第一章~生活基盤篇~

001 商店街、まるごと転生

 ――チーーン……



 りんの音が斎場に響き、読経が耳に染み渡る――


 参列者の静かな息遣いや、かすかに漏れるすすり泣き。それら全てが通夜という儀式を形作っていた。


 まだ少し肌寒い風が、窓から吹き込んでいる。その隙間から、一片ひとひらの桜の花びらが入ってきた。


 ひらひらと舞い落ちる花びらが、窓明かりに照らされている。


 まるで、雪のようだな――


 俺はぼんやりとした頭で思った。



「皆様、生前中は姉がお世話になり、ありがとうございました。姉もきっと喜んでいることと思います」



 大狸おおだぬき商店街、最後の砦、江藤書店の店主である伊織ばあちゃん、江藤伊織えとういおりさんが99歳で亡くなった。亡くなる直前まで店を開けていたその姿は、100歳間際とは思えない若々しさを保っていた。



「生前姉は、100歳まで生きると豪語していましたが……あと一年足りないところが、姉さんらしいというか……」



 喪主は、伊織ばあちゃんとは十以上歳の離れた妹の小梢こずえさん。伊織ばあちゃん同様、80代後半という年齢を感じさせない若さだ。毎日市民プールに通って泳いでるのがいいのだろうか……


 二人とも結婚せず、独身のまま生涯を過ごしてきた。その為、参列者は少数で、親しい人だけが静かに集まった。



「蓮くん、来てくれてありがとう。お店のこと以外でも、本当にようしてもらって」


「いえ、俺の方こそ、伊織ばあちゃんには小さいころからずっと可愛がってもらっていたので……」


「ごめんねぇ、お店……続けられんで。さすがにこの状況で私が継いでもね……」



 日本各地に点在するシャッター商店街。その一つが、F県の片田舎にある大狸商店街だ。かつては賑わいを誇っていたが、今ではその面影も失われた。沿線の廃線で最寄り駅は消え、住民の高齢化と後継者不足が重なり、ほぼすべての店舗がシャッターを下ろしてしまった。


 俺の名前は、田中蓮たなかれん。29歳。下の名前ランキング上位常連。そんな全国で数多くいるであろう蓮のうちの一人、俺、田中蓮は、この地区担当の商工会議所職員だ。ちなみに田中は、全国苗字ランキング第4位である。


 俺はここで生まれ育ち、東京の大学を卒業後、故郷に戻って商店街の再生に取り組んだ。だが、商工会もこの地区からの撤退を決定し、俺が最後の担当者となった。


 そして今日、俺の役目も終わる――


 商店街最後の店、江藤書店が閉店したからだ。


 俺は子供のころから江藤書店に入り浸り、奥の座敷で伊織ばあちゃんと一緒に本を読んでいた。ばあちゃんはいつも果物やお菓子をくれて、そのひと時が何よりも好きだった。


 俺は主に漫画や歴史小説を読んでいたが、ばあちゃんは本のカバーを裏返していて、何を読んでいたのかわからなかった。ただ、時折「……へは……」と楽しげに唇の端を上げるその姿が、今でも鮮明に思い出される。


 ん……? ちょっと待て……裏返しのカバーに、あのニヤリとした笑い顔……今思えば、ばあちゃんって……いや、変な邪推はよそう。ばあちゃんに失礼だ。



「ばあちゃん……俺……なんとかこの商店街を立て直そうとしたけど、結局、ダメだった……本当にごめんな。いつも『蓮ちゃんならできる』って言ってくれたのにな……でも、ばあちゃんがいてくれたおかげで、最後まで頑張れたよ。ありがとう。長い間、お疲れ様……」



 棺の中のばあちゃんは、笑っているように見えた。その穏やかな顔が涙で滲んでいく。俺の喉、いや、胸の奥から、今までに聞いたことのないような『音』が溢れ出ていた。人は失ったときに初めてその大切さを理解するというが、それは本当だと実感する瞬間だった。


 俺は、この血の繋がっていないばあちゃんのことが、本当に、本当に大好きだったのだ――



「蓮くん蓮くん、よかったら姉さんの遺品、どれか貰ってくれんやろか?」


「え? 僕がですか?」


「姉さん、蓮くんの事いつも電話口で褒めとったんよ~。本当に優しか子に育ったって」


「いや、そんな……でも、そうですね。僕なんかでよければ喜んで」


「よかった! なんがいいかねえ~」  



 小梢さんは、ばあちゃんのアクセサリー入れからどれを選ぼうかと考えている。そして、ひときわ大きな宝石がついた指輪を手に取り、俺に差し出した。  



「これなんかどげん? なんかいい感じやない? ギランギランして」


「ええ?! いえいえ! こんな高価そうなものはいただけません!」  


「そうね? 男ん子やけん、あんまり派手じゃない方がいいんやろか?」


「そ、そうですね。(いや、そういう事じゃない)」


「ん~もっと地味なやつね~……あら、これなんかどうやろか?」



 小梢さんは銀色のロケットペンダントを掲げ、満面の笑みを浮かべている。やはり姉妹だ。伊織ばあちゃんの笑い方に似ている。



「ロケット……ですか。綺麗ですね」



 銀細工のロケットには細かな模様が施されている。蓋を開けると、美しい女性が弓を構えている写真が収められていた。



「え?……小梢さん、この写真って……」


「ああ、これ、姉さんの若いころの写真たい」


「ええ?! 伊織ばあちゃん?!」


「弓道をやっとたんで、そん時のもんやね……戦時中の写真やろね。こん当時は学生も武道が推奨されとったけんねぇ」



 すらりとした目鼻立ちに、凛とした立ち姿。的を見つめる鋭い視線。しかしその瞳の奥には、俺が知っている伊織ばあちゃんの優しさが見えた。



「綺麗やろ~。姉さんかっこよか~! 若いころは、縁組の話がたくさん来とったとばい~。でも姉さん、ぜ~んぶ断ってからねぇ。もったいなか~」


「そうなんですか……」



 伊織ばあちゃん、なんで結婚しなかったんだろう? その辺りのことは、あまり話してくれなかったな。もしかして……何か理由があったのか? 今となっては、本人から聞くことも出来ない……



「うん! これがよかばい! 姉さんの写真も入っとるし! 蓮くん、孫みたいなもんやし!」


「孫……か…………ふふ……ですね! これ、頂いていいですか?」


「もちろん! 姉さんも喜ぶばい!」



 小梢さんは優しく微笑み、俺の首にペンダントを掛けてくれた。



「ふふ……本当にそっくりやねぇ……姉さんったら本当に……」


「え? そっくり?」


「んーん。なんでも! あ、本当にこっちのいらん? 高川質店に持ってったら、結構な額になるんやない? ぎらんぎらん!」


「い、いえ! 本当にこのロケットだけで結構です! ありがとうございます!」



 俺は伊織ばあちゃんの遺品のペンダントを胸に、式場を後にした。




 ◇     ◇     ◇




 雨が降り出していた……この時期の雨を花時雨はなしぐれと呼ぶそうだ。その名の通り、柔らかな雨が、桜の花びらを舞わせている……まるで伊織ばあちゃんを悼むかのように。


 俺は傘を差す気にもなれず、重い足取りで商店街へ向かった。


 灰色のシャッターが並ぶ道は、人っ子一人いない。まじか……まじでか……令和のこの時代に、こんなことがあるのか。 本当にすべての店が潰れてしまった。


 俺にもっと知恵と力があったら……いや……難しいとは思っていたけど……やっぱり後悔が残るな……みんな、ごめん……そしてお疲れ様。


 俺は一軒一軒、シャッターの前で頭を下げて回った。


 最後は……商店街の一番端の店、江藤書店だ。



「江藤書店、本当にありがとう。俺、この店と伊織ばあちゃんがいたから、とても――……とても……幸せだったよ……ありがとう。さようなら……」



 ――「れ………ちゃ……」――



 商店街を後にしようとした時、なにか小さな声が聞こえた気がした。振り返っても誰も見当たらない。気のせいだろうか……


 ふと、視線の端に灯りの点滅が映る。


 小さな赤い灯籠とうろう鳥居とりいが目に入った。商店街の入り口、江藤書店の脇に建立こんりゅうされた稲荷神社だ。


 そういえば、伊織ばあちゃんが毎日お参りしていたな。商売繁盛と縁結びの神様だったか……これが最後になるだろうけど、手を合わせておこう。



「お稲荷様、今まで大狸商店街を守って下さり、ありがとうございました」



 って、今声に出して気が付いたが、狐が狸を守ってたのか。ふふ、なんか変な話だな。



 ――バチッ! ジジッ!



 何かが弾けるような音がした瞬間、灯籠が激しく点滅し始めた。なんだ? よく見ると、灯籠の足元から劣化した配線が突き出していて、そのすぐ傍に水たまりができている。


 漏電……? あれ、これまずくね? 俺……びしょ濡れじゃん……やば……!



 ――バチバチッ!!!



 刹那、灯籠の足元から青白い火花が飛び散り、激しい電撃が俺の身体を貫いた!



「あべべべべ! やべべべべ!! し、しぬぬぬぬぬ!!!」



 間抜けな叫び声が、灰色のシャッター街に吸い込まれていく。



「だだだだ、ダレかたスけ…………ろうデ…………かか、火事…………ししし、しに、めーーーーす!」



 心臓がバクバクと鳴り、体中の汗が冷たく感じる。これは……本当に、死……ぬ……



 ――「れ……ちゃん!」――



 誰かの……声がする……誰でもいい……助けてくれ……



 死にたくない……



 そう願った瞬間、ペンダントとお稲荷様のお社から眩い光が放たれた。その光はまるで生き物のように螺旋を描きながら、俺に向かって迫ってきた。



 ――「蓮ちゃん!!!」――



 この声は……少し感じが違うが、間違うはずがない……



「ばあ……ちゃん?」



 光の筋はその強さを増し、俺の身体を包み込む。奇妙な感覚が足元から押し寄せてくる。


 あ、足が……消えていく? ええ?! 感電って、こんな感じで死ぬのか?


 まるで、小さな虫が這い上がってくるような……ゾワゾワとした感覚が次第に上へ広がり、俺の身体が無くなっていく。




 あ……消……え…………る…………




 ◇     ◇     ◇




 ――「れ……ちゃ……! 蓮ちゃん!」――



 暗闇の中、俺を呼ぶ声がする。


 誰だ……懐かしい声……ああ、ばあちゃんか…………俺、死んだんだ……



 ――「起きんね! 蓮ちゃん!」――



 頬に温かく柔らかい感触がある……なんだこの天国のような肌触りは。



 ――「ちょちょちょっと! なにしとるん!」――


「嗚呼……これが天国か。気持ちいいなぁ……ふふふ……まるで天使のおけつだ」


 ――「なんがおけつね! いいかげん起きんね!」 ゴン!!!――


「痛っって!!!……ん? 痛い? 死んでるのに?」



 瞳を開けると、目の前に金色の美しい髪をした女性が俺をのぞき込んでいた。彼女の膝枕の上で、俺は無意識にその太ももをしっかりと抱きしめ……その上ものすごく、さすっていた。



「あ、すいません……今すぐ……」


「だめ! まだ動かんで。なんかね、身体と魂がズレとるみたいやけん」


「え? なに? ズレ?」


「うん。蓮ちゃん……落ち着いて聞いてね。私たちね……異世界に転生したんよ! はうぅ!」


「は、はあ???」


「やけん! 異世界転生! しかもね、蓮ちゃんだけやなくて……」



 女性が指さした先には、森が広がっていた。そしてその木々の間に、なじみのある風景があった。この連なる灰色のシャッター群……大狸商店街だ。



「商店街が……森の中に……??? ど、どうなってるんだ???」


「あ、それとね。ごめん、蓮ちゃん。私があん時呼んだけん、蓮ちゃん……死んでしもうた。感電死……へへ」



 何を言ってるんだこの人は……というかよく見ると、この人、頭に狐のような耳が付いてる! というか……この顔……みたことある! 金髪狐耳になってるけどロケットの―― 



「い、伊織ばあちゃん?!」


「……へは!」



 この気持ち悪い笑い方……間違いない……伊織ばあちゃんだ。


 おい……おいおい、まじか。俺は……伊織ばあちゃんと一緒に、商店街まるごと、異世界に転生してしまった。





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