さま、蓮さま、生前同様、これからもどうぞよろしくお願い致します》


「はは! 生前同様って! まあ確かに、俺たち一度死んでるもんな」


「なかなか面白い子やねぇ。心強い孫がもう一人出来たごたる」


 《……まご……伊織さま……》



 こうして知識の宝庫は、ばあちゃんに『チエ』と名付けられた。心なしか彼女の声の響きが少し柔らかくなったような気がした。




 ◇     ◇     ◇




 さて、これからどうするかだが……せっかく知恵の宝、いや、チエちゃんが仲間になったんだ。彼女に相談してみるか。



「チエちゃん、俺たちめちゃくちゃお腹がすいてるんだけど、この辺りで食料を確保するにはどうしたらいいかな?」


 《商店街の食料店を開放という手もありますが、現在、店主になられる候補者がおりません。周囲の森から食料を調達するしかないでしょう》


「はぁ~、そら面倒やねぇ。勝手知ったる裏山とかならまだしも、異世界の森なんやろ?」


 《はい。ですが、どの文献……主にライトノベルですが、異世界の森というのは、自然豊かな美しい場所だと記されています。この『ツクシャナの森』にも、きっと自然の恵みが多くあるでしょう。また、伊織さまはフォクシーエルフですので、森というフィールドに適した種族だと思われます。いま一度ステータスを確かめてみてはいかがでしょう》



 ――ん? なんか今、さらっと重要な事をチエちゃんが言ったような……



「そうやね。ちょっと確かめてみよ……」


「え、ちょっと待って……ツク、シャナの森? チエちゃん、今、ツクシャナの森って言った?」


 《ええ。そうですが……なにか?》


「なんでそんな事、知ってるの?」


 《……なんで……? 何故…………》


「……契約や恩恵にしてもそうだけど、結構具体的に教えてくれたけど……江藤書店にそんな本があるってこと?」



 チエちゃんは暫くの沈黙ののち、口を開いた。口があるかどうか分からないけど。



 《…………いえ、検索しましたが、そのように言及されている書物はありません。ただ……どういう事でしょう……どうしてか、頭の中に浮かんできました》


「浮かんでくる?」


 《はい。まるで、初めからそこにあった知識のように……》


「……転生したときに、何か……混ざったとか? ばあちゃんも、転生したときに自分がエルフと稲荷様のハーフだって分かったって言ってたし……」


「そうやねぇ。そんな感じやったばい?」


 《そうですね……伊織さまのおっしゃる通り、私も発動したときにこの世界の情報を直感的に理解したのかもしれません……》



 ――直感的に……



「……俺はさ、転生したとき、何も感じなかったけど……何かが混ざったとか、自分が何者なのかとか、そういうの、一切なかったよ? 何も特別じゃない普通の……俺って感じ。逆に普通過ぎて、少し寂しいんですけど」


「ま、あんまり気にせんでもいいんやない? 転生っちゃ、魂のことやろ? 魂なんてもん理解しようとしても出来るようなもんじゃないばい」


「まあ……確かに……」


 《……魂……なるほど……魂ですか……》


「難しいことはよう分らんばってん……蓮ちゃんは蓮ちゃん。チエちゃんはチエちゃんたい」


 《我思う故に我あり……という事ですね? 伊織さま》


「はい? われ? なに? 蟻? なんて?」



 ――ぐうう……



「はうぅ……それより、ご飯ばい。えっと何やったかね? ステータスを確認するんやったかね?」


 《……ええ》


「ほんじゃいきますか……私って、なんなん?!」



 でた。ばあちゃんは目をぐぐっと中心に寄せ、自分探しの呪文を唱えた。見た目が美女なだけに、見てるこっちが心苦しくなる。これ、毎度やらなくてはならないのか?



「でた。なになに~」



 ――――――――――――――

 氏名:江藤伊織

 年齢:99

 種族:フォクシーエルフ

 職業:江藤書店店主・―――

 スキル:森林探索

 特記:

 ・恩恵:知恵の宝庫

 ・加護:―――

 ――――――――――――――



「お、蓮ちゃん、私、森林探索のスキルがあるばい」


「え? ほんと? さすがエルフ。森の守り人ってのは伊達じゃないね」


「ぐふふ~、このスキルで食料さがせば、食べるもんには困らんばい~」



「がーはっはっは」と二人で大笑いしたのち、俺たちはさっそく森の方へ探索に出かけた。


 この時、なぜ俺たちはこんなに楽観的だったのか……チエちゃんが仲間になったことで、少し気が大きくなっていたのかもしれない。


 ここは異世界……そう、異世界なのだ。異世界には、必ず魔物が存在する。俺たちはこの森で、初めての魔物と遭遇することになる。





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