第3話 死の星①
- 10年前 -
俺は暗い病室で目を覚ました。
【クリムゾン】という死の病に侵され、入院していたはずだった。
終末期となった俺は家族との面会も許されず、特別病棟の個室で最後の瞬間を待つだけになっていた。
家族の声も顔も、記憶の中でぼんやりと霞んでいた。この病棟に移されてからというもの、人の気配さえ感じられない日々が続いていた。
あまりの苦しさに耐えきれず、痛み止めを打ってもらったのが最後の記憶だ。
なぜ目を覚ましたのだろうか……。
きっとあのまま死ぬはずだったのに。
不思議な事に痛みはなくなっていて、頭もスッキリしている。
薄暗い部屋は、見覚えのある病室のはずなのに、どこか異質な雰囲気を漂わせていた。窓からは一切光が差し込まず、時間の感覚さえ曖昧になる。
一体何が起きているのだろうか。
異変は自分の体だけではない。
まるで世界そのものが壊れてしまったかのように、静寂と闇が病院全体を包み込んでいる気がした。
部屋は真っ暗で、廊下からも光が差してこないということは、院内が停電しているのだろうか。
暗いだけでなく、音も聞こえない。
耳を澄ますたびに、聞き慣れない不気味な音が闇の向こうから微かに響いてくる。動物の遠吠えなのか、それとももっと別の何か……。
これは……ただごとではない。
必死に耳を澄ましていると、どこからともなくすすり泣くような声が聞こえた。
他の部屋の患者さんだろうか……。
俺は体を動かしてみた。
動く!
恐る恐るベッドから降りてみると、なんと自力で歩けるようになっていた。
床に足をつけた瞬間、身体に宿る不思議な力を感じた。筋肉が再び活力を取り戻したように、まるで病気そのものが嘘だったかのように思えるほどだった。
そんなバカな! 指一本動かすことさえ困難だったはずなのに。
暗闇にも少しずつ目が慣れてきたので、這うように移動し、明かりのスイッチを押してみた。
駄目だ……やはり点灯しない。
病院が停電だなんて、そんなことがあるのだろうか。
廊下に出てみると、予想通り……非常灯さえ消えている。
どうしたものかを考えていると、あのすすり泣く声がまた聞こえてきた。
隣の個室だろうか。
壁伝いに隣の個室まで行ってみると、やはりこの部屋に誰かいるようだ。
「ぐすっぐすっ……お母さん、お父さん、お兄ちゃん……誰か助けて……」
子ども……女の子だろうか。
俺は、部屋をノックしてみた。
ノックの音が静寂の中に響き渡り、妙に大きく聞こえる。返事がなければどうしようか、と一瞬手が止まりそうになったが、意を決してもう一度叩いた。
「俺は隣の個室に入院していたアダムといいます。さっき目覚めたばかりでこの状況が分かりません。何か知っていたら教えてほしい」
「生きている人がいた! 私はベラ。少し前に目が覚めてずっとこの状態なの! 私を助けてくれるの?」
「そのつもりだよ。ドアを開けていいかい?」
「どうぞ」
ドアを開けると、ベッドに女の子が座っている……ように見える。
暗いだけではなく、俺の視力も問題だった。眼鏡がないと、周囲の状況はほとんど把握できない。
「失礼します」
俺は部屋に入ると、女の子から少し離れたところに座り込んだ。
この距離でも十分会話はできるし、パニックを起こされたら大変だ。
「お兄さんも 【クリムゾン】で入院しているの?」
「うん。俺は……もう死を待つだけの状態でずっと眠っていたはずだったんだ。それなのに目が覚めたら辺りはこんな状況だし、なぜか歩けるくらいまで回復しているんだ。ベラ、君はどうだい、歩けるかな?」
「試してみるね……あ、体が動く。なんてことなの! 信じられない」
ベラがベッドから降りようとしているような音が聞こえてきた。
「無理しないで、ゆっくり降りてみて」
「私、自力で立てるようになってる! 一体どういうことなの?」
やはり、ベラも自力で歩けるようになっている。
彼女が一歩ずつ足を踏み出すたびに、その驚きと喜びが伝わってくるようだった。奇跡という言葉では片付けられない何かが起きている。
これは俺たちの体にも異変が起きているのは間違いがない。だとすれば、このままじっとしているわけにはいかない。
「ベラ、俺は病院内を探索してみようと思う。病院なら非常電源もあるだろうし、非常食だってどこかに備蓄されているはずだからね。君はどうする? 俺と一緒に行くかい?」
「私も……一緒に連れて行ってください」
「もちろんだよ。あ、そうだ……俺は視力が良くなくて、眼鏡がないと何も見えない上にこの暗闇だからね。ベラは視力どう?」
彼女に案内を頼むしかない状況に、少しばかり情けなさを覚えた。普段なら軽口でごまかすところだが、この異常な事態では冗談さえ虚しく感じる。
「私はまだ子どもだから、そこまで悪くなってはいません。あ、そうだ! もしかして……」
ベラは何かに気付いたようにベッドの横にある引き出しをあさり始めた。
「何か大事な物でもあるの?」
「えっと……あ、あった!」
ベラの手には小さなキーホルダーらしきものが握られている。
そのボタンを押すと、わずかな光が点灯する仕組みになっているようだ。
そのわずかな光が、ベラを照らす。
キーホルダーから放たれる淡い光が、彼女の顔をぼんやりと浮かび上がらせた。震えているのか、その表情は判然としない。
眼鏡がないので顔はよく分からないが、彼女はおそらく10歳前後だろうか……。
こんな小さい子が孤独と戦っていたなんて……。
「お! いいね。これなら、少しは状況を把握できるかもしれない。きっとどこかに懐中電灯もあるだろうから、これで探しながら行こう」
「じゃあ、お兄さん! 行こう」
ベラは元気よくそう言うと、俺の手をギュッと握ってきた。
子どもとはいえ、女の子に手を握られ、照れてしまいそうになるが……今はそれどころじゃない。
こんな状況ではぐれたら大変だもんな。
「ねえ、お兄さんはおいくつなの?」
「22歳だよ。そういえば、さっきから『お兄さん』って呼んでくるけど、君にもお兄さんがいるの?」
「うん。私の兄さんも同じ22歳。私は12歳だから、10も離れているんだけど、とっても優しくてイケメンなの」
「そっか、俺とどっちがイケメン?」
ベラは立ち止まると、キーホルダーの明かりを俺に向けた。
「私の兄さんかな……」
「え~。ひどい……」
「あはは、ウソウソ。お兄さんの方が少しだけカッコイイよ。10年後にお兄さんが独身だったら、私がお嫁さんになってあげてもいいくらいだよ」
「マジか! 本気にしちゃうぞ~」
「あはは、お巡りさん、この人ですう」
俺とベラはこんな感じでくだらない話をしながら探索を続けた。
暗闇の病院なんて、こんな話でもしなけりゃ、怖くてしかたないからね。
ナースステーションを調べていると、引き出しから懐中電灯とエナジーバーを見つけることができた。
俺たちはエナジーバーをかじりながら、懐中電灯の明かりを頼りに、ナースステーションの探索を続けた。
「きゃあ!」
ベラが悲鳴を上げ、俺にしがみついてきた。
足元に目をやると、そこにはナースの無残な死体が横たわっていた。
冷たい床の上に横たわる白衣の女性。その顔には苦悶の表情が浮かび、青白く冷えた肌が暗闇の中で不気味に浮かび上がっていた。
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