第10章 「A級保証の私だから」

 夕暮れの光がビルの谷間を染める頃、加賀美玲奈(かがみ れな)は会社を定時で上がり、そわそわした様子でスマホを見つめていた。あれから数日が経ち、彼女は大きな決断を下していた。オンラインゲームの世界で見事A級ランクを獲得し、一つの大きな目標を成し遂げた今、現実でも踏み出すべき一歩を踏み出そうとしている。

 これまで抱えてきた問題――同僚・杉野翔平(すぎの しょうへい)への返事はすでに済ませた。彼も新しい部署へ移動することが決まり、仕事に打ち込む決意を固めたらしい。男としての未練は残ったかもしれないが、玲奈をしつこく追いかけることはやめて、新しい夢に向かって進む道を選んでくれた。


 そしてもう一人、向坂颯太(さきさか そうた)の元恋人である工藤千尋(くどう ちひろ)も、しばらく揉めた末に颯太とは完全に別れる形となった。大学時代からの長い付き合いを清算するのは辛い決断だったが、彼女もまた遠方にキャリアを求めて赴任していくことを選び、「もう振り返らない」と言い残して地元を離れた。

 颯太は彼女への罪悪感と共に、すれ違いばかりの恋を終わらせることで自分の未来を改めて見つめ直すチャンスを得た。


 (あの夏祭りの夜、そして学園イベントの終盤……いろんなことが重なって、私たちも散々翻弄された。でも、もう大丈夫。私も、あの人も――)


 駅前のロータリーで待ち合わせをしていると、目の前に見慣れた男性の姿が映った。向坂颯太。その人だ。高校時代の幼なじみであり、つい最近まではB級テイストの“王子”であるソウ・クレイサーの正体を隠していた張本人だ。彼との間には長い年月の空白と、数か月のすれ違いがあったが、ようやく互いに踏み出そうと決めたのだ。


 「お待たせ。……仕事、早めに切り上げてきたんだって?」

 「うん、今日は残業なし。そっちこそ大丈夫か?」

 「うん、こっちもバタバタだけど、今日は定時で上がれたよ」


 そんな何気ない会話を交わしながら、二人は並んで歩き出した。待ち合わせのカフェを探そうとしたが、「もう少し遠くまで散歩しない?」という玲奈の提案に、颯太は笑顔で頷く。まだ夏の熱気が微かに残る夕暮れ、二人は繁華街を離れ、川沿いの遊歩道へ向かった。ここは高校時代にもよく通学路で歩いた思い出の場所だ。


 歩きながら、颯太はひとつ深呼吸をして口を開く。

 「……玲奈。いろいろ待たせて悪かった。千尋ともきちんと別れを話し合えて、荷物やなんかも整理できた。向こうも新しい職場に落ち着くって言ってたよ」

 「そっか……大変だったね。千尋さんも辛い決断だったろうし、颯太も気まずかったよね」

 「まあ、正直なところ、大学時代を思い出すと何とも言えない気持ちになるけど……でも、もう過去には戻れない。オレの気持ちも完全に変わったし、向こうも自分の道を見つけたみたいだ」


 玲奈は「そっか……」とだけ言って、少し下を向く。決して他人事ではない。自分も杉野との関係を清算した今、互いにフリーの状態だ。この道を選んだのは、結局のところ颯太への気持ちが捨てきれなかったからだと言ってもいい。


 「だから、オレもきちんと前を向きたい。……それで、玲奈に伝えたいことがある」

 そう言って立ち止まり、彼女を正面から見つめる。川沿いの夕陽が、二人の影を長く伸ばしている。


 「高校の頃、オレはお前に何も伝えられずに卒業してしまった。大学行っても、その後就職しても、お前のことが頭の片隅にあった。……だけど千尋と付き合って、そのまま流されてしまったんだ。自分の優柔不断で、みんなを傷つけた」

 「……うん」


 玲奈は瞳を伏せながら、それを受け止める。いつかそうなるかもしれないと感じていた言葉を、今まさに聞いている。彼女自身も「好き」という気持ちをちゃんと告げられないまま、時間だけが過ぎた過去が痛いほど胸を刺す。


 「でも、今はもう過去に戻れないし、やり直すこともできない。……だから、これから先は後悔しないように、自分の本音を言いたい」


 緊張で指先が震えているのが分かる。玲奈は息を詰め、颯太を見つめ返した。彼は“王子”としてのB級台詞も照れ隠しも一切捨てて、ごく普通の青年の姿でこう続ける。


 「オレは、玲奈が好きだ。……たぶん、高校のときからずっと好きだったんだと思う。幼なじみだから気軽に話せるし、何かあったら頼れる存在。だけどその分、告白する勇気が出なかった」

 「……私も、同じだよ。ずっと言えなかった。でも、ずっと好きだった。大学で離れても、どこかで颯太のことばかり考えてた」


 声が震える。二人のあいだには、遠回りし続けてきた分の想いがあり、それを断ち切った先にある大切な時間が今やっと訪れようとしている。


 「……だから、オレと付き合ってほしい。王子だろうがB級だろうが、もう関係ない。現実で玲奈と一緒にいたいんだ」


 玲奈は頬を赤らめながら頷き、言葉を絞り出す。

 「うん……私も、これからは一緒にいたい。オンラインゲームも現実も、全部ひっくるめて。王子でもいいし、普通の向坂颯太でもいい。私は、それが嬉しいから……」


 次の瞬間、二人は微かに笑い合って抱きしめ合った。通りかかった人々が「おやまあ」と苦笑するが、当人たちはまるで耳に入らない。こうして長いすれ違いと遠回りの末に、ようやく正式に交際が始まる。まるで学園イベントの大団円を迎えた後の、まだ続きがあるエンドロールのように。


 「……ありがとう。今度こそ、後悔しない」

 「私も……。ずっとあなたのB級台詞を笑ってあげるから、安心して言いたい放題やってね」


 「はは、やめろよ。もうB級台詞は勘弁してくれ……」と照れくさそうに笑う颯太。けれど、王子キャラがなかったらここまで盛り上がることはなかったかもしれないと二人とも思っている。


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## ■ 新たな道へ進む杉野と千尋


 一方、二人のライバルたち――杉野翔平と工藤千尋も、それぞれ新たな道を歩み始めていた。

 杉野は会社内で別のプロジェクトに配属され、海外案件のサポート業務を担当するという。最初は「加賀美さんが振り向いてくれないなら、会社を辞めてやる!」などと荒れていた時期もあったが、結局は「自分のキャリアを作るほうが大切だ」と再認識し、休暇を返上してでも勉強に打ち込んでいる。

 玲奈が最後に話をしたとき、彼は爽やかな笑顔で「ありがとう。はっきり言ってくれたおかげで目が覚めたよ」と告げた。未練をきっぱり捨てたわけではないだろうが、もう以前のように迫ってくることはない。仕事仲間としての関係を続けていくことになりそうだ。


 千尋は地元から遠く離れた支社に異動が決まり、海外出張も頻繁に行くようなハードな職場へ移ると聞いた。颯太との別れ話があれほど長引いたのは、彼女自身も大学時代の思い出を捨てきれない気持ちがあったからだろう。それでも、価値観が変化した今、ふたたび彼にすがることはないと決めたのだ。

 彼女は「私もいろいろあったけど、キャリアを積む人生を選ぶよ。もうそこに恋愛の入り込む隙間はないかもね」という言葉を最後に、二度と連絡を寄こさなくなった。多忙らしいが、SNSの写真を見る限り、元気にやっているようで何よりだ。


 こうして、四人がそれぞれの岐路に立ち、決断を下したことで、かつての恋の修羅場は今や静かに幕を閉じた。その代わりに生まれたのが、玲奈と颯太の“正式な交際”という未来だった。


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## ■ 数年後、結婚式と二度目のA級ランク


 ――それから数年後。ある教会の白いチャペルで、鮮やかな花々に囲まれた結婚式が執り行われていた。

 新婦はウェディングドレス姿の加賀美玲奈、新郎はタキシード姿の向坂颯太。周囲には、親族や友人だけでなく、オンラインゲーム仲間たちも勢揃いしている。かつてB級王子として名を馳せた“ソウ・クレイサー”の正体が、颯太であることを知った仲間たちは「やっぱりリアルでも姫をゲットしたのかよ!」と盛大に冷やかしつつ、心から祝福を送ってくれている。


 あの学園イベントで共闘したメンバー――“パプリカ”や“サーモン”などのギルド仲間も多数駆けつけ、式場の隅で和気あいあいと語り合っている。現実世界で顔を合わせるのは初めての人も多いが、「あのとき王子についていったよね」と打ち解けるのに時間はかからない。


 たとえば、“学園合唱祭”でソプラノ役を務めたフレンドは「まだB級台詞言ってるの?」と颯太をからかい、颯太は苦笑混じりに「もうさすがに卒業だってば」と弁解する。かつて“演劇ステージ”で“王子と姫”の芝居をした二人が現実で夫婦になるのだから、ゲーム仲間たちにとってもこれ以上ないサプライズだ。


 披露宴は和やかに進み、かつての修羅場の当事者たち――杉野や千尋の姿はないが、遠くからメールやSNSを通じて「おめでとう」とメッセージが届いている。杉野は海外出張先で重要な会議があり来られなかったし、千尋は「まさか参列できるわけないでしょ」と断ってきたものの、短い祝福の言葉と共に近況報告を送ってきたという。

 「私は私で忙しくしてるから、あんたたちも幸せにね」という千尋なりの決別とお祝いなのだろう。


 披露宴のスピーチでは、玲奈の同僚や高校時代の友人が次々とマイクを持ち、“幼なじみ同士がまさかの結婚”という展開を面白おかしくネタにする。笑いと感動が入り混じる中、颯太のほうも懐かしい仲間と握手しながら涙ぐんでいた。人前で涙を流すなんて高校時代では想像できなかったが、今はそれほど素直な性格に変わったのかもしれない。


 やがて、式も終盤に差し掛かり、新郎新婦による挨拶の時間となる。司会者から「それではお二人で皆様にご挨拶を……」と促され、颯太と玲奈が花束を持って壇上に立つ。スポットライトが二人を照らす中、玲奈は少し緊張しつつマイクを握った。


 「本日は、お忙しい中、私たちの結婚式にお越しいただき、本当にありがとうございます。……私たちは幼なじみであり、遠回りもたくさんしました。でも、B級なことをたくさん経験してきたからこそ、こうして今A級の幸せを掴めたんだと思います」


 会場からは「おおー」という小さな笑いが起きる。本人は少しふざけた言い回しをしたつもりだが、周囲のネトゲ仲間は「またA級ネタか!」と密かに盛り上がっている。


 「この先、何があってもお互いに助け合っていきたい。ゲームでもリアルでも、私たちはきっと“A級”でいられると信じています。……最後に、一言だけ」


 そこで、玲奈が微笑んで、客席のほうをまっすぐ見つめる。その瞳には、数年前までの迷いが嘘のような、はっきりとした決意が宿っていた。


 「**A級保証の私だから**」


 そうつぶやくと、会場中が一瞬静まり返り、やがて大きな拍手と歓声に包まれる。ネトゲ仲間はもちろん、このフレーズを知らない人も「何それ?」という顔をしつつも、なぜか笑顔になる。きっと玲奈が何か重大な思いを込めて言ったことが伝わったのだろう。

 隣でマイクを持つ颯太も、少し照れくさそうに「やられた……」と小声で漏らしながら、同じ言葉をなぞる。

 「オレも……A級保証のオレだからな。これからは一緒に、リアルでもゲームでも、A級カップルでいさせてもらうよ」


 再び笑いと拍手が沸き起こる。王子と姫が学園イベントを卒業し、現実でもA級ランクに昇格した――そんな印象を与えるフィナーレだ。二人は互いの手を取り合い、一斉にフラワーシャワーが舞うなか、満面の笑みを浮かべる。

 かつてはB級と呼ばれ、失敗も遠回りも経験した。だが、その道のりこそが二人にとって最高のストーリーになったのだろう。


---


## ■ エピローグ(結末)


 こうして物語は幕を閉じる。玲奈と颯太は、ゲームでもリアルでもA級ランクに到達し、互いの気持ちを再確認して正式に結ばれた。周囲のライバルたち――杉野と千尋はそれぞれ新たな道を選び、過去の恋にピリオドを打っている。誰もが少しだけ痛みを伴いながらも、前へ進む道を見つけたのだ。


 披露宴のあと、二次会に顔を出した一部のネトゲ仲間は「実はまだ続編イベントが企画されてるらしいよ」「学園に新しいダンジョンが追加されるって噂」とゲームの話題で盛り上がる。颯太と玲奈も「もうB級は卒業したんだから……」と苦笑しながら、「でも、次も楽しそうなら参加しちゃうかもね」と言い合う。

 リアルとゲームの境界を行ったり来たりしながら、その両方でA級を保つ――そんな日常が、これから二人を待ち受けている。


 かつて学園イベント合唱祭で歌ったように、演劇ステージで愛を宣言したように、そしてクイーン・オーバーロードを倒してA級ランクに上がったように。辛いことも楽しいことも共有しながら、一歩ずつ未来へ進んでいくのだろう。


 最後に、玲奈の声が聞こえる。

 「……ほんと、B級だと思ってた私が、まさかA級をもらえるなんて。そうだよね、王子――違う、颯太」


 彼女の中で、ゲームのキャラクター“レナ・クライン”も、現実の“加賀美玲奈”も、もう区別なく一つに溶け合っているのかもしれない。かつての王子と姫は今も笑い合いながら、こう言って人生を謳歌する。


 「**A級保証の私だから**」


 ――そして、物語はここで完結する。

 B級台詞で彩られた学園イベントと、それを投影するような現実のすれ違いがひとつの区切りを迎え、二人の愛が結実した今、すべての登場人物がそれぞれのステージへ旅立っていく。

 オンラインゲームはエンディングを迎えたわけではないが、少なくとも玲奈と颯太にとっては最高のエンディングに違いない。いつでもログインすれば、思い出の学園へ帰れる。だけどもう、あの頃のように不安や迷いは抱えていない。


 大勢の仲間たちから祝福され、リアルでもゲームでも、今の二人は正真正銘の“A級”だ。B級保証を笑い合っていたあの頃からは想像できないほど眩しい未来が開けている。きっと、これからの人生でも笑いと涙があるだろうが、二人は間違いなく乗り越えていくだろう――“A級保証”された強さと信頼で、手と手を取り合って。

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