006 神水と加護

 ばあちゃんが祝詞のりとを唱えると、稲荷神社はぼんやりと光り始めた。そのほのかな光はお社を中心に収束し、天に向けて一直線の筋となって雲を突き抜けた。


 色褪せていた鳥居や灯籠とうろう、お社は見る間に美しく蘇り、手水場ちょうずばからはきらきらと輝く水が溢れ出した――


 という、なんとも美しいイベントを横目に、俺とばあちゃんは「すごいねぇ」「綺麗だねぇ」などと言いながら、手水場から溢れる水を狂った犬のようにがぶ飲みした。


 ばあちゃんは「ぶは~~~! 生き返った~~~!」と、まるで猫が顔を洗うような仕草をみせた。あ、狐か。


 俺は「っっっか~~~! 美っ味いなぁ~~~!」と、ビールのCMのオファーでも来そうなくらい、美味そうに飲んでいたと思う。


 渇いた身体に水が染みわたる――


 こんなに水が美味しいと感じたのはいつ以来だろう。いや、この稲荷神社の水……本当においしいのだ。気のせいだろうか、心なしか身体の疲れも取れたような気がする。



 《いえ、気のせいなどではありません。実際、僅かながら体力が回復しています》


「え?」


 《この水は稲荷神のご利益がある神の水、神水じんすいであると推測されます》


「「神水じんすい?」」


 《ファンタジーによく出てくる……そうですね……回復薬のポーションみたいなものでしょうか》


「ありゃあ、そら凄かねえ! それやったら怪我してもすぐに治せるばい!」



 ばあちゃんは目を輝かせて水面を見つめた。確かにポーションの様に回復するのであれば、ものすごく心強い!



 《あ……いえ、ポーションほどの回復力はないとは思いますが……》


「な~んね。期待外れたい。紛らわしい言い方してからに」


 《す、すみません》


「ばあちゃん! そんな言い方せんよ!」


「あう……ごめんばい、チエちゃん」


 《いえ……私の方も、これからはもう少し情報を精査して提供いたします……》



 まだ、ばあちゃんとチエちゃんの関係は何となくぎこちない。でもチエちゃんが一生懸命、力になろうとしてくれているのは分かる。ここは俺がなんとかしないと……



「で、でもさ! 多少は回復効果があるんだろ? ど、どの程度の傷が治るのかなぁ?」


 《そうですね……コップ一杯で指のささくれが治る程度だと思われます》


「ささくれ……うーん、微妙やねぇ……」



 まだ、ばあちゃんの反応が悪い……最初に期待しすぎたのが悪かったか……



「ほ、他に何か効果はあるかな?」



 《そうですね……若干の解毒効果と……あとは歯槽膿漏が軽減されたり……》


「お! そりゃいいばい!」



 ばあちゃんが喰いついた!



「ば、ばあちゃん、前は全部入れ歯だったもんな! いいじゃない! 神水!」


「歯は芸能人の命たい」


「……なにそれ? ばあちゃん芸能人じゃないじゃん」


「みきひさたい。知らんね?」


「みき……分かんない。チエちゃん、これってさ、たくさん飲んだら効き目が強くなるのかな?」


 《どうでしょう。およそ2リットルで……そうですね……突き指が治る程度でしょうか》


「ん~~~2リットルで突き指かぁ」


「そりゃいかん。胃液が薄まる」


 《劇的な回復薬としてというより、毎日の健康維持には大いに役立つでしょう》


「まあ……それはそれで助かるかな」


「そうばい~、健康が一番たい! 芸能人は歯が命!」


 《それと、稲荷神社が復興したことにより……》



 ――ぐうう~



「蓮ちゃんも、お腹すいたみたいやねえ。お腹と♪ 背中が♪ くっつくぞ♪ってね。はよ食べもん探しにいこうやあ」


「ああ、そうだな……あのウサギが問題だけど、森で探すしか今のところ方法はないもんなぁ。ばあちゃん、もう一回森林探索のスキルで探れる?」


 《あの……》


「そうやね。もう一回やってみようかね……いくばい……はぁ~~~! 天知る地知る、私が全部しっとーと!(私が全て知っています)」


「……ばあちゃん?」


「樹海の守り人に不可視の影なし! 草木に潜むその姿を我の前に現せ! こんここーん!」



 ばあちゃんは美少女アニメの変身シーンのように、無駄に腕を大きく振り、無駄に体を回転させ、無駄に可愛く狐のきめポーズを決め、森林探索のスキルを使った。



「へは! やってみた!」



 ――ぐううう……



 無駄に動いたので、ばあちゃんのお腹がさらに激しく鳴った。



「こらいかん……いらん振り付けしたら、余計お腹が減ったばい」


「何やってんの。それより探索は? 出来たの?」


「もちろん。反応があったんは……」



 そういって、ばあちゃんは指で丸を作り、まるで本物の望遠鏡を覗くかのように、その輪の中から森をじっくりと見渡した。



「その手、意味あんの?」


「ん? なんかこうすると見たいものにズームできるばい。なんでか知らんけど」


「……適当だなぁ」



 とは言え……これも種族の直感みたいなものだろうか。鳥は教わらなくとも空を飛ぶし、蜘蛛は教わらなくとも巣を張る――



「で、あいつは?」


「こっちとあっちと……わちゃー……近場だけでも4、5匹おるばい。しっかり四方に陣取っとる」



 参ったな。1匹だけなら、位置を随時確認し、距離を保ちながら食材探しができるが……その数になると厳しい。


 それにあの投石はやっかいだ。あれを喰らえば一発アウトだろう。本当に困ったぞ……



 《伊織さま。よろしいでしょうか》


「ん? なんね?」


 《稲荷神社の復興について、お伝えそびれた事がございます》



 そういえば、チエちゃん、さっき何か言いかけてたな……俺もばあちゃんも、まだ通常の会話と念話を同時にやり取りするのに慣れてないもんな。



「どげんした?」


 《稲荷神社の復興についてです。手水場の神水は副次的な恩恵であり、一番のご利益は稲荷神の加護です》


「ほうほう。加護って恩恵と何が違うん?」


 《加護とは恩恵のさらに上位の力、神クラスの存在が行うものです。その力も、より大きなものとなります》


「なるほどねぇ。お稲荷様は商店街の守り神様やもんなぁ」


 《今一度ステータスを確認して頂いてよろしいですか?》


「あいよ! 分かった。私ってなんなん?!」



 はい、でた――


 寄り目の儀式。相変わらず哀しい絵面だ。と言いつつ、俺もばあちゃんのステータスを見たいのでやるしかない。俺とばあちゃんしかいないのが救いだ。こんな姿、人には見られたくない。



 ――――――――――――――

 氏名:江藤伊織

 年齢:99

 種族:フォクシーエルフ

 職業:江藤書店店主・大狸稲荷神社就き巫女

 スキル:森林探索

 特記:

 ・恩恵:知恵の宝庫

 ・加護:大狸稲荷神

 ――――――――――――――



「あ、職業と加護のところにお稲荷さんの名前がでとるよ?」


 《はい。前世と同様に、大狸稲荷神社の巫女に認定されております》


「巫女? え? 私、巫女なん? なんでぇ? 前世も?」


 《はい。稲荷神社をずっとお世話してきたのは伊織さまですから》


「はあ……そげんね……蓮ちゃん、私、巫女ちばい」


「うん。その恰好を見ればわかる」


 《巫女として稲荷神の加護が付与されているようです。どうぞご確認を》


「加護かぁ……じゃあ、ちょっと試してみようかね」


「試す? どうやって?」


「なんかよう分らんけど、お稲荷様にお願いすればいいっちゃない? え~、どげんしようかね……え~、うん!…………加護…………ちょ~だい! パン! パン!」


「なんじゃそりゃ! 雑過ぎるだろ! そんなんで上手くいくはず――」



 ばあちゃんが柏手を打った瞬間、お社とばあちゃんが共鳴し、輝く光の帯で結ばれた――これは……俺が死ぬ直前に見た光だ。


 その光の帯は輪を描きながら球体にまとまり、甲高い音をたて天へまっすぐに飛び上がった。



 ――キューーーン…………ドォーーーン…………



 空気を震わせ、打ち上げ花火のように、光の粒が大空に飛び散った。しかし光の粒は、打ち上げ花火のような球状の広がりとは違い、面の広がりを見せる。空には鮮やかな光の紋様が描かれ、どこまでも広がっていく……



 ――オオオーーーン…………



 光の紋様が大気の残響と共に消えていく……



 ――ズ……ズズンッ……



 直後、大きな地響きと共に地面が揺れた……しかしその揺れに対する驚きより、ある変化が俺の心を支配した……



「なんだ……? これ……」



 空気というか、気配というか……この異世界に来てから感じていた空気感……そういったものが、今までとガラリと変わった……何かとてつもなく大きな力が働いた……何か法則的なものを捻じ曲げるほどの大きな力……


 これは……ばあちゃんが適当にお願いしたから、本当にバチが当たったんじゃ……



「おい! ばあちゃん! やり直せ! これ、お稲荷様、めっちゃ怒ってるんじゃないのか?!」


「ええ?! なんでね?! ちゃんと加護ちょうだいってお願いしたやろうもん!」


「めっちゃいい加減な頼み方してただろうが! これ、絶対失敗だって!」


「どこが?! めっちゃいい感じやん! なんかすっごい力湧いてこんね? 感じん?」


「いや、湧いてこないよ! なんか……なんか変な感じしか! いいからやり直せ――」


《お待ちください!》


「「え?」」



 チエちゃんは混乱する俺たちを制し、少しの沈黙あと何かを悟ったように続けた。



《なるほど……これは凄い……どうやら加護の発動は……成功のようですね》


「ほらぁ! みてん! ちゃんと出来たやん!」



 ……なんてこった……あんな適当なお願いで上手くいってしまった……のか?





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