つま先の距離の攻防

大黒天半太

小さく前へ倣え

 その男はスーツ姿だが引き締まった体躯だとわかる青年で、ただ歩幅が大きく、歩調が早いだけのように自然に後方から接近し、先行する高齢男性を追い抜いて行くのかと思われた。


 速度を落とすか歩調を緩めて、前方の歩行者の挙動を見て左右に動くのかと思えば、そのままの速度で進み『小さく前に倣え』の距離まで詰めると、一瞬で動きが変わる。


 ウォーキング中のビジネスマンから、寸分の隙もない暗殺者アサシンへ。


 その瞬間、杖を付いた老人は気がつけば捕らわれ、うつ伏せに押さえつけられ、男の袖口から飛び出した短い刃が、首筋に潜る。


 誰の眼にもそう見えた。


 誰もの意識の外から、つま先がまっすぐ伸びる。

 眼にも止まらぬ速さの男の刃は、誰の眼にも止まらぬ内に根元から折れ、老人の首の内側ではなく、カラカラと音を立てて、路上を転がって行く。


「お前が『暗殺者殺しアサシン・キラー』、いや『つま先の距離の暗殺者ゼロ・ディスタンス・アサシン』か」

 その一瞬で、老人から離れた暗殺者アサシンが沈黙を破り、路上で呟く。


「『暗殺者殺しアサシン・キラー』とやらも、『つま先の距離の暗殺者ゼロ・ディスタンス・アサシン』とかも、聞いた覚えも心当たりも無いが、それは私のことかね?」


 悠長に受け答えする中年男に、暗殺者・長身の青年は、内心少し驚く。


 声のした方向と感じた気配の方向、実際に現れた中年男の場所が、全て異なっている。しかも、隙だらけの佇まいでありながら。数人に囲まれていたのか、何かの術でそれらを分散させたのか。


 老人の身辺警備は、二人や三人ではあるまいと踏んでいたが、仲間が潜んでいるのか、この中年男一人の仕業か判断がつかない。


 一見隙だらけのこの中年男の仕業とも思えないが、ならばたった今まで接近にも気付かなかった理由がわからなくなる。


暗殺者殺しアサシン・キラーか、その仲間かは知らないが、邪魔者イレギュラーには消えてもらう」


 スーツの男が、無言ではなくわざわざそう宣言したのも、反応を探る撒き餌に過ぎない。

 暗殺者殺しアサシン・キラーの配下がいれば(逆にこの男が囮役で、本物の暗殺者殺しアサシン・キラーが隠れていようと)、誘きだしてこの男とまとめて始末する。


 暗殺者アサシン同士が、この距離で戦うのも非常識なら、隠れている仲間がいれば利用するための動きが出るはずだ。

 この瞬間は、敵をこの男一人として行動する。


 青年暗殺者アサシンは、一挙に接近しそのままいつの間にか拳の間から突き出た長い針状の暗器を中年男の背中へまっすぐに刺す。

 針はそのまま男の中には潜らず、粉々に砕ける。


「『魔力障壁』!魔術師ソーサラーか?!」


 中年男はニヤリと笑い、跳び下がる青年暗殺者アサシンを追うように、つま先が伸びる。


 届かないはずのつま先で、暗殺者アサシンの胸骨は、衝撃で砕ける。

 つま先に集中させた『魔力障壁』を、そのまま飛ばしたのだ。


「初手から見せてしまったから、見破られていると思ったが、勘違いしてくれて助かったよ」


 最初から蹴りではなく、魔力障壁だったのか……。

 青年暗殺者アサシンは薄れて行く意識の中で、敗北を覚った。

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つま先の距離の攻防 大黒天半太 @count_otacken

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