002 ばあちゃん、はっちゃける
森を吹き抜ける風に乗り、小鳥のさえずりや虫たちの羽音が聞こえる。
たんぽぽの綿毛のような生き物が空中をふわふわと漂っている。それぞれが色鮮やかに光り、幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「なんだ……ここ……」
目の前に広がる圧倒的な非現実が、ここが異世界であるという現実を突きつけた。
その風景の中心には、場違いに存在するシャッター商店街。そして、死んだはずの、ばあちゃんと俺。
おい……まじか。俺は……伊織ばあちゃんと一緒に、商店街まるごと、異世界に転生してしまった。
「なんかね~、さっき、蓮ちゃんの魂みたいなやつが、こう……もう一つの身体? みたいなやつが、ふわ~って。ふわ~って抜けていきよった。あれ、幽体離脱やろか?」
「たましい???」
「うん。でも、おさまったみたい。もう動いて大丈夫やろ」
「あ、ありがとう」
「よっこい……しょういち!っと」
伊織ばあちゃんは、昭和の古いギャグをかましながら立ち上がった。陽の光に輝く黄金の髪に、狐の耳がぴんと立っている。上は巫女装束、下は膝丈のスカートに編み上げブーツ。大きく伸びをすると、その動きに合わせて尻尾の毛が逆立った。
「伊織ばあちゃん……なんだよな?」
「そうばい~! 伊織ばあちゃんばい!」
なんという事でしょう。あのしおしおの伊織ばあちゃんが、こんなにも華やかな金髪狐っ子に変わってしまった。
「ねねね! 蓮ちゃん、みてみてん! ばあちゃん、尻尾もあるんばい! ほんなこつ(本当に)異世界転生さいこー! ひゃっほ~い!」
んん?! なんか……性格変わってないか? この人、本当にあの
「若いっていいわぁ~! もう肌なんかぷるぷる! ハリが! しばらく忘れとったよ、この感触! へはははぁ! 異世界さいこー! へはぁ~!」
ばあちゃんは新しい体をくまなく触り、その感触を何度も確かめ、喜びに震えている。これはまずい。何と言うか……少々セクシーが……すぎる!
「ちょ、ちょっと待ってばあちゃん! 一旦落ち着こう!」
「ふへははは! これが落ち着けるわけなかろうもん! 異世界転生よ異世界転生! 夢にまで見た!」
……は? 夢にまで?
「オタクや腐女子という言葉が生まれる前から! ありとあらゆるサブカルを読み漁ってきた私が、異世界にって……どんな激熱展開なん! ふへ! ふへへへへ!」
「な、なんてこった……」
裏返しのブックカバー……この瞬間、長年の疑惑が確信に変わった。ばあちゃんはやっぱり……激しくオタクだった!
「ばあちゃん、ちゃんと説明してくれ! 俺たち、一体どうなってるんだ?」
俺は、歓喜に震えるばあちゃんを制して、これまでの経緯を聞いた。
ばあちゃんは亡くなった時、俺のことが気がかりだったそうで、気が付くと、自分の魂がお稲荷様の社にあったそうだ。
そこへ俺がやってきたので、試しに声をかけたら、俺がのこのこと近づいてきた。そして運悪く灯籠が漏電していて、なんと俺は感電して、死んだそうだ……
嗚呼、こうして客観的に聞くと、なんて間抜けな死に方なんだ。
「そんでね、私、『蓮ちゃんを助けてください』って心の中で願ったら……私と蓮ちゃん、ここにおった。あと、なんか知らんけど、商店街もついてきた。へは!」
「いや! 笑い事じゃないだろう!」
「最初はびっくりしたばい~! 目が覚めたらキツネ耳ついとるし、ふっさふさの尻尾やろ? こんなん萌え萌えやんかぁ! しかも若返っとるし、体の軽かこと軽かこと! 長いことばあさんやっとったけん、若さというもんの素晴らしさに震えたばい! みてん! こん胸のハリ! 異世界さいこー!」
さすが、筋金入り、生粋のオタク女子だ。『もしも転生したら』の想像を繰り返していたのだろう。この急転直下の展開にも全く動じていない。
「ばあちゃん、もっと詳しい状況がしりたいんだ。俺、異世界とかそういうのよく分からないから。ばあちゃんって、その……そういうの詳しいん……じゃないか?」
「まーねー。生きとる時は、って今も生きとるけど、蓮ちゃんに内緒でそっち系の本ばっかり読んどったけんねぇ」
内緒……ごめん、何となく気づいてたよ。
「ばあちゃんはねぇ、お稲荷さんとエルフのハーフとして転生したみたいやねぇ」
「え……それ、なんでわかるの?」
「はい? 転生したときに何となくわかったばい? なんでか知らんばってん」
この世界の生き物は、自分の役割や特性を直感的に理解するらしい。ばあちゃんの種族は『フォクシーエルフ』。エルフとお稲荷様の力を受け継いだハーフだという。
「あれ? 蓮ちゃん、目覚めた時、なんも感じんやった?」
「いや、別になにも感じなかったけど……」
そうだ……俺は何も感じなかった……俺とばあちゃんの違いはなんだ?
「ふーん、そうね。あ! そうそう! もっと詳しく見る方法があるばい」
「どうするんだ?」
「えっとねぇ、自分の中を覗く感じ。こう目をね、ぐぐっと寄せてね……『私ってなんなん?!』って自分に問いかけんの」
「は? どうゆこと? 何言ってんの?」
「やけん! こんな感じ。はぁ~~~! 私ってなんなん?!」
おわぁ。ひどい絵面だ。ひどすぎる……狐っ子美女が目を寄り目にし、F県なまりの言葉で自分探しをしている――
何なんだ異世界って。俺の大切なばあちゃんに、こんなひどい仕打ちをするのか。
「はい、蓮ちゃんもやってみて」
「うぇ?! いや! 俺はいいよ、やんなくて」
「なん言いようと! やらんと何も分からんやろう! はい! やって! ほら! やらんね!」
「ちょ、ばあちゃん! 近い! ちょ、当たる! 近いって!」
スタイル抜群の美女が、俺の顔を両手ではさみ迫ってくる。これは……かなりきつい。俺はまだ、その、なんというか……経験がない。まっさらな白紙状態だ。そんな俺にこの状態は刺激が強すぎる。
ばあちゃんは「どげんした? 出来んの? じゃあ、ばあちゃんの目を見てん。目をそらさんとよ?」と、俺の目を見据え顔を寄せてくる。
これはまずい……このままでは、俺というものの
「わかったわかった! やるやる! やるよ! 自分でやるからちょっと離れて!」
「……ほほーん。もしかして蓮ちゃん……照れとん?」
「ち、違う! な、なんで俺がばあちゃんに照れるんだ!」
「だって~、自分でいうのもなんやけど……この姿、なかなかのもんばい~……ぐへは!」
そういってばあちゃんは、セクシーなポーズをとり、気持ち悪い笑みを浮かべた。
俺は「やめろ! 俺の知ってるばあちゃんはそんな事しない! 言わない! やめ、やめてくれ!」と少し泣きそうになってしまった。
「ああ~、ごめんごめん。ばあちゃんちょっと調子に乗りすぎた。泣かんばい蓮ちゃん」
「うう……ばあちゃん……はっちゃけすぎ……」
「ばあちゃん、異世界転生したどうしようか~とか、よう妄想しとったけん、大抵の状況にも動じんごとなっとるんよね~。しかも人生しっかり一周しとるし……強いよね! 戦前生まれ、なめんなよ! ってね」
ばあちゃんはグッと親指を立て、満面の笑みを浮かべている。
……この笑顔……間違いなく伊織ばあちゃんだ。
俺が友達と喧嘩して泣いていた時も、運動会で上手くいかず泣いていた時も、この太陽のような笑顔で励ましてくれた。
「なんだよそれ……へへ……ふう……異世界転生か……仕方ないな。やってみるか」
「そそ。何でも慣れやが。寄せて~寄せて~。やってみ~」
俺はばあちゃんの指示通り、自分を視るように意識し、ググっと右目と左目を寄せ、こう叫んだ!
「俺って~~~……なんなん!」
・
・
・
……………………何も……起こらない……俺は何をしているんだ……やってくれるぜ異世界。恥ずかしすぎるだろ、これ。
「ちょっとばあちゃん! どうすんのこれ?! 目が! もう目がきつい! 目の奥がつりそう! 頭の中がつる!」
「蓮ちゃん! 戻して戻して! 戻していいけん!」
「え?! 戻すの?! 目、戻していいの?!」
「そそ! 戻していいばい! 戻したらみえるけん! ゲームのやつみたいのが!」
「ゲ、ゲーム? わ、分かった!」
俺はつりそうになる目を戻した。目がつるってどういう状況だ。
寄り目で曖昧だった視界が徐々に戻る。
あれ? 文字が……みえる……信じられないが、本当にゲームの様に、俺の情報が文字となって空中に浮かんでいる。
「みえた?」
「ああ……みえた。これ、どうなってんの? なんで見るの???」
「詳しいことは知らん。でも大抵異世界モノでは、こういうステータスは見えるようになっとるばい」
「知らんって……適当だな……」
とはいえ……ステータス! これは……ワクワクするな……
どうしよう、選ばれし勇者とかだったら……世界を救ったりすんのかな……魔王倒しに行ったりしちゃうの?
……え~! ちょっとそれは困るなぁ~! 俺、どこにでもいる蓮くんですよ~? 名前ランキング上位常連ですよ~?
もしかして蓮くん……今日で平凡な人生卒業すんのかな?! ちょっとちょっと~! すんごいワクワクするんですけど!!!
……などと、俺は期待を込めてステータスを見た。
――――――――――――――
氏名:田中蓮
年齢:29
種族:日本人
職業:管理人
スキル:鍵
特記:―――
――――――――――――――
あれ? なんか……やけにスッキリしたステータスだな……
種族、日本……人? そのまんまじゃん……
職業、管理人って……あれ? ゆ、勇者は?
スキル、鍵……かぎ?
なんだこれ……せっかく異世界に転生したのに、全く異世界感がない……
これ……普通の人じゃん……やってくれるぜ……異世界。
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