第6章 「B級告白とリアルの混乱」
翌週末の深夜、加賀美玲奈(かがみ れな)は仕事の雑務を片づけた後、時計を見てため息をついた。まだ日付が変わっていないが、明日も朝から用事がある――そんなときに限って、どうしてもオンラインゲームのことが頭から離れない。
最近はなかなかログインのタイミングが合わず、B級王子ことソウ・クレイサーの姿を見かけていない。現実での悩みが山積みで、このまま布団に入っても眠れなさそうな気がする。だったら少しでもゲームをして気を紛らわそう――そんな思いに駆られて、玲奈はパソコンの電源を入れた。
## ■ 学園イベント:合唱祭と演劇
「ユニゾン・オブ・ファンタジア」にログインすると、いつもの学園エリアに新しい案内NPCが配置されているのに気がついた。ウィンドウには**「学園合唱祭&演劇ステージ開催中!」**という派手な文字が躍っている。
(へえ、またイベント来てるんだ。合唱祭と演劇……どっちも“ペア組”要素があるって噂になってたな)
玲奈が学園の中央ホールに移動すると、そこには学生服風の衣装を着たNPCやプレイヤーが集まり、ステージの上で練習をしている様子が見える。BGMも普段より賑やかで、確かに“お祭り”感が漂っている。
画面の右下にはクエストリストが表示されており、**「ペア組をしてステージをクリアせよ! 報酬:限定ボイス・限定スキン」**と書かれている。カップル用と言わんばかりの企画だが、ゲームとしては誰とでもペアを組めばよい仕組みらしい。
(ちょっと気になるけど……王子はいないのかな)
そう思い、チャット欄を眺めていると、複数のプレイヤーが「ソウはまだログインしてない?」「王子と合唱ステージやりたいんだけど~」と囁いているのが目に止まる。やはり、あのB級王子はここでも人気者らしい。
それから数分ほど、玲奈は様子を伺いながら周囲を散策していたが、当のソウの姿は見当たらない。仕方なくフラフラとステージに近づき、NPCのスタッフらしきキャラに話しかける。すると、案内メッセージが表示される。
**「合唱祭ステージの参加にはペア登録が必要です。ペアを組んだ二人で息を合わせ、正しいリズムに合わせて演奏せよ! 演劇ステージでは劇中での台詞回しも重要です!」**
なんともB級映画のような大袈裟な煽り文句だ。ロールプレイ的に楽しみたい人にはうってつけかもしれないが、玲奈のように控えめな性格だと少し気恥ずかしさを感じる。
そんなことを考えていると、個人チャットが飛んできた。画面を開くと、差出人はギルド仲間の**パプリカ**。
『レナちゃん! 合唱祭、もうやってる? 一緒にやらない?』
普段から仲良くしているフレンドだが、彼女とはよくレイドで組む程度で、こうした“学園イベ”でペアを組んだことはなかった。無難に行くなら、この誘いに乗ってしまうのが手っ取り早いかもしれない。
『ありがとう。でも、ちょっとだけ待ってほしいかも……実は王子が来てたら一緒にやろうかなって思ってて』
我ながら正直に答えたが、パプリカからは「そっかそっか~、じゃあ王子とやりたいんだね! 了解~」と軽口が返ってきた。こういう打ち解けた雰囲気の仲間がいると助かるが、同時に“王子とやりたい”と言った自分が妙に恥ずかしくもなる。
(待ってても来なかったら意味ないし、どうしようかな……)
そう迷っていると、チャット欄が一斉にざわつき始めた。**「王子きた!!」「B級きましたー!」**と書き込むプレイヤーがいて、学園の出入口付近に人が集まり始める。
(やっぱり、王子人気あるなあ……)
思わず苦笑しながら見に行くと、そこにはお馴染みの金髪アバター、“ソウ・クレイサー”がログインしたばかりの様子で立っていた。周囲が一斉に「待ってたよー!」とか「B級台詞披露お願いします!」と囃し立てても、ソウは「まあ待て、落ち着け諸君。今夜は学園合唱祭だとか?」などと口上を始める。
玲奈は遠巻きに見ていたが、思い切って個人チャットを飛ばしてみる。
『こんばんは、王子。合唱祭のペア、もしまだ決まってなかったら一緒にやりませんか?』
すると、ほんの数秒で返事が来る。
『レナか! おお、ちょうどよかった。学園イベに遅れをとるわけにはいかんが、相方がいないのは少々困っていたところだ。ぜひ頼むぞ!』
相変わらず大仰な口調だが、なんだか嬉しそうにも見える。玲奈は思わず胸が弾み、パーティを申請する。周囲には王子を狙うプレイヤーも多そうだが、一足先に声をかけることができてホッとした。
こうして二人は合唱祭のステージへと移動し、NPCスタッフに話しかけてクエストを受注する。流れとしては、舞台上で“学園ソング”を歌い上げ、それに応じて会場のNPCから評価されるという仕組みらしい。とはいえ、実際に音声を出すわけではなく、ゲーム上ではリズムに合わせたコマンド入力になる。
「いやはや、合唱とはな。B級王子は派手な剣舞のほうが得意だが、まあ、歌も悪くないか」
ソウがキザに言い放つ。その一方で、プレイヤー操作的には画面下に流れる音楽ゲージに合わせてタイミング良くキーを叩けばよいだけだ。
「よし、始めるか。レナ、失敗は許さんぞ。なんせ、オレは王子だからな!」
(うわあ、またB級……でもちょっと面白い)
### ◆ 合唱祭ステージ:B級自己陶酔
いよいよステージに立つと、プレイヤー視点で画面奥にはNPCの観客が大勢待ち構えている。BGMが始まり、ポップアップに表示されるコマンドに合わせてキー入力をしていく。左、右、上、下、スペース……リズムゲーに近い体裁で、成功するたびにコンボ数が伸び、観客の盛り上がりが増していく。
ソウは画面の中で派手なエモーションを繰り出し、事あるごとに**「オレの歌に酔いしれろ!」「姫君、お前も魂を振り絞れ!」**とチャットで煽ってくる。玲奈もノリに乗って「はいはい、頑張ります」と打ち返し、なんとかコマンドをミスらないように集中する。
途中でミスをしてしまうとコンボが途切れ、NPCたちから「ブーイング」が飛んで評価点が下がるので、油断は禁物だ。だが、ソウのテンションにつられて楽しさが増していくのも事実。ゲーム内での合唱は、現実のように恥ずかしさが少なく、純粋なリズムゲーとしてアドレナリンが高まる。
最終パートを無事に乗り切ると、ステージ上に華やかなエフェクトが散りばめられ、NPCの代表が**「ブラボー! 見事な合唱でした!」**と叫ぶ。結果発表の画面には**「SSランク達成」**の文字が躍り、玲奈も思わずガッツポーズをしたくなるほどの充実感があった。
「やった、完璧じゃないですか!」
「フッ、当然だろう。なにせオレは王子、そしてお前は……そう、レナ、なかなかにいい声をしていたぞ」
(ボイスチャットしてるわけでもないのに、何言ってるんだか……)と思いつつ、玲奈は心のどこかで悪い気はしない。“王子と姫”という設定を気軽に楽しめるのは、やはりこのB級世界の醍醐味だ。
さらに続けて、「演劇ステージ」が開放されたという案内が来る。これもペア組必須のクエストで、劇中で提示される台詞選択に応じてストーリーが変化する仕組みらしい。セリフ回しを間違えると観客(NPC)から酷評されるという力の入った仕様。
「劇中でオレが王子役、レナがお姫様役……まさにうってつけじゃないか!」
ソウが堂々と言い放つが、そもそも彼はいつも王子キャラなので、改めて“役”を演じるまでもない。結果的に最初から最後までB級全開の演技で進めることになりそうだ。
### ◆ 演劇ステージ:B級告白の嵐
ステージに移動すると、画面には**「学園演劇『王子と姫の大冒険』」**というタイトルが表示される。まるで子ども向け演劇のようだが、ゲーム内では意外にガチの演出が入っている。シナリオ的には、“姫を守る王子が悪の魔女を倒し、最後に愛を誓う”という王道の筋書きらしい。
NPCのスタッフが大量に台詞リストを提示してくるのだが、ソウは**「読む必要などない! B級ならB級なりにアドリブでいく!」**と息巻いている。制作者の意図を無視しそうだが、まあゲームだし自由にやっても問題ないだろう。
舞台が始まると、ソウ(王子役)が堂々とステージ中央に立ち、次々と台詞を放つ。
「聞け、民たちよ! このオレこそが、真の王子――ソウ・クレイサーだ!」
観客NPCから「おおー!」という歓声が上がる。直後、レナ(姫役)が登場するシーンでは、選択肢が数種類表示される。たとえば「王子様、助けてください!」と甘える台詞や、「王子なんていらないわ!」とツンデレするパターンもある。
(どれを選んでもB級っぽいな……)
悩んだ末、玲奈は比較的無難な「王子様、助けてください!」を選択する。するとソウは待ってましたとばかりに反応する。
「ハッハッハ、任せろ、姫君! お前をこの剣で守り抜くと、オレは決めているのだからな!」
このように、演劇の各場面で複数の台詞が提示され、選んだ内容に応じてストーリー分岐が発生する。中にはふざけた選択肢もあり、観客からブーイングされることもあるらしい。ソウは積極的にB級ノリの選択肢を選んでいくので、レナはちょっと焦りつつもついていくしかない。
クライマックス手前の場面――魔女NPCとの対決シーンでは、王子と姫が協力して“合体技”を繰り出す選択肢があり、タイミングよく入力すると追加ボーナスが得られる。二人は見事それを成功させ、ステージ上に派手な雷撃エフェクトが走り、悪の魔女が「ぎゃああ!」と断末魔を上げて消滅。観客が一気に沸き立つ。
そして、最後に待っていたのは、劇中の大団円であり、**“王子の告白”**シーン。専用の演出が入り、画面には台詞のテンプレートが表示される。
例えば、「愛している、姫よ」「お前はオレのすべてだ」など、BLゲームか少女漫画かと言わんばかりの甘いセリフが並んでいるが、ソウはそれらを一切選ばず、自分のオリジナル台詞をチャットに打ち込み始めた。
「姫君、いや……レナよ。お前を、オレの本当の“姫”にしてやる。好きだ、オレに仕えろ!」
観客NPCが一斉に「おお~!」と盛り上がり、ゲーム画面には華やかな花吹雪のエフェクト。バカバカしいほどの大袈裟な演出だが、レナはなぜか心臓がバクバクしてしまう。もちろん、これは“劇中のセリフ”としての演出にすぎない。分かっているのに、どこかリアルなときめきを感じてしまう自分がいる。
(ちょっと……冗談だって分かってるのに、何でこんなにドキドキするの?)
システム上、演劇が終了すると、観客の評価に応じてランクが付与される。二人がB級全開でやりきった結果、見事「Sランク」を獲得。その画面には**「迫真の演技! 王子と姫は幸せな結末を迎えました!」**というバカバカしいほどの誉め言葉が並んでいた。チャット欄でも他のプレイヤーたちが「B級すぎて笑ったw」「王子、面白すぎ」と盛り上がっている。
玲奈は照れ隠しに「お疲れさまでした」とだけ打ち込み、ステージを降りた。なんだか顔が熱いような気がする。現実には声を出していないのに、演劇内でのやり取りが妙にリアルに感じてしまったのだ。
すると、ソウから個人チャットが飛んでくる。
『フフン、なかなかいいコンビだったろう? オレたちのB級告白劇は最高だったな』
『そうですね……いろいろ恥ずかしいセリフもありましたけど』
『姫に仕えろってのはオレのアドリブだが、悪くなかっただろう?』
その自信満々な様子に、玲奈は苦笑を浮かべつつ、心の揺れを抑えきれない。あくまで“劇中のセリフ”であり“B級ノリ”なのは理解している。でも、そこに少しだけ“本気”が混じっている可能性はないのだろうか――そんなあり得ない期待を抱く自分が、正直、怖い。
## ■ 現実パート:思い出されるB級告白
ゲームを終えて布団に入ったあとも、玲奈の頭にはソウのあのセリフ――「お前を姫にしてやる」「好きだ、オレに仕えろ」――がこびりついて離れない。本気で言っているわけではないと分かりきっているのに、どうにも胸が騒ぐ。
(こんなにときめいてどうするの……相手の顔すら知らないのに)
もしかしたら、王子(ソウ)の中の人は想像もつかないような人物かもしれない。大人で落ち着いた人なのか、逆に若くてノリのいい大学生か――いずれにせよ、自分とは無関係の世界で生きる誰かだ。ゲーム内限定で戯れる分には問題ないが、これ以上深入りしてもいいのかと不安もよぎる。
さらにやっかいなのは、現実における自分自身の恋愛事情が混乱を極めていることだ。颯太(さきさか そうた)はまだ千尋(くどう ちひろ)とのゴタゴタを整理しきれていないし、会社の同僚・杉野翔平(すぎの しょうへい)はここ最近さらに積極的に“好意”を示してくるようになった。
「まさか、ネットゲームの王子のほうに揺れてしまうなんて、おかしいよね……」
枕に顔を埋めながら自嘲する。どちらかと言えば玲奈は現実重視の人間で、ゲームはあくまで息抜きだと割り切ってきたはずだ。それなのに、あんなB級台詞で心を揺さぶられている自分が理解不能でもある。
翌朝、仕事へ向かう電車の中でも、玲奈はつい昨夜のイベントを思い出し、顔が熱くなるのを感じた。周囲の乗客にはもちろん知られようがないが、王子とのやり取りが頭を占拠して離れない。もう少し冷静にならなければと自分に言い聞かせるが、思考は空回りするばかりだ。
### ◆ 杉野からの迫り
会社に到着し、デスクに座ってメールをチェックしていると、隣の席の杉野が「おはよう」と声をかけてきた。
「加賀美さん、最近忙しそうだけど、体調は大丈夫? ちょっと顔色悪いように見えるけど……」
「うーん……大丈夫ですよ。ちょっと寝不足なだけで」
実際に寝不足なのは事実だが、それはゲームに熱中しすぎた結果でもあるとは言いにくい。ましてや“B級告白”を思い出して胸がドキドキして眠れなかった、などとは口が裂けても言えない。
杉野は心配そうに目を細め、「やっぱり夜更かししてるんじゃないの?」と詰問するような雰囲気すらある。玲奈が苦笑いを浮かべていると、彼は意を決したように言葉を続けた。
「……あのさ、もういい加減、はっきりしてくれないかな。俺、ずっと加賀美さんにアプローチしてるつもりなんだけど、なんかはぐらかされてる気がして……」
(きた……)
玲奈は心臓がギュッと締めつけられる。杉野が好意を持っているのは十分知っているが、はっきり断る勇気がなかったのも事実。一方で、頷く気持ちにもなれず、どうすればいいのか答えを出せないまま現在に至っている。
「私、その……今はいろいろあって……」
「いろいろって何? ずっと待ってるつもりだったけど、もうこれ以上は耐えられないんだよ。はっきり言って、俺と付き合う気があるのかないのか、それを知りたい」
まるで仕事上の交渉のように強い調子で迫られ、玲奈は言葉を失う。曖昧にしておけばそのうち諦めるかもしれない、というのは甘い考えだったのだろう。杉野も相当苦しんでいるのかもしれないが、今の玲奈には彼に向き合う余裕はない。
「ごめんなさい……正直、今すぐ答えられないです。私自身、気持ちが整理できてなくて……」
そう搾り出すのが精いっぱいだった。杉野は明らかに落胆した表情を見せ、何か言いたそうにするが、結局「わかった。もう少し待つけど、あまり時間かけすぎないで」と言い残し、席へ戻っていった。周囲の同僚たちが怪訝そうにこちらを見ていたが、まさか二人の個人的なやり取りとは思わないだろう。
(やばい、こんなにちゃんと迫られたのは初めてかも……)
胸がズキズキする。そもそも、颯太とのことだって結論が出ていない。千尋との決着はどうなったのか。先日は夏祭りでの出来事もあって、完全に宙ぶらりんだ。こんな状態で杉野に誠実に答えられるはずがない。
頭が混乱しながらも、仕事をしなければならない。結局、残業に追われるうちに、杉野との会話の続きをする時間もなく、一日が終わっていった。
### ◆ 千尋からの連絡
同じ頃、向坂颯太のもとには、またしても千尋からの連絡が入っていた。彼女とは事実上別れる方向で話を進めているが、具体的にいつ“手続き”を取るか、双方の意見がまとまらないらしい。
「そうた、私も納得できないまま終わらせたくないの。もう少し会って話す機会を作って……」
電話越しにそう言われると、断るわけにもいかない。そもそも遠距離になったのは彼女の仕事の都合もあり、今はたまにしか地元に戻れないのだ。次に顔を合わせられるのはいつなのか――そう考えると、一瞬にして嫌な予感がする。
(これ以上ズルズル続けてたら、玲奈にだって悪いだろうし……でも、千尋も中途半端に放置するわけにはいかない)
心の中で苦悶しながら、ひとまず「わかった。来月あたり、タイミングが合ったら会おう」と答えてしまう。電話を切った後は、まるで重い荷物を背負わされたような気分だ。
“王子”としてゲームで熱く振る舞っている影では、現実がこんなにも泥沼だとは、誰が想像できるだろうか。颯太は最近、ゲームにログインする意欲が下がり気味だったが、数日前の合唱祭・演劇イベントにだけは意を決して顔を出した。実はあれだって、少し迷った末の決断だ。ログインしないままではいられない、何かエネルギーが欲しい――そんな思いがあったのかもしれない。
結果として、B級告白を決め込んだのは“演技”ではあるが、王子という仮面を通じて、自分の閉塞感を吹き飛ばしたかったのだろう。オンラインで“姫”を演じるレナと掛け合っているときだけは、千尋のことや玲奈との未確定な関係を忘れられる。
しかし電話を終えると、また暗い現実に引き戻される。千尋がゴネているわけではないが、別れに納得していないのは明らかだ。冷静に話し合う場を設けないまま、言葉のやり取りだけで解決しようというのは無理がある。
「……もう少し、ちゃんと行動しないとだめだな」
深夜、スマホを握ったまま独り言をつぶやき、パソコンの電源を入れる。ログインすればまたB級世界でバカをやれるが、それは現実逃避に過ぎないのではないか――そう思うと手が止まる。でも、わずかな安らぎが欲しい。あのB級告白を再現するようなノリを繰り返して、ほんの一瞬だけでもスカッとしたい。
そんな葛藤の果てに、結局この日はログインボタンを押さず、ぱたんとPCを閉じた。今夜はどうにも眠れそうにないが、ゲームで得られるカタルシスは偽物だと自分でわかっているからこそ、踏み切れない。
## ■ ゲームと現実のあいだで
数日後。玲奈は定時で仕事を終え、ダッシュで帰宅した。最近は杉野の目が気になって仕方なく、無用な会話を避けるようにしている。彼が「もういい加減答えを」と迫ってきた日から、微妙な緊張がずっと続いていた。
家に帰り、夕食を済ませて風呂に入ると、少し気が楽になる。ソファに腰を下ろし、明日のやることを頭の中で整理しつつも、気づけばパソコンへ手が伸びてしまう。
(……ネットゲームするくらいしか、気晴らしがないんだよね)
ため息をつきながらログインすると、学園の合唱祭・演劇ステージはまだ続いているようだ。そういえば、フレンドのパプリカが「Sランク取ると限定コスチュームが貰える」と言っていたが、あのとき王子(ソウ)と協力して既に達成している。報酬を受け取っていないなら、先に確認しよう。
画面をいじって報酬一覧を開くと、そこで**「姫服スキン」**なるものが手に入るらしい。試しに着替えてみると、フリルのついた可愛らしいドレスで、いかにも“B級お姫様”という雰囲気を醸し出す。
(なんだか王子の隣に立つための服みたい……馬鹿みたい……)
笑いつつも、ちょっと試してみたくなってしまうのが人情だ。どうせゲームだし、誰に見られても恥ずかしくはない……はず。
渡り廊下をウロウロしていると、周りのプレイヤーから「そのスキン可愛いね」と声をかけられ、少し嬉しくなる。やはりゲームの中でのファッションは、現実とは違う解放感がある。
すると、個人チャットのポップアップが出る。差出人は**ソウ・クレイサー**。久々のコンタクトに胸が高鳴る。
『おお、レナよ。姫服を手に入れたようだな? 着てみたか?』
(なんで知ってるんだ……)と思いながらも、適当に「はい、ちょっと気になって試着しました」と返す。するとすかさず返事が来る。
『今いるか? よかったら見せてくれ。どうせならオレも王子衣装で合わせたいものだな』
相変わらずのB級スタンスに、玲奈は少し笑ってしまう。現実で悩み続けている自分をほんの少しだけ解放して、王子とのB級ロールプレイに浸りたくなる衝動が湧いてきた。
『いいですよ。じゃあ学園ホールの脇あたりで待ち合わせましょうか』
待ち合わせ場所に行くと、既に王子の姿があった。金髪の派手な王子衣装が一際目を引くが、相変わらず周囲のプレイヤーに囲まれている。彼が「今日は姫とデートだ!」と冗談めかして宣言しているため、みんなが「リア充乙!」「B級カップルw」と騒いでいた。
(デート……ね。まったくもってゲーム上のノリだよね)
でも、そのB級ノリに乗せられると、不思議と笑顔になれる。レナが姫服で現れると、ソウは大げさなエモーションを使いながら「可憐なる姫よ、今宵はオレが独り占めしてやろう!」などと言い放ち、周りを沸かせる。半分は冷やかしだが、その場の空気が賑わうのは悪くない。
その後、二人でささやかなクエストを回りながら雑談する。ソウは以前に比べると少し落ち着かない様子で、「リアルが忙しくて、あまりインできなかった」と漏らしていた。そこでレナが「大変なんですか?」と尋ねると、彼は妙に真面目な口調で返す。
「まあ、いろいろな……雑事がな。ちょっと面倒くさい話があってな」
「そうなんですね。私も似たような感じですよ。仕事やプライベートでごたついてて……」
「はは、こういうときはB級に限るさ。深く考えずに笑い飛ばしたいじゃないか!」
彼はいつもの王子キャラに戻って元気よく宣言するが、その背後には何か隠しているような気配を玲奈は感じ取る。もし同じように悩みを抱えているのだとしたら――少し親近感を抱き、胸の奥があたたかくなる。
そうこうするうちに時間は深夜へ差し掛かる。寝不足になる前にログアウトしようと考え、最後にソウへ別れの挨拶をしようとしたとき、彼からとんでもないセリフが飛んできた。
「姫よ、行くな。オレはお前のことが好きだ。さっきの演劇ステージだけじゃ物足りない。もっと一緒にいてくれ……オレに仕えろ!」
突然の“B級告白”に、周囲のプレイヤーがざわめく。もちろん冗談の一環だろうが、レナ(玲奈)は思わず絶句する。ほんの数秒、動けなくなってしまった。
「ちょ、王子、急に何を言ってるんですか……」
「急でもないさ。オレは最初から思っていた。お前には姫の素質があるとな。合唱祭や演劇で、お前となら最高の舞台を作れる。……それはゲームの話だけじゃなくて、人生も同じだ!」
(人生? いや、ゲーム内の設定だよね、これ……)
あまりにもB級すぎて、翻弄される。周囲からは「うわ、また始まった」「これはガチなの?」「煽りすぎww」という声が飛ぶ。ソウはまるで気にする様子もなく、粘り強く“愛の宣言”を続けている。
「どうだ、姫よ。オレとこの学園を制覇し、そしてこの先も……共にあらんことを!」
ここまで言われると、半分冗談だと思いつつも、玲奈の心臓は破裂しそうになっていた。ゲーム内でバーチャルな告白をされるなんて初めてだ。正直、後ろめたい気持ちもあるが、少なからず嬉しさを感じる部分もある。
「……わ、わけわかんないです。ゲームの中だけの設定でしょ?」
あえて軽く流すように返すと、ソウは一瞬黙ったあと、ニヤリと笑うエモーションを使った。
「ゲームの中だけ……それも悪くないが、オレはそれ以上を望んでいるかもしれない。まあ、いずれ分かるさ!」
そう言って、あっさり話を打ち切るように手を振る。B級映画のヒーローよろしく、最後だけ格好をつけてログアウトしてしまった。
(な、なにそれ……)
取り残されたレナは困惑を隠せないまま。周囲の冷やかしチャットが飛ぶが、一言も返す気になれず、同じくログアウトする。
## ■ 戸惑いと混迷
パソコンの電源を落とした玲奈は、しばらく椅子に座ったまま呆然としていた。B級だと分かっていても、ああも堂々と告白めいたことを言われると、どう受け止めればいいのか分からなくなる。ましてや昨夜の演劇ステージでの告白シーンが頭から離れず、心臓がドキドキしていたところに、追い打ちをかけられた形だ。
「ゲームの中だけって思ってたけど……あんなこと言われたら、変に期待しちゃうよ……」
誰かに聞かれるはずもないのに、小声でつぶやいてしまう。王子の正体などまるで知らないが、もしも“ただの演技”ではないのだとしたら? その一縷の可能性が妙に引っかかる。
そして、そんなタイミングで思い出すのが、現実での問題だ。杉野に迫られているし、颯太との関係もまだ宙ぶらりん。千尋の存在が決着しない限り、颯太も動きようがないだろう。そんな中で、“ゲーム上の誰か”に心を乱されるなんて、おかしな話ではないか。
「あー、もう、本当にどうしたらいいの……」
ベッドに倒れ込んで目を閉じるが、脳内は大混乱だ。ハイテンションなB級告白の余韻が、疲れた心にやけに強く残り、何が本当に望んでいることなのかが分からなくなってくる。
翌朝、寝不足のまま起き上がり、顔を洗って鏡を覗くと、自分の目が赤くなっているのに気がつく。仕事へ行く準備をしながら「もうちょっとしっかりしなきゃ」と呟くが、頭の芯はぼんやりしたままだ。
出勤すると、杉野が待ち構えるように話しかけてきた。彼の顔には焦りが滲んでおり、昨日まで以上に切迫した様子が見て取れる。
「加賀美さん、少し時間いいかな。例の件、何か進展あった? もしかして、他に好きな人でも……」
あからさまに“好きな人”の存在を疑っている。しかし、彼に対して「ゲーム内の王子に少しときめいてます」などと口が裂けても言えない。
「そ、そういうのじゃないんです。まだ答えられなくて……ごめんなさい」
しかたなくそう答えると、杉野は険しい表情で黙り込む。周囲の同僚がいるオフィス空間でこれ以上話を続けるわけにもいかず、彼は唇を噛んで席へ戻った。玲奈も後ろめたい感情に苛まれながら、ひたすらパソコンに向かう。
### ◆ 颯太と千尋のこじれ
一方、向坂颯太も別の場所で苦しんでいた。千尋とは別れる方向で話がまとまりつつあるが、彼女が「納得がいかない」と言うばかりで、何度も連絡をしてくる。感情的ではないが、じわじわと追及されるような形で話が長引いている。
「向坂くん、どうするの? 私が何とか時間を作ってそっち行ったら、ちゃんと会ってくれるのよね?」
電話越しの千尋の声が冷静なのが、逆に怖い。彼女はもう怒りを通り越し、割り切った話し方をしているのかもしれない。
「……ああ、もちろん。来月あたり時間を調整する。そこで改めて話そう」
「わかった。じゃあそれまでに、きちんとあなたの気持ちを固めておいて」
一方的に電話が切れたあと、颯太はスマホを持ったまま机に突っ伏す。自分の気持ちは固まっているといっても、現実には未練が残るのかもしれない。彼女と過ごした数年間は決して短くないし、完全に冷めているわけでもない。
(でも、このままじゃ玲奈にも失礼だし……そもそもオレは、どうしたいんだ?)
現実の玲奈とゲームのレナ(同じ人とは知らない)が何となく重なって見えるときがある。B級王子としてふざけながらも、どこかで自分の本心を“冗談めかして”出しているのではないかと感じる瞬間があるのだ。
「オレに仕えろ」なんてセリフは、自分でも馬鹿げているとわかっているが、ゲーム内だからこそ言える本音が混じっているのかもしれない。――もっと素直に、誰かと一緒にいたい。このめんどくさい現実を忘れて、自由に生きたい。そんな逃避の気持ちと、玲奈への淡い想いがないまぜになっている。
(早く決着をつけたい……でも、そう簡単にはいかないんだろうな)
## ■ すれ違う思い
こうして、ネットゲームのB級ノリはさらに加速し、ソウからレナへの“B級告白”が続く一方で、現実では杉野からのアプローチと颯太と千尋のすれ違いがエスカレートしていく。玲奈はソウの言葉を思い出しては、どうしようもないときめきと罪悪感に揺れ動き、杉野は「いつまで待たせるんだ」と焦りを募らせ、颯太は千尋との中途半端な別れ話に疲弊しきっていた。
もっとも、彼らはまだ何も知らない。王子(ソウ)の正体が向坂颯太であることも、レナの正体が玲奈であることも、そして各々がゲームと現実で苦悩を抱えていることを――。
物語は、B級映画さながらの急展開を控えている。このまま“冗談”と割り切って突き進むのか、それともいつか“真実”に直面する瞬間が来るのか。
――現実とゲームが交錯する中で、玲奈と颯太がどのような選択をし、杉野と千尋がどう絡んでくるのか。合唱祭と演劇で盛り上がった“B級告白”の裏には、それぞれのリアルな感情が隠されている。
今はまだ、誰もその結末を知らない。まるで夏祭りの花火が終わっても、夜の闇に小さな火種が残っているかのように、心の中にくすぶる想いだけが燻り続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます